養蜂家の青年は、せっせと働く  仕方がないので、朝食は昨日ミハルに貰った干物を食べる。噛みすぎて、顎が疲れてしまった。  家を出る前に、恒例の兄達の命令が始まった。 「おい、イヴァン。新しい巣を三つ用意しておけ」 「花畑の柵が腐りかけているから、新しく作っておけよ」 「花の間引きも、忘れるなよ」  口々に命じられる内容は、女性陣から頼まれて言っているのである。遊び歩いている兄達が、養蜂園の仕事なんてわかるはずがない。  女性陣から直接言ってもいいのだが、なんとなく朝から仕事を命じるのは悪いと思っているのだろう。だからこうやって、夫である兄を通じてあれこれ頼んでくるのだ。  兄達はこうしていろいろ言っていると、仕事をしているつもりになるのだろう。実に偉そうに、命令してくれる。  これもまあ、物心ついたときから当たり前のように命じられていたので、別に何も感じない。  出かける前に、上半身裸のサシャに声をかけられる。 「なあ、イヴァン」 「何?」  ニヤニヤしながら、サシャは俺を見る。何か、バカにしようとしている顔だろう。 「お前、毎朝毎朝仕事を命じられて、情けないと思わないのか?」 「別に」  素っ気ない反応をしたからか、サシャの表情はだんだんとふてくされたものになる。 「兄貴達に、いろいろ言われないと、動けないのかよ」 「ああ、そうなんだよ」 「無能の兄のために、働いているってか?」 「はいはい」  別に、兄達のために働いているのではない。俺は、蜜蜂のために働いている。  むしろ言ってくれるほうが、助かるのだ。  優秀な女性陣が仕事を頼んでくれるので、忙しいながらも蜜蜂のために効率的に動ける。  サシャもいろいろ言うのに、兄達が同じような言動を取ると文句を言ってくるのだ。  俺にからんでいいのは、自分だけと言いたいのだろうか。  迷惑なので、どちらも話しかけないでほしい。 「兄貴達が、お前をなんて言っているのか、知っているのか?」 「知らない。興味ないし」  どうせ、奴隷みたいとか、女の言いなりとか、好き勝手言っているのだろう。  働き者の女性陣から用なし扱いされるのは嫌だけれど、遊んで暮らす兄達の評価なんて心底どうでもよかった。 「お前はそんなだから――」 「ごめん、サシャ。忙しいから」  サシャの言葉を制し、家を出る。背後で何か叫んでいたが、無視した。  太陽がさんさんと輝く時間になり、一日の仕事が始まる。  養蜂のさいの恰好は、通常であれば蜜蜂避けの網つき帽に、分厚い手袋に外套と決まっている。  けれど、蜜蜂に慣れると、それらの装備は必要ない。  温厚な灰色熊のカーニオランは滅多なことでは怒らないので、燻煙器も必要ないくらいだ。  今日も、普段通りのシャツとズボンに、釣り鐘状の外套を着て、帽子と手袋を装着して養蜂園を目指す。  花畑養蜂園では、花々が開花しつつあった。蜜蜂はぶんぶん飛び回り、花蜜を巣へと運んでいる。  一番上の兄の巣小屋から、様子を確認していく。病気になっている蜜蜂はいないか、他の虫がきていないか、小屋の木材は腐っていないか。点検箇所はたくさんある。 「イヴァン兄ー!」  母親から命じられていた仕事を終えたツィリルが、手伝いにやってくる。  今日は、雄蜂の選別を教えてやることにした。  巣箱から、枠を取り出す。ここには、大量の蜂の子が産み付けられているのだ。 「イヴァン兄、それを、どうするの?」 「雄の幼虫だけ、外に出すんだ」  そう言った瞬間、ツィリルは「ゲッ!」と言って顔を顰める。 「なんで、そんな酷いことするんだよ」 「雄蜂の数が多いと、それだけ蜜を消費するんだ。きちんと管理していないと、採れる蜂蜜の量が減ってしまうんだよ」 「そうなんだ」  雄蜂は女王蜂と交尾し、蜜蜂を産ませる役割がある。また雄蜂の存在は、蜜蜂に働くやる気を与えるらしい。そのため、まったく必要ない、というわけではないのだ。 「でも、どうやって、雄の幼虫と、雌の幼虫を見分けるんだ? なんか、難しそう」 「簡単だよ。雄は体が大きいから、巣穴の蓋が盛り上がっているでしょう?」 「あ、本当だ!」  雌の巣穴は平らなのに対し、雄の巣穴はわかりやすく盛り上がっているのだ。蓋をナイフで削ぎ、鑷子(ピンセット)で摘まんで幼虫を取り出す。 「うげー、気持ち悪い」 「じきになれるよ」  幼虫は瓶に詰め、持ち帰る。そのまま素揚げにして、塩をパッパと振って男達の酒の肴となるのだ。  ツィリルはすぐに技を習得し、テキパキと幼虫を捕まえては瓶に詰めていた。 「よしと。こんなもんかな」  一部の雄の幼虫だけ残し、あとは素揚げだ。 「これ、本当においしいの?」 「さあ?」  これまで、幼虫の素揚げを食べたことがない。大人の味とか言って、父や兄達が独占していたのだ。それは今も続いている。 「ダニが寄生していないか、注意して。もしも変な幼虫がいたら、取り除いてね。ダニに寄生された個体を食べたら、大変だから」 「うへえ」  ダニは雄の幼虫が大好物で、寄生した状態でそのまま外にでてくる。蜂の体を乗っ取り、別の巣に紛れ込んで繁殖し続けるのだ。  羽が縮んでいたり、黒ずんでいたりと、様子がおかしな蜜蜂を発見したら、すぐに除かないといけない。 「イヴァン兄がせっせと手入れしているから、おいしい蜂蜜が採れるんだな」 「まあ、俺だけじゃなくて、みんなで頑張っているからね」  これほど広大な養蜂園を、従業員を雇わずに家族だけで運営できているのは、女性陣の頑張りがあるからだろう。 「きちんと女王に従っていたら、これまで通りの暮らしができるんだ」 「蜜蜂も、イェゼロ家もってことだね」 「その通り」  今日は日差しが強く、温かな風も流れていた。  春が、本格的に訪れようとしているのだろう。