養蜂家の青年は、親友と立ち話をする  今日も、ミハルが馬車でイェゼロ家が注文した品物を持ってくる。 「おーい、イヴァン!」 「ミハル、また、酒?」 「いいや、今日は食料品だ」  イェゼロ家は三十八人家族である。買い物はすべて大量に注文し、配達してもらっているのだ。  今日もまた、ミハルは「おまけだ」と言って、オリーブオイルに魚を浸けた瓶詰めを譲ってくれた。 「これ、いいの? いい品なのでは?」 「それ、一年前のなんだよ。なるべく早く食え」 「そうなんだ。ありがとう」  ミハルがくれる食料で、なんとか食いつないでいるところもある。イヴァンは手と手を合わせて、感謝の気持ちを示した。 「そういや、お前のところに、にゃんにゃんおじさんは来たか?」 「は? 今、なんて言った?」 「にゃんにゃんおじさん」 「何、その化け物」 「なんでも、にゃんにゃん言いながら、結婚してくれと叫んでいるらしい」 「怖っ!」  朝からすでに噂になっていたらしい。市場辺りで「にゃんにゃん!」と叫んでいたのだとか。 「その化け物って、どんな外見なの?」 「髭が生えた強面の中年男で、筋骨隆々。ボロボロの服を着ていて、古めかしい喋りをしているらしい。俺は直接見ていなくて、祖父ちゃんが聞いた噂話だけれど」 「ちょっと待って」  ミハルが特徴を挙げた男に、イヴァンは見覚えがありすぎた。  眉間の皺を解しながら、深いため息を吐く。 「なあ、イヴァン。にゃんにゃん叫びながら、結婚を迫るとか、怖くねえか?」 「たぶんそれ、にゃんにゃんじゃなくて、自分の名前はマクシミリニャンで、娘の名前はアニャ。娘の結婚相手を探しにやってきた、的な内容じゃないのかな?」 「マクシミリニャンに、アニャ? たしかに、二人を合わせたらにゃんにゃんだな」  噂が巡り巡って、おかしな方向に転がっているようだ。もう二度と関わり合いになることはないと思っていたので、なんともいえない気持ちになる。 「イヴァン、にゃんにゃんおじさんと、知り合いなのか?」 「知り合いっていうか、昨日、行き倒れになりかけていたところを、助けたんだ」 「もしかして、お前にも結婚してくれにゃんにゃんって言ってきたの?」 「まあ」 「そのあと、街に行ったってことは、きっぱり断ったんだな」 「そうだね」  昨晩あったことについて話すと、ミハルは「結婚、すればよかったのに」と呟いた。 「にゃんにゃん男の娘と?」 「ああ。だって、お前を気に入って、申し出てくれたんだろう? それに、家業が養蜂だし。財がなくとも、身一つで結婚してくれるなんて、滅多にない話だからな」 「そうだけれど、婿だよ? ここから、出て行かなければならないし」 「いや、出て行くべきなんだよ。一刻も早く」 「どうして?」 「それは――お前が、ダメになってしまうからだよ」 「ダメになっていないけれど?」  思わず、ムッとしてしまう。言葉尻も、刺々しくなってしまった。ミハルも、目をつり上げて喧嘩腰になる。 「今はな! でも、そのうちダメになる。現状、健康で元気かもしれない。けれど、一人の人間が働ける量は、限りがあるんだよ。お前は、他の男衆の代わりに、力仕事を担って、率先して働いて、実家に多大の益をもたらしている。けれど、人の体は風車の羽根車と同じだ。ずっと、ずーっと回っていたら、いつかは劣化して、壊れてしまうだろうが」  ミハルの言葉を聞いて、ハッとなる。ダメになるというのは、俺自身が落ちぶれるという意味ではなかった。  体を心配して、言ってくれていたのだ。気付かずに、怒ってしまった。一言「ごめん」と謝る。 「祖父ちゃんがさ、イヴァンが養蜂がしたいのならば、土地と道具を用意してやるって、言っていたんだ」  養子にならなくてもいい。諸々の費用は、働いて返してくれと話していたようだ。 「イヴァンが蜜蜂を大事にする想いも、家族が大事なのも、よく理解しているつもりだ。けれど、このままでは、お前はあまり長くは生きられない。休みなくがむしゃらに働いて死んだ人を、何人も見ていると、祖父ちゃんが言っていたから」 「うん、そうだね。その通りだ。俺は、一心不乱に働くばかりで、何も見えていなかった」 「だろう? だから、真剣に独立を考えてくれよ」 「独立……!」 「人生は、家族のためにあるものではない。自分のためのものなんだよ」  ミハルの言葉は、胸に深く響いた。  もしも、俺がいなくなったら、本当に危機となるのは家族だろう。 「みんな、俺に、頼り切っているんだ」 「そうなんだよ! わかったか?」 「わかった。ミハル、ありがとう。独立の件、前向きに考えておく」 「イヴァン!」  ミハルは叫び、抱きついてきた。大型犬のようにじゃれつくので、引き剥がすのに苦労してしまった。 「まあ、なんだ。サシャの嫁にとっても、イヴァンが家を出るのはいいことだと思う」 「ロマナね……」  困ったことに、ロマナは結婚しても以前のように接したがる。サシャは面白くないだろう。 「あいつ、なんでイヴァンが好きなのに、サシャと結婚したんだろうな」 「は!?」 「は?」  ミハルと見つめ合い、しばし言葉を失う。パチパチと瞬いていたが、ミハルがすかさず指摘してきた。 「いや、ロマナは、イヴァンのことが前から好きだったろ!!」 「そうだったの?」 「そうだったんだよ!!」 「じゃあなんで、サシャと結婚したの?」  そういえば結婚する前、サシャに言い寄られて困っているとか話していたのを思い出す。そのまま母に報告したら、「放っておきなさい」と言っていたので放置していたのだが。  それから半年も経たずに、ロマナとサシャの結婚が決まった。 「ロマナはサシャが苦手だって言っていたのに、不思議だよね」 「それは、ロマナがお前に好意を示しているのに、いつまで経っても素っ気なくするからじゃないか?」 「いや、俺、昔からこんなだし」 「まあ……だな」  ひとまずロマナがサシャではなく、俺が好きだったという話は聞かなかったことにした。