養蜂家の青年は、双子の兄に詰め寄られる  最低最悪のタイミングで、サシャに見つかってしまった。 「ロマナ、離れて!」 「い、嫌っ!」  ロマナは離れるどころか、サシャがやってきても尚、俺にすがりつく。  どうしてこうなった。ブレッド湖に向かって、大声で叫びたい。 「お前っ!!」  あろうことか、サシャはロマナの体を突き飛ばした。  そして彼女のことは目もくれず、俺に馬乗りになって拳を上げた。 「イヴァン!! この野郎!! ロマナに手を出しやがって!!」  右頬、左頬にと、サシャは強烈な拳を叩き込んでくれた。とっさに歯を食いしばったものの、それでも激痛が走り、口の中に血の味が広がった。 「止めて、止めてください! イヴァンさんは、何も悪くありません」 「ロマナ!! お前は、黙っていろ」  近寄ってきたロマナの頬ですら、サシャは叩いた。  ロマナの体は吹き飛び、地面を転がっていく。  打ち所が悪かったのだろう。倒れたまま、起き上がろうとしない。 「サシャ、ロマナに手を、上げては、いけない」 「うるさい!! お前ら二人は、夜な夜な隠れて、楽しんでいたのかよ!! 俺のことを、陰でバカにしていたんだろう!?」 「違う……違う……!」  サシャはどうして、この場所がわかったのだろうか。  そう思った瞬間、もう一人、誰かいるのに気付いた。ツィリルだ。  目が合うと、ツィリルは一歩、二歩と後ずさる。  きっと、ロマナと俺がいないとサシャに詰め寄られ、居場所を吐くように言われたのだろう。 「……ツィリル」  逃げてと言う前に、サシャに殴られた。ゲホゲホと咳き込んだら、口の端から血が滴っていく。  視界の端で、ツィリルが走って行く様子が見えた。 「よかった」  安堵の表情ですら、気に食わないらしい。サシャは、顔面を殴り続ける。 「みんな、イヴァン、イヴァンって、お前ばかり気にするんだ!! 小さいときから、ずっと!! それが、気に食わなかったんだ!!」  そんなことはない。家族から可愛がられていたのは、明るくて元気なサシャのほうだ。  街の女の子だって、みんなサシャが好きだと言っていた。 「人気取りをしたいから、みんなの言いなりになっているんだろう? そんな人生、楽しいか?」 「さあ?」  人生が楽しいとか楽しくないとか、まったく考えたことがなかった。  これからは、自分のために生きて、人生に楽しみを見いだすのも、いいのかもしれない。  もしも、この先生きていたらだけれど。  だんだんと、視界がかすんでくる。  意識も、朦朧としていた。顔はきっと、ぐちゃぐちゃだろう。  死ぬほど痛いけれど、叫ぶ元気すらない。 「俺は、お前のことが、大嫌いだ!!」 「そう、なんだ」  俺は不思議と、サシャのことは嫌いではない。もともと一つだったものが、二つに分かれて生まれた存在だからだろうか。  サシャを、どこか自分のように思っているのだろう。 「二人も、いらなかったんだ! お前がいるから、俺は何もかも比べてしまい、劣等感に、苛まれる!」 「うん」  意識が遠退いていく中で、考える。サシャが幸せになるには、どうしたらいいのかと。  サシャ自身は、俺と真逆の思考でいるようだ。 「いなくなれ!!」  このまま目を閉じたら、きっと願いは叶うだろう。  けれど、俺はもう他人のために頑張るのを、止めたのだ。これからは、自由にさせてもらう。  サシャの拳が迫る瞬間、顔を少しだけ逸らした。一撃は空振りとなる。 「クソ!」  もう一度、サシャは拳を振り上げた。  これ以上殴られると、さすがに生死を彷徨ってしまう。 「ちょっ、待っ――」  ぎゅっと目を閉じたが、衝撃は襲ってこなかった。  そっと瞼を開くと、サシャの拳が目の前にある。  これは、いったいどういう状況なのか。よくよく耳を澄ますと、ツィリルの声が聞こえた。 「ロマナ姉ちゃん、大丈夫!? ロマナ姉ちゃん!!」  ツィリルは逃げたかと思っていたのに、戻ってきたようだ。  そして、もう一人いた。  サシャが振り下ろした拳を、握る誰かが。 「もう、止めよ。これ以上殴ったら、死んでしまうぞ」  聞いたことのある、古めかしい喋りをする低い声。  思わず、笑ってしまった。 「にゃんにゃんおじさん、じゃん」  その言葉を最後に、目の前が真っ暗になる。  最期の言葉が「にゃんにゃんおじさん、じゃん」にならなければいいなと思いつつ、意識を手放した。