養蜂家の青年は、結婚前に話を聞く  かつての俺は、養蜂家として、ただただがむしゃらに働くばかりだった。  家族にいいように使われている自覚はあったものの、蜜蜂のためを思って世話を続けた。  そんな考えが、家族の歪みの原因になっていたのかもしれない。  双子の兄の嫁ロマナが、俺への好意を吐露した瞬間に、家族の関係にヒビが入ってしまった。  家を出る決意を固め、偶然出会ったマクシミリニャンの娘、アニャとの結婚を決意する。  生まれ育ったブレッド湖の光景を背にしながら、旅立った。  そして、ボービン湖を取り囲む山を登ったのだ。  マクシミリニャンの娘アニャは、息を呑むほど美しかった。  金の髪は三つ編みをクラウンのように巻き、昼間は後頭部でまとめ、夜はそのまま流している。アーモンドのような大きな瞳は、まるで青空を映しだしているかのように澄みきっていた。ふっくらとした唇は、いつも弧を描いている。  くるくると変わる表情は、どれだけ眺めていても飽きない。  アニャは明るく、太陽のような少女だった。  マクシミリニャンからは十九だと聞いていたが、見た目は完全に十三、四くらいの少女にしか見えない。  正真正銘十九歳だが、なんでもアニャは未熟児として生まれたらしい。助産師によれば、十歳まで生きられるかわからないとまで言われていたようだ。  予想に反し、アニャは元気いっぱい、健康な娘に育った。  けれど、十九になった今も、初潮がきていないという。つまり、子どもを産める状態にないのだ。  それを知って尚、俺はアニャとの結婚を受け入れた。  アニャは子どもを産めないから結婚はできないと言っていたが、俺にとっては大きな問題ではない。  義姉を何人も見てきて思うのは、妊娠、出産は女性の負担があまりにも大きすぎるというもの。  アニャの母親は産じょく熱で亡くなってしまったというし、家系的にあまり妊娠、出産に強くないのかもしれない。アニャの小さな体では、命を削ってしまうほどの負担になるだろう。だから、別に子どもなんていなくてもいいと思っている。  理解があるといっても、アニャは結婚できないというので、俺たちは結婚を蕎麦の種に賭けることとなった。三日以内に蕎麦の芽が出たら、アニャと結婚する。そう宣言した。  見事、三日目に蕎麦の芽は土から顔を覗かせたのだ。  そんなわけで、俺とアニャは結婚することとなった。   ◇◇◇  結婚する前に、マクシミリニャンより話があるという。何やら、決まりを話すようだ。  アニャと二人並んで、話を聞く。 「まず、我のことは、お義父様と呼ぶように」 「呼び方は“お義父様”、で決まっているんだ」 「何か言ったか?」 「なんでもないです、お義父様」  マクシミリニャンは満足げな表情で、コクコクと頷いた。 「次に、二人で仲良く母屋で暮らすこと」  俺が使っていた離れは、客人用なので開けておくように言われた。 「あとは、頼むから、アニャを大事に、幸せにしてやってくれ」 「それはもちろん、そのつもり」  アニャのほうをチラリと見たら、胸に手を当てて頬を赤く染めていた。可愛いやつめ。  続いて、マクシミリニャンのほうを見ると、同じく胸に手を当てて頬を染めていた。こっちはまったく可愛くない。 「話は、以上だ。これ以上、我は干渉しない。何か起こっても、夫婦の問題としてよく話し合い、解決するように」 「わかった」  アニャもコクコクと頷く。 「教会へは、いつ行くか?」  夫婦となるには、神父から祝福を受けないといけない。 「っていうか、結婚式とかしないの?」 「招く親戚はいないからな。この辺では、二人で教会に向かい、祝福を受けて、夫婦となる者が多い」 「そうなんだ」  行くならば、流蜜期になる前がいいだろう。八時間かかる登山と下山を考えたら、うんざりしてしまうけれど。 「アニャ、どうする? いつ行く?」 「別に、教会での祝福は、必要ないんじゃない? 私達の結婚は、蕎麦の芽が認めてくれたわけだし」 「それはそうだけれど、形式的なものも、大事だと思うけれど?」  マクシミリニャンもそうだと頷く。 「正直に言えば、教会が、少し苦手なの。だから、別に祝福はしなくてもいいわ」 「うーん。まあ、アニャがそう言うなら、教会での祝福はなしの方向で」  今、この瞬間から、アニャと夫婦ということになった。 「まあ、教会に行かずとも、一度二人で街に行くとよい。イヴァン殿も、必要な買い物があるだろう?」  確かに、着替えなどの生活必需品は買い足す必要がある。  アニャを付き合わせるのは悪いと思っていたが――。 「お父様、いいの!?」  「ああ、ゆっくり買い物を楽しんでくるとよい」 「やったー!」  アニャは買い物を、大いに喜んでいるようだった。  ひとまず、買い物は流蜜期に向けての準備を行ってから行くこととなる。  ◇◇◇  流蜜期は、巣から蜜が流れるほど花蜜を集める。どんどん貯めていき、巣箱は蜜で満たされてしまうのだ。場所がなくなると、女王が卵を産み付けるスペースにまで蜜を貯め込むので、注意が必要である。  蜜蜂の寿命は約四ヶ月間。このシーズンに生まれる蜜蜂が減ると、あとあと採れる蜂蜜の量に影響が出る。  巣箱の状況を把握し、必要であれば巣枠を追加しなければならないのだ。  午前中は巣枠を作り、午後からは巣箱の点検に向かう。  アニャと共に大角山羊に跨がり、崖を登り、斜面を走り抜け、川を飛び越える。  すべて見回ったあとは、川縁で休憩する。  今日は日差しが強く、汗でびっしょりだ。川に飛び込みたい気分だが、さすがにまだ春なので風邪を引くだろう。それに、川の流れは速いし、深さもかなりのものだろう。今日のところは、顔を洗うだけにしておいた。  水が滴る顔を拭こうと、背後に置いた布へ手を伸ばす。 「はい、どうぞ」 「アニャ、ありがとう」  親切なアニャが、布を手渡してくれた。 「今日は、暑いわね」 「だね」  隣に座るアニャがもぞもぞ動いていたので、何をしているのかと見つめる。  靴を脱ぎ、スカートを膝までたくしあげ、川に脚を浸け始めた。  白い脚が、これでもかと晒される。 「アニャ、何を――!」 「こうしていると、気持ちいいわよ」 「いや、若い娘が、脚を他人に見せるなんて」 「なんで? 私達、夫婦じゃない」 「あ。そうだった」  見てはいけないと思ったが、アニャは俺のお嫁さんだ。脚なんて、いくらでも見ても許されるのだ。  じっと見つめていたら、アニャは川から脚を引き抜き、たくしあげたスカートを元に戻す。 「アニャ、もういいの?」 「あなたが見るから、恥ずかしくなったのよ」 「恥ずかしくないじゃん。俺たち、夫婦なんだから」 「夫婦でも、恥ずかしいものは、恥ずかしいの」  脚を拭くので、別の方向を向いておくように命じられる。  夫婦だからいいというのは、すべての物事に当てはまらないようだ。