養蜂家の青年は、まさかの訪問者に目を剥く  そうこうしているうちに、太陽があかね色に染まっていく。 「あ、やべ。話し過ぎた! イヴァン、またな!」 「じゃあね――あ!」  ミハルを引き留め、用事を頼む。 「ごめん、ミハル。にゃんにゃんおじさんを見かけたら、湖の小屋に来るよう言っておいて」 「わかった。会えたらな」    今度こそ、ミハルと別れた。  太陽は沈みつつあるが、仕事はまだ終わらない。腕まくりし、作業を再開させる。  腐りかけた木材を処分していたら、しょんぼりとうな垂れるツィリルを発見した。 「ツィリル、どうしたんだ?」 「……」  涙目のまま、黙り込んでしまう。何か、嫌なことがあったのだろう。しゃがみ込んで、話をきいてみる。 「ツィリル、こっちにおいで」  白詰草の花畑が見える柵に、ツィリルを抱き上げて座らせた。ポケットに入れていた、非常食の飴玉を手のひらに握らせる。  ツィリルは飴を口に放り込み、ポロリと涙を零した。  よほど、辛い目に遭ったのだろう。  しばらく、白詰草が揺れる花畑を眺める。夕暮れ時でも、蜜蜂はせっせと蜜を集めていた。俺達と同じで、街の就業を促す鐘の音が聞こえても、仕事は終わりではないらしい。  ツィリルは服の袖で涙を拭っていたので、ハンカチを差し出す。すると、豪快に鼻をかんでいた。思わず、笑ってしまう。  ツィリルも、なんだかおかしくなったのだろう。泣きながら、笑っていた。  それから、ツィリルは何があったのかぽつり、ぽつりと話してくれた。 「ロマナ姉ちゃんからもらったクリームケーキを食べていたら、いきなりサシャ兄に頭を叩かれたんだ」 「なんだそりゃ。酷いな」 「うん。サシャ兄は、ロマナ姉ちゃんから、クリームケーキを貰ってなかったみたいで」  俺が二切れも食べたからだろうか。夫には最優先にしてほしい。 「それにしても、呆れるな。サシャの奴、食い意地が張った、恥ずかしい奴め」 「だよな」  サシャは子どもが苦手なようで、甥や姪とも極力関わらないようにしている。それなのに、ツィリルを見つけてはいじわるを言ったり、からかったりしているらしい。  たぶんだけれど、俺とツィリルの仲がいいので、変なふうに絡んでしまうのだろう。  ミハルが言っていたように、俺がこの家にいると、いろいろダメになってしまうのかもしれない。  ロマナやサシャだけではなく、ツィリルも。   「サシャ兄は、おれが、嫌いなのかな?」 「そんなことはないよ。機嫌が悪かっただけだ」 「だったら、いいけど」  しょんぼりうなだれるツィリルを、柵から下ろしてやった。  もう、元気づける菓子はないし、かける言葉も見つからない。どうしたら、元気になってくれるのか。  一個だけ、思いつく。  どうしようか迷ったが、ツィリルを元気づけるために使うことにした。 「よし! ツィリル、これから、秘密基地に案内してやる」 「え、いいの? おれ、大きくなっていないけれど」 「特別だから」 「やったー!」  花畑養蜂園からブレッド湖の小屋まで、徒歩十分ほど。  暗くなる前に、帰らないといけない。駆け足で向かった。  小屋を見せた瞬間、ツィリルの瞳はキラリと輝いた。  中を見せてやると、興奮した様子で振り返る。 「すげーー! 秘密基地だ! イヴァン兄、ここで寝泊まりしていたんだ」 「まあね」  保存食の棚と、釣り道具一式、それから就寝用の寝具があるばかりの部屋だ。だが、ツィリルにとっては最高の秘密基地なのだろう。  今日は見せるだけ。後日、また連れてきて、一緒に釣りをしようと誘った。ツィリルは頬を赤く染めながら、何度も頷く。 「一人で、ここに来たらダメだからね」 「わかった!」  帰りも走る。早く行かないと、夕食を食いっぱぐれてしまうだろう。  元気な横顔を見せているツィリルを見て、心から安堵した。  ◇◇◇  夜、ツィリルと共になんとか夕食を確保し、星空の下で食べた。  今度の休みに行く釣りについて、ああではない、こうではないと話し合っていたら、義姉がツィリルを迎えにやってきた。風呂の時間らしい。  俺も、自分で作った風呂で湯を浴びる。  大家族ともなると、風呂の順番も戦争だ。なんども沸かしては湯を追加し、というのを女性陣は繰り返している。  待つ時間がもったいないし、女性陣の手をわずらわせるのも申し訳ない。そのため、自作したのだ。  とは言っても、風呂と呼べる代物ではないのかもしれない。  大人数用の大鍋を買い、そこに水を張って外でぐつぐつ煮立たせる。それを、三分の一水を注いだ樽に注ぐだけだ。  屋外なので、冬は寒い。けれど、蜜蜂は汗の臭いに敏感なので、巣箱に近づけなくなる。  体は清潔さを保っていないといけないのだ。  石鹸で全身洗い、樽の湯船に浸かる。 「はー……」  星がきれいだ。そんなことを考えつつ、ゆったりと空を眺めていた。  家に戻ると、兄達は酒盛りを楽しんでいるようだった。いい気なものである。  屋根裏部屋に行こうとしたが、押し上げて開ける小口が開かない。 「うわっ、最悪」  誰かが、小口の上で眠っているのだろう。たまに、あるのだ。  まあ、今日は小屋に行こうと思っていたので、別にいいのだが。  にゃんにゃんおじさんこと、マクシミリニャンは小屋に来ているだろうか。きっと、必死になって婿を探していたはずだ。  肉が売れたかも、気になる。  外套を着込み、小屋へ向かった。人影はない。  来たら、扉でも叩いてくるだろう。そう思い、布団へ潜り込んだ。  まどろんでいたら、扉がトントンと叩かれる。ハッと目を覚まし、起き上がった。  マクシミリニャンだろう。  寝ぼけ眼で扉を開くと、思いがけない人物が懐へと飛び込んできた。 「イヴァンさん!」 「ロマナ!?」