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養蜂家の青年は、今日も蜜蜂のようにあくせく働く
※この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ございません。作中の用語、歴史、文化、習慣、知識などは創作物としてお楽しみ下さい。
 知っているだろうか、蜜蜂が一生のうちに集める蜂蜜の量を。
 多くの蜜蜂の寿命は短く、一年どころか半年にも満たない。その間に、たったティースプーン一杯程度しか、蜜を集められない。
 儚い人生だ。
 俺達養蜂家は、そんな蜜蜂から蜂蜜を得て、日々の生計を立てている。
 ◇◇◇
 ブレッド湖のほとりにある、花畑養蜂園――ここではイェゼロ家が代々蜂蜜を得るために花を育て、蜜蜂の世話をしながら暮らしていた。
 養蜂園には、十三個の区切られた花畑がある。そこでは、イェゼロ家の十三人の息子がそれぞれ管理し、蜂蜜を得ていた。
 そんな中で、イェゼロ家の十四番目の子どもとして生まれた俺は、継ぐべき花畑がなかった。だから、毎日兄達の手伝いをしている。そう言えば聞こえはいいが、実際は馬車馬のごとく働かされているのが現実だ。
「おい、イヴァン! 巣箱近くにスズメバチがいたって言っていたから、退治しておけよ」
「俺のところは、柵が壊れてしまっている。修理しておけ」
「イヴァン、花の種の用意を頼む」
 十三人の兄は結婚し、子どもも数名いる。一番上の兄とは、二十歳離れているので、年上の姪もいるのだ。
 人を雇わなくても、働き手は十分いる。だから、兄達は働かずに、朝から酒を飲んだり、賭けカードをしたり。遊びたい放題である。
 同じように、遊んで暮らしていた父を見て育ったので、無理はないのかもしれない。
 そんな父は十五年前に母と喧嘩して家を追い出され、馬車にはねられて死んだ。 
 けれど、一家の主が死んでも、この家はなんら問題なかった。
 働いているのは、母を中心とする女性陣だから。
 イェゼロ家は、蜂社会と同じなのだ。女王蜂たる母がいて、下に従う女達が蜜蜂のようにあくせく働き、男は子作りのためだけに存在して、あとは働かずにのほほんとしていた。
 種の繁栄のためだけに存在する雄蜂は、用なしと判断されたら蜜蜂から容赦なく追い出される。
 イェゼロ家の男達も、同じだろう。用なしと判断されたら、父のように家を追い出される。住み処を失ったら、あとは死ぬしかない。
 彼らはきっとわかっていないのだろう。自分達が、女性陣に“生かされている”ということに。
 偉ぶって、自らを驕って、女達を支配していると勘違いし、自由気ままに暮らしている。
 いつか、しっぺ返しを受けるだろう。
 俺は用なしと判断されないように、毎日あくせく働く。
 給料なんてものはない。けれど、それでもこの家で居場所を得るには働くしかないのだ。
 今年で二十歳になったが、当然、結婚相手なんて見つからない。
 財産もない男に嫁ぐ物好きは、世界中どこを探してもいないのだろう。

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養蜂家の青年は、花畑で春の支度を行う
 かつて、この地は他国の支配下にあった。ブレッド湖周辺は王族の保養地として愛され、その昔は王族とすれ違う、なんてことも珍しくなかったらしい。
 ブレッド湖の中心には孤島が浮かんでおり、教会がポツンと建っている。山頂から見たら瞳のように見えるので、ブレッド湖は“山々の瞳”とも呼ばれていた。
 花畑養蜂園がある土地は平地であるものの、周辺は野山に囲まれている。
 街の郊外にあるこの地では、豊富な湖水と豊かな自然が、おいしい蜂蜜をもたらしてくれるのだ。
 ただ、何もしないで、たくさんの蜂蜜を得られるわけではない。
 人が手を加えて、蜜蜂を世話しなければいけないのだ。
 もうすぐ、春になる。
 越冬した蜜蜂が、活動的になるシーズンである。
 蜜蜂の動きに注目し、より快適な巣箱になるように助けてやらなければならない。
 花畑養蜂園では、いたる場所に養蜂小屋が建てられている。
 箪笥のように中が区切られていて、そこに出入りする蜜蜂が花の種類ごとに蜜を集めてくるのだ。
 巣の出入り口となる蓋には、精緻な彫刻が施されている。
 田園風景だったり、湖の様子だったり。街の芸術家に頼んで、作らせているようだ。
 これらは蜂蜜の種類を見分けるものであり、養蜂家は豊かな生活をしていると自慢するものでもあるようだ。
 兄達に頼まれていた仕事を終えると、母や義姉、年上の姪が次々と命令してくる。
 それをこなすだけで、昼の鐘が鳴り響いた。
 昼食は朝バタバタしていてもらいそこねてしまった。ブレッド湖に釣りに行こうとしたそのとき、声がかけられる。
「あの、イヴァンさん」
 振り返った先にいたのは、ブルネットの髪の美女ロマナ。双子の兄、サシャの妻だ。
 五年前、収穫祭で身売りをしようとしていたところを捕まえて、うちで住み込みで働かせた。
 刷り込みされた雛のように、俺について回っていたが、結婚したのは兄だった。
 それはまあ、しかたがないだろう。
 継ぐべき花畑を持たない男のもとに嫁いでくる物好きなんて、いないだろうから。
「ロマナ、何?」
「これを……」
 差し出されたのは、魚を挟んだ練りパイ。わざわざ、持ってきてくれたのだろう。
「ありがとう」
「あの、イヴァンさん、湖のほとりで、一緒に食べない?」
「それはダメでしょう。ロマナは、サシャの妻だから」
 他の兄弟の妻と二人きりで過ごすのは、禁じられている。暗黙の了解だが、破るつもりはない。
 ロマナはサシャと結婚したのに、結婚前のように過ごしたがる。
 結婚しても仲良くだなんて、都合のいい話はない。
 ロマナと仲良くしていて、サシャに喧嘩を売られても困る。だから、可哀想だけれど、彼女のことは遠ざけた。
 今日も一人、青空の下で昼食を食べる。
 午後からは母親に言われていた、羽化する前の雄蜂の確認作業を行う。
「おーい、イヴァン!!」
 元気よく走ってやってきたのは、街に住む幼なじみのミハル。彼は雑貨商の息子で、幼い頃からイェゼロ家に出入りしている。
「ミハル、今日も、配達に来たの?」
「ああ。お前の兄ちゃんの酒とつまみを三箱も持ってきたぞ」
 いつものことなので、何か思う心はすでに死んでいる。
 蜂蜜を売って得た金も、兄達が湯水のごとく使ってしまうのだ。
 ミハルは「おまけだ」と言って、干物の端っこを集めた包みをくれた。
「イヴァン、また、痩せたんじゃないのか?」
 食いっぱぐれるのは、日常茶飯事。実の母親でさえ、気にしない。けれど唯一、ミハルやミハルの家族は心配し、食べ物をくれるのだ。
「最近は、ロマナがお昼をくれるし」
「お前、それ、大丈夫なのか?」
「何が?」
「何がって、ロマナはサシャの妻なんだろう?」
「そうだけど」
 ロマナはサシャと結婚して、家の炊事を担当することになった。そのため、こっそり食事を分けてくれるのである。
 結婚前は食いっぱぐれていた彼女に食事を分けていたので、その恩返しのつもりなのだろう。
「あんまり親しくしていると、誤解されるからな」
「それは大丈夫。さっきも、追い返したし」
「だったら、いいけどよ」 
 サシャは独占欲が人一倍強いので、ロマナが俺と仲良くしていると面白くないだろう。
 だからなるべく、関わらないようにしている。
「それはそうと、例の件を考えてくれたか?」
「例の件?」
「忘れるなよ! お前と家の、養子縁組みの件だよ!」
「ああ」
 ミハルの家族は変わり者で、俺を気に入ってくれている。信じがたいことに、養子縁組みをしたいと申し出てくれたのだ。
「ありがたい話だけれど、俺は、この仕事が好きだから」
「あー、やっぱり、お前と蜜蜂は、切っても切り離せないかー」
 物心ついたときから、蜜蜂と共に在った。今更、離ればなれの人生なんて、考えられない。
 イェゼロ家に蜂蜜をもたらしてくれるのは、腹部に灰色熊のような毛を持つ、カーニオランと呼ばれる蜜蜂。
 彼らは温厚で、真面目。せっせと花蜜を集めてくれる。太陽の光を浴びると、カーニオランが持つ灰色の毛は柔らかく光るのだ。
 そんな蜜蜂を、親しみを込めて“灰色熊のカーニオラン”と呼んでいた。
 俺はそんな蜜蜂に、人一倍の愛着を抱いている。

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養蜂家の青年は、食いっぱぐれて湖に行く
 ミハルは草むらにゴロリと転がり、目を細めながら青空を見る。
「イヴァン、お前さ。このままだと、働き過ぎて早死してしまうぞ」
「大丈夫だよ。うちに優秀な女王蜂がいる限り、死にはしない」
 兄達は酷い扱いをするが、まだ、母親がたしなめてくれている。状況はまだ、最悪ではない。
「お袋さんが死んだあとは、どうするんだよ」
「一応、独立は考えているよ」
 週に一度の休日に、ミハルの祖父の趣味である漁に付き合っていた。釣りの名手で、毎回大量の魚を釣って帰るのだ。
 そのあと、釣った魚を捌いて街に売りに行く。そのさい、売り上げの二割を報酬として渡してくれるのだ。
 その金を、コツコツ貯めている。いつか独立して、自分だけの養蜂園を開くのが夢だ。
「祖父ちゃん、イヴァンを養子として引き取ったら、漁師になるとか言っているぜ」
「週に一回するから、楽しいだけなんだよ」
「だよなあ」
 ミハルの祖父は、特に俺を気に入ってくれている。ブレッド湖のほとりにある小屋を、譲ってくれたくらいだ。
「あーあ。俺達家族は、選ばれなかったか。蜜蜂さえいなかったら――ぶわっ!!」
 ミハルの顔面目がけ、蜂が飛んできた。ぶぶぶ、と音を立てながら、ミハルの顔にまとわりついている。手で乱暴に払おうとしているところを制止した。
「待ってミハル。動かないで」
 飛び回る蜂を、素手で捕まえる。
「うわっと!」
「もう大丈夫」
 ミハルは飛び起き、安堵の息を吐いた。
「イヴァン、ありがとう」
「いえいえ」
 拳に蜂を握りしめたままだったので、ミハルはぎょっとする。
「お、おい。蜂を握りしめて、大丈夫なのかよ」
「平気。これは雄蜂だから、針は持っていないんだ」
「え、そうなのか!? でも、蜜蜂の針は、通常は体内にあるんだよな? どうして見た目だけで雄蜂だとわかったんだ?」
「雄蜂は雌蜂より、体が大きいからね」
「あー、なるほど」
 手を開くと雄蜂は勢いよく跳び上がり、礼を言うように頭上を飛び回ったあといなくなった。
「しかし、なんで、雄蜂には針がないんだ?」
「何もしないから」
「へ?」
「蜜蜂の雄の存在意義は子孫繁栄のみで、あとは巣でぐうたら過ごすんだよ」
「えー、なんだそれ! お前のところの、兄さんみたいじゃん!」
 ミハルの容赦ない指摘に、思わず笑ってしまった。
 ◇◇◇
 あっという間に、一日が終わる。
 疲れた体を引きずるように、家路についた。
 イェゼロ家は、家長である母ベルタを始めに、親から孫世代まで大家族が暮らしている。母屋の他に離れが六つあるが、まだまだ増える予定だ。
 俺個人の部屋なんてあるわけがなく、屋根裏部屋を改造して使っていたが、それも甥や姪に占領されてしまった。
 恐ろしいかな。兄の妻だけで十三人、甥と姪だけで、二十三人もいるのだ。
 くたくたに疲れて帰ってくると、元気いっぱいの甥と姪が遊んでと集まってくる。まともに相手にしていると、夕食を食いっぱぐれてしまう。彼らが可愛くないわけではないけれど、勘弁してくれと思ってしまうのだ。
 夜は夜で子どもの夜泣きに、走り回って遊ぶ物音や声が聞こえる。それだけならば百歩譲って許せるのだが、兄夫婦の夫婦の営みが聞こえてきた日には、死にたいと思った。
 双子の兄、サシャは去年結婚したばかり。周囲は子どもの誕生を、今か、今かと楽しみにしている。
 二十三人も子どもがいるのに正気かよと、という率直な感想が浮かんできたが、口にできるわけもなく。
 新婚夫婦の奮闘を頑張れ、頑張れと応援もできないでいた。
 新しい離れの完成なんて待てやしない。
 そんな中で、ミハルの爺さんから、ブレッド湖のほとりにある小屋を譲って貰った。
 夜中に家を飛び出し、小屋で眠る毎日を過ごしている。
 夕食を食いっぱぐれたら、湖で魚を釣って食べたらいい。
 爺さんのおかげで、なんとか暮らしていた。
 今日も今日とて、俺の分の夕食なんて影も形もなかった。
 家族が大勢いたら、誰が食べたとか食べていないとか、確認するのは不可能なのだろう。
 ロマナも、サシャに部屋に呼び出されていたようなので、顔を合わせる暇もなく。
 きっと、今頃部屋でよろしくやっているのだろう。
 腹がぐーっと鳴った。
 ひとまず、釣りをして夕食を調達しなくてはならない。
 ブレッド湖には、豊富な魚がいる。おかげで、飢えることはない。ありがたい話である。
 明かりは満天の星と月明かり。それから、手元にある小さなランタンの炎だけ。
 水面に、月と孤島の教会が映し出されている。世にも美しい光景を、独り占めしていた。
 と、優雅に湖を眺めている場合ではない。腹の虫は、一秒たりとも待ってくれなかった。今も、ぐーぐーと、空腹を訴えている。
 土を掘ってミミズを餌にし、釣り糸を放った。全神経を釣り糸に集中し、しばし待つ。
 すると、ググッと糸を引く力を感じた。ひときわ強い力を感じた瞬間、竿を思いっきり引いた。
 大きな背びれを持った、縞模様の魚が釣れた。一匹だけでは、満腹にはならないだろう。
 粘ること一時間、十二匹の魚が釣れる。なかなかの釣果だろう。一気に食べきれる量ではないが、残りは朝食にしよう。
 腹からナイフを入れて腸を抜き、塩を振って串焼きにする。
 パチパチ、パチパチと焚き火の火が音を立てる。
 風が強く吹くと、火を含んだ灰が舞った。
 春が訪れようとしているが、夜は冬のように寒い。
 ウサギの毛皮を繋げて作った毛布を、上から被る。
 魚の焼き加減は、あと少しだろうか。香ばしい匂いを漂わせていた。
「……ん?」
 人の気配を感じた。
 目を凝らしても、暗闇なので何も見えない。
 だんだんと、姿が浮き彫りになっていく。
 見上げるほどの大男が、体を引きずるようにしてやってきたのだ。
 年頃は四十前後か。一番上の兄と、同じくらいだろう。
 短く刈った髪に、彫りの深い顔、髭はのびっぱなしだった。腕や太ももは丸太のように太く、全体的にガッシリとした体つきである。
 軍人かと思ったが、着ている服装は着古した外套にズボンという、一般市民そのものだった。
 男は焚き火の前でがっくりうな垂れると、呟くように言う。
「は、腹が、減った!」
 男の主張を聞き、はてさてどうしたものかと思う。

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養蜂家の青年は、中年親父と対峙する
 男は、火で炙られたほどよい焼き加減の魚と、俺を交互に見ている。
 瞳が、潤んでいた。
 仕方がないとため息を吐き、一本の魚を手に取った。脂が焚き火に滴り落ち、ジュッと音を立てている。
「食べたら?」
「よ、よいのか?」
「いいよ。小骨があるから、気を付けて」
「助かった。恩に着る!!」
 男はそう言い、魚の串を受け取った。豪快に、頭からかぶりつく。
 バリバリと音を立てながら、魚を食べている。骨も皮も、すべて食べていた。最後はきれいな串だけが残る。
 あまりの気持ちいい食べっぷりに、思わず二本目の串を差し出した。
「かたじけない」
 そう言って、再びバリボリと食べ始めた。
 結局、男は五本の魚の串を平らげた。野草を乾燥させて作った茶も、三杯も飲み干す。
「本当に、助かった。これは、ほんの礼である」
 差し出されたのは、蜂蜜が入った瓶であった。思わず、ランタンを持ち上げて蜂蜜を見る。普段、見かける蜂蜜よりも、色合いが異なっていた。褐色と言えばいいのか、全体が赤みがかかっている。
「これは?」
「樅もみの木の、蜂蜜である」
「え、樅って、蜜が豊富な花なんか咲いていたっけ?」
「正確に言えば、樹液を吸ったアブラムシが出した甘い蜜を、蜜蜂が集めて作るものである」
「アブラムシから採れた、蜂蜜!?」
 初めて見て、聞いた蜂蜜を前に、俄然興味がそそられる。
「これ、味見をしてもいい?」
「それは、そなたにあげた品だ。好きなように、食すとよい」
「ありがとう」
 きつく閉めてあった蓋を開き、先端の樹皮を削いだ木の枝で蜂蜜を掬う。
 バターかと思うほどねっとりしていて、ほのかに森の中にいるような香りを感じる。口に含むと、熱した砂糖のような香ばしさと品のある甘みを感じた。
「すごい……! こんな蜂蜜があるなんて」
「うまいであろう? 我が家、自慢の蜂蜜だ」
「おじさん、養蜂家なんだ」
「ああ。我らは、森の木々から採れる蜂蜜で、生計を立てているのだ」
「そうなんだ」
 花を育て蜂蜜を採るイェゼロ家の養蜂とは異なり、男の養蜂は森にある木々から採る養蜂をしているようだ。
 同じ養蜂でも、まったく異なる。いったい、どういう作業を経て蜂蜜を得ているのか、興味がそそられる。
 ここで、男性が名乗った。
「我は、ボーヒン湖周辺の山で暮らす、マクシミリニャン・フリバエである」
「マクシミリニャン……」
 なかなか、聞き慣れない珍しい名前だ。思わず復唱してしまった。
 ボーヒン湖というのは、ここから馬車で数時間ほど離れている、のどかで美しい秘境と呼ばれている。ボーヒン湖はブレッド湖より三倍も大きな湖で、周辺よりも豊かな自然が広がっている土地だ。
 マクシミリニャンと名乗った男は、どこか古めかしい喋りで、浮き世離れをしているように見えた。秘境育ちなのも、頷ける。
「俺は、イェゼロ家のイヴァン。すぐ近くにある、花畑養蜂園で蜂蜜を作っている」
「ぬ! そうであったか!」
 なんとなく、野草茶に入れようとしていた蜂蜜を、マクシミリニャンに差し出した。
「これ、蕎麦アイダの花の蜂蜜」
 花畑養蜂園の端のほうに、畑もある。そこで家族で消費するそばを育てつつ、蜜蜂に蜂蜜を作ってもらっているのだ。
 マクシミリニャンはくんくんと瓶の蜂蜜をかぎ、匙で掬ったものを口に含んだ。
「こ、これは、なんて“濃い”のか!」
「ちょっと、クセがあるけれど」
「いいや、我は気にならぬ。非常に美味なる蜂蜜よ」
 そばは俺の提案で作った蜂蜜である。そばが採れる上に、蜂蜜までもたらされるなんて一石二鳥だろう。
 だがしかし、そばの蜂蜜は家族からは不評だった。市場でも売れないので、自分で手売りしてこいと押しつけられている。
 ミハルがいくつか買ってくれたが、肉や魚を使った味が濃い料理の味付けにいいと教えてくれた。
 それから街へ魚を売りに行くときに一緒に販売し、そこそこ売れている。
 たくさん売れても、収入は懐に入らないところが空しさを覚えるが。
「イヴァン殿は、このような蜂蜜を作っているのだな」
「普段は、花蜜メインだけれど」
 急に、マクシミリニャンは居住まいを正した。すっと背筋を伸ばした状態で、ジッと俺を見つめていた。
 何を言い出すのか。少し構えてしまう。
 そんな状況で、マクシミリニャンはとんでもない願いを口にした。
「イヴァン殿、どうか、我が娘アニャと、結婚してほしい」
「はい!?」
 突然の懇願に、目が点となった。
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