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養蜂家の青年は、蜜薬師の娘とバターを作る
 今日はまず、バター作りをするらしい。チーズとは違った作り方をするようだ。
「バターは、発酵させたクリームを使って作るの」
 一晩おいたミルクに浮かぶものがクリーム。それを、さらに一晩放置して発酵させたものでバターを作るようだ。
 道具は煮沸消毒させた上に、太陽の光に当ててしっかり殺菌した物を使う。
「バター作りに欠かせないのは、これよ」
 それは、小型のたるだ。バター攪拌機チャーンというらしい。蓋についているハンドルを回すと、中のクリーム全体をかき混ぜることができるようだ。
「じゃあ、始めるわね」
「そのハンドル、硬いんじゃないの?」
「まあ、それなりに」
「だったら、俺がやる」
「あ、ありがとう」
 コツは特にないというので、自由に回させてもらった。
 アニャはそれなりに硬いと言っていたが、女性の腕力ではきついだろう。
 しばらくハンドルを回していると、中のクリームが固まる。
「中で、クリームが分離しているの。先に、水分を出すわ」
 クリームから分離した水分を、“バターミルク”と呼んでいるらしい。
 バターミルクも、捨てずに利用するようだ。
「パンに入れると、フワフワに仕上がるのよ」
「へえ、そうなんだ」
 余すことなく、いただくようだ。
 バター攪拌機のクリームを、すのこの上にかき出す。そこに冷水をかけて、クリームに残ったバターミルクを流すようだ。そのあとも、ヘラを二枚使って練り、バターミルクや水分を取り除く。
「バターミルクや水分を切ったら、塩で味付けするの」
 塩をまぶし、再びヘラで練り込む。
「最後に、棒で叩いて空気や水分を飛ばして、型に詰めるの」
 クッキー缶のような丸い型にバターを詰め込み、棒で押して型から抜く。
 型には小麦模様が彫られていたようで、バターに浮き出ていた。
  真っ白で美しい山羊のバターが、完成となった。
「今日は、いつもより上手にできたわ」
「うん、おいしそうだね」
「さっそく、お昼に食べましょう」
 いったい、どんな料理を作るのか。楽しみだ。
 アニャはバターが上手く作れたことが、よほど嬉しいのだろうか。にこにこしながら、バターを見つめている。
「あのね、イヴァン」
「うん?」
「私、嬉しいの。いつもだったら、雨の日に何かが上手くいっても、誰とも共有できないから」
 雨の日に外に出たら病気になってしまう。だからなるべく家に引きこもっているという話は先ほど聞いた。
「一回、パンが上手に焼けたときに、お父様に持っていったの。そうしたら、血相を変えて怒られてしまって……」
 マクシミリニャンは極めて温厚な男である。しかし、その日は違った。珍しく、アニャに対して激昂したのだという。というのも、理由があったらしい。
「お母様が、私を産む前に、雨に濡れて風邪を引いてしまったの。それから、寝たきりになってしまって……」
 アニャが生まれたのも、奇跡だったらしい。
「お母様の体調不良のきっかけは雨だった。だから、お父様は酷く怒ったの」
「そう、だったんだ」
 以降、雨の日のアニャは、ケーキが膨らんでも、おいしいスープが完成しても、独りで喜び、静かに食べるばかりだったらしい。
「だからね、今日は、イヴァンが一緒にいて、喜んでくれて、とっても嬉しい!」
 アニャは天真爛漫としか言いようがない、明るい笑顔を見せてくれる。
 なんて、愛らしい笑みなのか。
 体調が悪いわけではないのに、心臓の鼓動がいつもより早い気がした。続けて、みぞおち辺りがきゅっと縮んだような、違和感を覚える。
 風邪が悪化したかと思ったが、異変は一瞬で終わった。
「イヴァン、どうしたの?」
「なんでもない」
 なんとなく、アニャの顔を直視できなくなっていた。なんだろうか、この気持ちは。
 答えがわからず、もやもやしてしまった。
 ◇◇◇
 アニャが昼食の準備をしている間、俺は巣箱作りを行う。構造は実家で使っていた物とほとんど同じだったので、その点は非常に助かった。
 板を合わせ、釘を打つ。通気口を作って、蜜蜂が出入りできるようにするのも忘れない。
 流蜜期には欠かせない、巣箱に重ねる継箱もいくつか作っておく。
 作業を進めていると、パンが焼けるいい匂いが漂ってくる。昼食は、焼きたてパンなのか。ずいぶんと、ごちそうだ。
 それから一時間と経たずに、昼食となった。
「ちょっと、何、それ!?」
 アニャは積み上がった巣箱と継箱を見て、目を大きく見開いていた。
「これ全部、イヴァンが作ったの?」
「そうだけれど」
「信じられない。この量は、お父様が一日かけて作るような量よ?」
「いやでも、板はカットされていたから。組み立てて、釘を打っただけで」
「それが難しいのよ」
 母や義姉達に命じられ、黙々と巣箱や継箱を作る日もあった。回数をこなすうちに、早くなっていたのかもしれない。
「まあ、いいわ。食事にしましょう」
 食卓の中心に置かれたのは、焼きたてパン。それから、ジャガイモとベーコンのバター炒め、グラタン、バタークリームスープと、豪勢な食事が並んでいた。
「ちょっと、張り切り過ぎたわ」
「俺たちだけで食べるのは、もったいないね」
「そうね。でも、雨だし」
 マクシミリニャンは今頃、独り寂しく食事を食べているだろうか。
 外からマクシミリニャンのいる離れを覗き込むと、煙突からもくもくと煙が上がっていた。
「あ、お父様、鶏の燻製を作っているわ。きっと、お昼からお酒を飲むつもりなのよ」
「雨を楽しんでいるようだったら、何よりだ」
「そうね。私たちも、楽しみましょう」
 最後に、アニャは先ほど作ったバターを持ってくる。
「焼きたてのパンに塗って、食べましょう」
「いいね」
 神に祈りを捧げたあと、食事をいただく。
 まずは焼きたてのパンに手を伸ばし、アニャと一緒に作ったバターを載せた。
 パンの熱で、バターがじわーっと溶けていく。我慢できず、溶けきる前にかぶりついた。
「嘘、甘っ!」
 山羊のバターは、驚くほど甘い。後味にほんのり、酸味としょっぱさを感じる。コレまで食べたことのない風味のバターであった。
 これが、アニャの作ったフワフワのパンと信じられないくらい合うのだ。
「この世の食べ物と思えないほど、おいしい……」
「そんなふうに言ってもらえると、作った甲斐があるわ」
 アニャと共に、山羊のバター料理に舌鼓を打つ。
 大満足の昼食であった。