養蜂家の青年は、クリームケーキにかぶりつく  頼まれていた巣箱を完成させ、一息ついているところにロマナがやってきた。  何やら、大きなバスケットを抱えている。 「あの、イヴァンさん。もうそろそろ、休憩、ですよね?」 「そうだけれど」 「ご一緒、してもいいですか?」  どうして、ロマナはツィリルがいないときにやってくるのか。ここにもう一人誰かがいたら、一緒に休憩できるのに。  二人で過ごしたことがサシャにばれたら、一大事である。一週間は嫌味を言われてしまいそうだ。 「ロマナ、昨日も言ったけれど、二人では過ごせな――」 「クリームケーキを、作ったんです」 「クリームケーキ、だって!?」  クリームケーキ、それは王侯貴族の保養地だったブレッド湖の名物である。  一見して、正方形のケーキだが、構造がただのケーキではない。  上下はサクサクのパイ生地で、その下にバタークリーム、さらにプリンのようにどっしりした濃厚なカスタードクリームが挟まった、世界一おいしいケーキだ。店や家庭によってさまざまな種類がある。  父の好物だったので、以前は母もよくクリームケーキを作っていた。父を追い出してからは、一度も作っていないような気がする。  ロマナは母からクリームケーキの作り方を習ったのだという。 「イヴァンさん、クリームケーキ、食べたくないですか?」  キョロキョロと、周囲を見渡す。物置小屋が陰になっていて、周囲からこちらの状況は見えないだろう。 「食べたい」  そう答えると、ロマナは満面の笑みを浮かべた。なんだか、笑っているロマナを見るのは、久しぶりな気がする。  きっと、サシャが自分以外の男の前で笑うなとか、命令しているのかもしれない。世界一心が狭い男である。間違いない。  ロマナはバスケットから敷物を取り出す。 「俺が敷くよ」 「え!?」 「何、驚いているの?」 「あ、ごめんなさい。イェゼロ家の男性は、自分から動くということは、しないので。そういえば、イヴァンさんは以前から、あれこれ自分から動いていましたね」  ロマナもすっかり、何もしないイェゼロ家の男達の習慣に染まりきっているようだ。きっと、一から十まで世話を焼いているのだろう。 「あのさ、ロマナ。サシャの命令は、全部聞かなくてもいいからね」 「ですが、身よりのない私と結婚してくれた恩がありますので」 「結婚に恩も何もないってば。互いに好きだから、一緒になったんでしょう?」  そう言ってやると、ロマナはハッとなってこちらを見る。そのあと、苦しげな表情を浮かべ、胸を押さえた。 「私、やっぱり――」 「やっぱり?」 「いえ、なんでもありません」 「そうやって言いかけるの、余計に気になるんだけれど」 「ごめんなさい。ですが、言えません」  言えないことを「言えない」と、はっきり主張できるようになったのはいいことか。  ここに連れてきたばかりのロマナは、とにかく口数が少なくて、日常の会話も成り立たないほどだった。  家族がおらず、身売りをしようとしていたロマナの人生は壮絶だ。  サシャが幸せにしてくれたら言うことなしだが、それも難しいだろう。サシャの気質は、ぐうたらで乱暴者だった父に一番似ているから。  一応、二人の結婚に反対はしたものの、周囲も、ロマナ本人も聞き入れなかった。 「ロマナ、今、幸せ?」  問いかけに、ロマナはサッと顔を伏せる。その反応は、幸せではないと言っているようなものだ。  ため息を一つ零しつつ、敷物を広げる。どっかりと腰掛けると、ロマナがクリームケーキを差し出してくれた。レモネードも、添えてくれる。 「ありがとう」 「い、いえ」  気まずい空気の中、クリームケーキにかぶりつく。 「ん、うまっ!!」  パイ生地はサックサク、中のクリームはカスタードで、スポンジ部分は驚くほどふわふわだった。  甘ったるいのに、あとを引かない。やはり、クリームケーキは世界一おいしいと思ってしまう。  あっという間に食べ、指先についたクリームまで舐める。  レモネードをごくごくと飲み干した。 「もう一つ、食べますか?」 「うん、ちょうだい」  ロマナは微笑みながら、クリームケーキを差し出す。それを、一口で食べて見せた。  彼女は目を丸くしたあと、お腹を抱えて笑っていた。 「そんなに笑うなんて」 「だって、信じられません。大きなケーキを、一口で食べるものですから」  笑いが収まったあと、ロマナは俺の口の端に付いていたクリームを指先で拭う。  それを、ペロリと舐めた。突然の行為に驚き、身を固くしてしまう。 「ロマナ、そういうの、止めなよ」  軽く注意したつもりだったが、声色が冷たくなってしまった。  ロマナはビクリと肩を震わせ、謝罪する。 「ご、ごめんなさい。つい」 「いいよ。どうせ、ちび達と同じように、世話を焼いてくれたんでしょう?」  ロマナは子ども好きで、サシャと結婚する前から甥や姪の面倒をよく見ていた。おかげで、二人が結婚すると聞いたとき、子ども達が一番喜んでいた記憶がある。  そんなことよりも、気になるものに気付いてしまった。 「ねえ、ロマナ。さっき、首元がちょっと見えたんだけれど、人の手の痕が――」 「これは、なんでもありません!」  ロマナは早口で言って、レモネードが入った瓶やら、カップやらを片付ける。  敷物の上から追い出され、風のように去って行った。 「あー……」  ロマナの首に、強く締めたような指先の痕があったのは気のせいだったのか。  元からある痣なのかもしれないが。  ロマナが去った方向とは逆方向に歩いて行くと、母に見つかってしまった。  大量の仕事を頼まれ、うんざりしたのは言うまでもない。