養蜂家の青年は、結婚話を断る  いきなり、娘と結婚してくれと懇願される。思わず、なぜこうなったのかと星空を見上げた。  どんな反応をしていいものか迷ったが、素直な感想をそのまま伝えてみる。 「なんで、俺?」 「見ず知らずの我に、親切にしてくれた。それに、このようにすばらしい蜂蜜を作る男ならば、間違いなく、娘を任せても問題ないゆえに」 「そう」  マクシミリニャンは震える声で、娘について語り始める。 「アニャは今年で十九になるものの、結婚相手が見つからないのである」 「十九……」  この辺りでは、十六歳までにはだいたい結婚している。多くは父親が結婚相手を探し、話をまとめてくるのだ。  そんな慣習があるので、十九ともなれば立派な嫁ぎ遅れである。ロマナのように、両親がいない娘は仕方がない話ではあるが。  何か、絶大な問題を抱えているのだろう。間違いないと確信していた。  性格に難があるのか、それとも、とんでもない不器用な娘なのか。 「これが、アニャの作った花帯である」  花帯――それは、女性が日々、服に巻き付ける美しい刺繍が刺された帯である。父親は結婚相手を探すさいに、娘の能力を示すために見せて回るのだ。  マクシミリニャンの娘アニャの花帯は、すばらしい腕前だった。艶やかなプリムラの花々が、色鮮やかに刺されている。  これほどの腕前の娘は、街を探しても滅多にいないだろう。見せた瞬間、花嫁にしたいと言い出す男が出てくるはずだ。 「どうであろうか?」 「まあ、いいんじゃないの」 「だったら――!」  首を横に振る。結婚はできないと、はっきり示した。  「な、なにゆえなのか!? もしや、既婚者だというのか?」 「違う」 「だったら、頼む!!」  マクシミリニャンは地面に額をつけ、これでもかと懇願した。  思わず「はーー」とため息を吐く。自分について語るのは、おそろしく億劫だ。しかし、説明しなければ、ここで平伏を続けるだろう。 「俺は、継ぐべき花畑がない、財産なしの男なんだ。だから、結婚しても、養えない」  マクシミリニャンは顔を上げ、ポカンとした表情でこちらを見つめる。 「何?」 「いや、我は、婿を探しているのだ。だから、別に、問題ない。むしろ、好都合である」  娘を嫁がせるのではなく、俺自身に婿に来てほしいと望んでいると。  そこで、合点がいく。  通常、結婚するさいは女性が男性の家に入る。これが、絶対条件だ。  家業を営む家は、花嫁となった女性も働き手となる。それゆえ、婿にと望んでも断られる場合がほとんどだろう。  これほどの刺繍の腕前を持ちながら結婚相手が見つからないのは謎だったが、ようやく納得できた。 「では、今から、ご両親に挨拶を――」 「待って、待って。結婚しないから!」  マクシミリニャンは、理解しがたいという目でこちらを見つめる。  婿として迎え入れてくれるのは、好都合だ。しかし、だからといって結婚するわけにはいかない。 「この地には、大事な蜜蜂がいるから」 「ぬう!」  マクシミリニャンは悔しそうに唸る。どうにか頼むと言うが、首を横に振るしかない。  蜜蜂も大事だが、俺がいなくなったら、家族がというか、女性陣が困るだろう。  皆を見捨てて、結婚するわけにはいかないのだ。 「それにしても、婿にと望んでいたから、結婚が遅れたんだ」 「いいや、そうではない」 「え?」  マクシミリニャンの娘アニャは、婿を取る以前に問題があるらしい。 「アニャは……アニャは……」 「どうしたの?」  マクシミリニャンは険しい表情を浮かべつつ、尋常ではない様子で震え始めた。 「なんなの? 言いかけたら、余計に気になるんだけれど」 「言ったら、結婚、してくれるのか?」 「いや、それはできないけれど」 「ぐうっ!!」  マクシミリニャンは眉間に皺を寄せ、目つきを鋭くさせた。素顔も強面なのに、余計に恐ろしくなる。  いったい、アニャにどんな問題があるというのか。しばらく黙って待っていたら、マクシミリニャンは小さな声で話し始めた。 「……なのだ」 「え、何? 聞こえない」 「……潮が、……なのだ」 「だから、聞こえないって」 「初潮が、まだなのだ!!」 「なんだって!?」  マクシミリニャンの大声につられて、大きな声で反応してしまう。  初潮――すなわち月経とは、女性が子どもを産むのに必要な体の準備である。  女性を苦しめる月経については、把握していた。一週間ほど出血がある上に、頭痛や腹痛に襲われ、情緒不安定になると。母親がしっかり教えてくれたのだ。おかげで、理不尽に怒られたり、仕事がはかどったりしていなくても、「ああ、月のものがきているんだな」と自分に言い聞かせられる。  子育てをして、働いて、夫の面倒を見て、その上に月経があるなんて、女性は大変だとしみじみ思っていた。  ちらりと、マクシミリニャンを見る。額にびっしり汗をかき、顔面蒼白状態であった。 「我の言いたいことが、わかるだろうか?」 「わかるよ。子どもが、産めないんでしょう」 「ああ」   アニャが十九歳になるまで結婚できない理由を、正しく理解する。 「結婚は、アニャの初潮を待っていたのだ。しかし、いつになっても、いつになっても訪れず……」 「だったらどうして、初潮を待たずに、結婚させようと思ったの?」 「それは――我が、いつまで生きているか、わからないからな。アニャを、独りにさせるわけには、いかない」  現在、マクシミリニャンに妻はおらず、アニャと二人暮らしをしているのだろう。  人はいつ死ぬかわからない。娘を思って、家族を迎えようとしているのだという。 「子が産めぬ娘と、結婚しようという男は、もしや、いないのだろうか?」 「さあ? 世間一般の男が、どういうことを考えているかは、知らない。でも、出産は命がけだから、しなくていいのならば、それでいいんじゃない?」  これまで、多くの妊娠と出産を見守ってきた。順風満帆な出産などなかったように思える。  生まれる前に死んだ子もいたし、生まれてから死んだ子もいた。  子を亡くした挙げ句悲しみに暮れ、一年間寝込んだ義姉もいる。  出産で大量の血を失い、生死を彷徨った義姉もいた。 「子どもは、奇跡の賜物なんだよ。絶対に、結婚したら産まれるものだと考えてはいけない。別に、子どもがいてもいなくても、いいんだ。家族で手と手を取り合い、幸せになれば」  話を聞いたマクシミリニャンは、ポロポロと大粒の涙を零した。 「あ、ありがとう……!」 「いや、結婚は、しないからね」 「それでも、そういうふうに考えてくれる男がいるというのは、我ら親子の、希望になる」 「そう」  泣き続けるマクシミリニャンに、なんて言葉をかけていいのかわからない。  ちょうど鍋の湯が沸騰したので、温かい野草茶を淹れてあげた。