養蜂家の青年は、蜜薬師の娘に結婚についての話をする 「どういうことなの? ねえ、お父様……!!」  アニャは人殺しでも見たような形相で、マクシミリニャンに問いかける。  マクシミリニャンはいまだ、腕を組み天井を仰いでいた。  娘の結婚は、父親が決める。だから、堂々としていればいいのに、なぜこのような不可解としか言えない態度に出るのか。 「私、結婚しないって言ったでしょう!? 約束したわよね、ここで、お父様と二人、命が尽きるまで暮らしましょうって」 「うむ、しかし」 「しかしじゃないわよ!!」  アニャの一喝でマクシミリニャンは萎縮し、ますます言葉を失ってしまったようだ。  どうしてこうなったものか。  どうやら、アニャは結婚する気なんてないのに、マクシミリニャンが勝手に判断して俺を連れてきてしまったようだ。  アニャの厳しい追及は続く。 「もしかして、売りに出した山羊の様子を見に行ったついでに、知り合いの家を訪ねるという話も嘘だったの!?」  アニャに責められる度に、マクシミリニャンは涙ぐんでいく。あと少しで、眦に浮かんだ涙が零れてしまいそうだった。  アニャの怒りの矛先は、俺にも向けられた。 「イヴァン、あなたも、どうしてこんなところにまでついてきたのよ!!」 「俺は、行く当てがなかったから」 「あ……そう、だったのね。ごめんなさい。でも、本気じゃないんでしょう?」 「本気じゃなかったら、こんなところまで来ないけれど。アニャがいいと言えば、結婚するつもりだった」  そう言った瞬間、アニャの顔は真っ赤になった。  なんて初心な娘なのか。こんな、顔面ボコボコの男に結婚を求められて、赤面するなんて。きっと、同じ年頃の異性と関わることなく、暮らしていたからだろう。 「で、でも、私は、私は――お父様から、聞いたでしょう?」 「初潮がきていないって話?」  アニャは一瞬泣きそうな表情となったが、すぐに俯いて顔が見えなくなる。 「私は、子どもを産めないから、結婚、できないの……」 「結婚って、子どもを産まなきゃしたらダメなの?」 「え?」 「誰が決めたの?」 「そ、それは……」 「結婚は、子どものためにするわけじゃないと、俺は思う」 「だったら、なんのために、結婚するのよ」 「他人と、家族になるため」  マクシミリニャンよりも先に、アニャの眦から涙が零れる。真珠のように、美しい涙だった。  ここで、マクシミリニャンは腹を括ったようだ。アニャに深々と、頭を下げる。 「アニャ、すまなかった。約束しておったが、どうしても、一人残ったアニャのことを考えると、いてもたってもいられなくなって……」 「お父様は、勝手だわ。私は、一人で生きる決意をしていたのに」 「すまない」  アニャは手で顔を覆い、泣きじゃくっているようだった。だが、ピタリと動きを止め、涙を拭う。  顔を上げたときには、先ほどのような弱々しい涙は見せなかった。  それどころか、淡く微笑みながらこちらを見つめる。 「イヴァン、ありがとう。あなたは、とってもいい人だわ」 「それはどうも」 「だから、私みたいな女と、結婚したらダメ」  予想外の反応である。マクシミリニャンはオロオロしながら、俺とアニャの顔を交互に見ていた。 「リブチェフ・ラズにも、婿を探している娘達がいるだろうから、紹介してあげるわ」 「でも、俺はアニャと結婚するために、ここに来たのに」 「ダメ。絶対にダメよ」 「いや、なんていうか、俺みたいな顔面ボコボコ男と結婚したくないっていうのならば、潔く山を下りるけれど」  「そうじゃないわ。別に、顔面ボコボコだから、遠回しに結婚を断っているわけではないのよ」 「だったら、なんで?」  アニャは目を泳がせながら、結婚できない理由を語り始める。 「あなたみたいないい人は、私の夫になるにはもったいないわ。別の娘と結婚して、優しいお父さんになるべきなのよ。そのほうが、きっと幸せよ」  俺と結婚したくないから、言っているわけではないようだ。嘘を言う娘には思えない。顔面が気に食わなかったら、はっきり伝えているだろう。  だったらと、立ち上がって鞄の中から革の小袋を取り出す。 「これ、蕎麦の種なんだけれど、謂われを知っている?」 「新しい土地で蕎麦の種を蒔き、三日以内に芽がでたら、そこは種を蒔いた者にとって、相応しい土地になるってやつ?」 「そう。俺はこの山に、蕎麦の種を蒔く。もしも、三日以内に芽が出たら、ずっと死ぬまでここにいる。生えなかったら、出て行く」 「そんな……蕎麦の種に、人生を託すなんて」 「そうでもしないと、アニャは俺をここに置いてくれないだろう?」 「だって、ここにいても、ただ老いて、朽ちるだけだわ」 「そうは思わない。けれど、アニャの気持ちも尊重したい。だから、俺は蕎麦の種を蒔く」  はっきり主張したら、アニャはこれ以上何も言わなかった。  この先、どうなるかはよくわからない。  アニャがはっきり拒絶している以上、いないほうがいいのかもしれないとも思う。   「蕎麦の種を、こっそり掘り返したらダメだからね」 「そんなこと、しないわよ」  強気なアニャが戻ってきたので、ホッとした。