養蜂家の青年は、家族のために朝食を作る  朝――アニャは昨晩同様、くっついたまま眠っていた。  なぜか、手を繋いで寝ている。アニャの手が、俺の手に絡んでいる感じなので、向こうから握ってきたのだろう。  意図は謎。まあ、無意識のうちに握ったのだろうけれど。  アニャは天使のような可愛い顔で眠っていた。本当に、警戒心はゼロである。  彼女より先に目覚めてよかった。  アニャの指先が絡んだ手を引き抜き、物音を立てないようにゆっくりと目覚める。 「う……ん」  離れた瞬間、アニャは体を丸くしていた。やはり、俺で暖を取っているだけだったのだ。  足下にあった毛布を、アニャにかけてあげた。すると、眉間の皺が解れ、幸せそうな寝顔となった。  これでよし、と。  ヴィーテスは物音に反応することなく、ぐうぐう眠っていた。  着替えを確保し、洗面所で着替える。  洗った顔を拭いていると、アニャが寝間着のまま慌てた様子でやってきた。 「寝坊したわ!」 「なんで?」 「旦那様よりあとに起きたら、寝坊なの!」 「寝坊じゃないよ」  そんな決まりはないと、噛んで含めるように言い聞かせた。  しょんぼりしているアニャに、ある提案をしてみる。 「そうだ。俺、アニャに習ったエッグヌードルを作ってみようかな。作っている間に、着替えてきなよ」 「イヴァンが、ひとりで作るの?」 「うん。溶かした山羊のチーズをかけて黒コショウを振ったら、おいしそうじゃない?」 「おいしそう、かも」 「でしょう?」  そんなわけで、今日は俺が朝食当番となった。  が、一つ問題が発生する。  エプロン置き場に、フリルたっぷりのものしか置いていなかったのだ。  一瞬のためらいののちに、エプロンを掴む。  おそらくこの家は、これしかないのだろう。心を殺して、エプロンをかけた。  外に卵を採りに行くと、マクシミリニャンが山羊たちに餌を与えているところだった。 「おはよう、イヴァン殿」 「おはよう……お義父様」  お義父様、という呼びかけに満足したのか、マクシミリニャンはにこにこしながら頷いている。 「昨晩はよく眠れたか」 「まあ、ほどほどに」  これからエッグヌードルを作るのだというと、腰から吊していたかごから卵を三つくれた。「エプロン、似合っているぞ!」と言われ、送り出される。フリルたっぷりのエプロンをかけているのを、すっかり忘れていた。恥ずかしいにもほどがある。  再び心を殺し、台所に戻った。  材料を調理台に並べ、早速調理開始する。  アニャがしていたように、小麦粉の山を作り、真ん中に窪みを作ってそこに卵を落とした。 「うわっ!」  さっそく、小麦粉の堤防が崩壊し、白身が零れそうになる。慌てて小麦をかき混ぜ始めた。なんか、上手くまとまらない。 「オリーブオイルを垂らすのよ」 「あ!」  いつの間にか、アニャが背後にいた。それだけ言って、外に出て行った。マクシミリニャンの餌やりを手伝うのだろう。  アニャの言った通り、オリーブオイルを入れたら生地が滑らかになった。  薄くのばして、カットしておく。  湯が沸騰した鍋に塩をパッパと振って、麺を煮込んだ。  味見しつつ、ほどよい硬さになったら、湯からあげる。しっかり湯を切って、木皿に盛り付けた。  形は若干歪だが、上手くできたような気がする。  アニャが戻ってきたので、どの山羊のチーズを使っていいのか聞いてみた。 「左のほうから順に、熟成されているやつ。加熱してとろとろになるのは、栗の葉っぱに包まれたのだから」 「わかった」  細かくカットし、加熱してとろとろになったものを、エッグヌードルの上に垂らしていく。  仕上げに、黒コショウをかけたら、チーズパスタの完成だ。  母屋に持って行くと、なぜかアニャとマクシミリニャンが、緊張の面持ちで座っていた。 「どうしたの?」 「え!? あ、えっと、誰かに料理を作ってもらうのは、初めてだから」 「ドキドキしておる」 「そうだったんだ。お口に合えばいいけれど」  なんだか俺まで緊張してくる。  ひとまず、食前の祈りをして、心を静めた。 「よし、食べよう」 「ええ」 「うむ」  二人の反応が、気になる。息を殺し、食べる様子を見守ってしまった。   山羊の白いチーズは、麺に絡んでとろーんととろける。 「こ、これ、おいしいわ!」 「ああ、うまいな!」 「本当?」  確認するために、食べてみる。  麺はいい感じに歯ごたえがあり、山羊のチーズの濃厚な風味がよく合う。  素材の大勝利という感じだけれど、今日のところは満点を付けたい。 「イヴァン、料理の才能があるわ!」 「店が出せるぞ」 「二人共、大げさ」  そんなことを言いながらも、ニヤニヤしてしまったのは言うまでもない。  ◇◇◇  今日も今日とて、蜜蜂の様子を見て回る。  出発前に、アニャが丁寧に洗濯された腰帯を差し出す。 「これ、洗って陰干ししていたから」 「ありがとう」  受け取ったあと、アニャの視線は腰帯にあった。 「何?」 「いえ、きれいな刺繍だと思って。誰が作ったの?」 「いや、これは街で新しく買ったやつ」 「街で、売っているのね」 「まあ、うん」 「最近買ったの?」 「そうだね」  基本的に、腰帯は家族が作る。アニャのところもそうなので、質問したのだろう。  最近は、観光客用に売っているので、地味に助かった。  出発前にミハルがいくつか見繕って、持ってきてもらったのだ。 「家族は、イヴァンに作ってくれなかったの?」 「作ってくれたけれど、あれはロマナが作ったやつだから、家に置いてきた」 「ロマナ?」  口にしてから、しまったと思う。別に、名前まで言う必要はなかったのだ。 「ロマナって誰? もしかして、イヴァンの、恋人だった人?」 「違う、違う。サシャ――兄の嫁」 「お兄さんの奥さんが、どうしてイヴァンに腰帯を作るの?」 「さ、さあ? 本命用の、練習だったのかも?」  その言い訳で、アニャは納得しなかったようだ。  険しい表情で、俺を見ている。子育てシーズンの鹿みたいな鋭い目だった。 「イヴァンの腰帯、私が作るから」 「え?」 「ロマナさんが作ったものより、上手に作ってみせる!」  なぜ、ロマナと張り合うのか。  よくわからなかったけれど、アニャの力強い宣言に「よろしくお願いします」と返してしまった。