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養蜂家の青年は、こっそり帰宅する

 外はまだ暗い。焚き火の始末をしてから、ランタン片手に家に戻る。

 まだ、居間のほうは灯りは灯っていないものの、台所は煌々と明るい。こっそり窓を覗き込むと、ロマナと三つ年上の兄の嫁であるパヴラが朝食と昼食の準備をしていた。

 ロマナ一人だけだったら、声でもかけようと思ったが止めた。

 裏口からこっそり家の中に入り、気配と足音を殺して屋根裏部屋まで上がる。

 屋根裏部屋へ繋がる小口をそっと開き、顔だけ覗かせる。

 狭い部屋なのに、八人もの甥と姪が転がっていた。俺が横たわって眠る隙間なんて、少しもありはしない。子どもはこういう狭い場所が大好きなのだろう。

 ため息をつきつつ、部屋に上がってはだけていた毛布をかけてやる。

 その中で、五つ年上の兄ミロシュの息子ツィリルは、俺の外套を毛布代わりに眠っていた。

 先月八歳になったツィリルは甥や姪の中で、俺に一番懐いている。仕事中もついて回ることが多い。

 眉間に皺を寄せながら眠っていたので、指先で伸ばしてやった。

 朝の早い時間は、貴重な勉強の時間である。

 ランタンを点していても子どもは起きないので、部屋の端を陣取って養蜂の本を読む。

 この国の養蜂は五百年ほどの歴史がある。

 なんといっても、養蜂の父と呼ばれるアントン・ヤンシャの存在は大きい。

 出版した二冊の書籍は、養蜂家の間で聖典とも呼ばれている。

 アントン・ヤンシャは画家になるために帝国へと渡ったが、その夢は叶わなかった。

 代わりに、当時帝国領を統治していた女帝に命じられ、帝国の地で養蜂学校の初代指導者となる。

 彼の教えは、画期的だった。

 それまでの養蜂は蜂蜜が採れたあとは巣に硫黄を流し込み、蜜蜂を殺していた。けれど、アントン・ヤンシャの養蜂は、蜜蜂と共に生きる方法を提示したのだ。

 春は巣箱を準備し、夏は蜜を採り、秋は天敵であるスズメバチを警戒し、冬は越冬の手助けをする。

 彼の教えに従うと、蜂蜜はこれまで以上に採れるようになった。

 以後、養蜂家達は蜜蜂とともに生きる方法を選択する。

 蜜蜂を大切にすれば、その気持ちに応えてくれる。しだいに、養蜂家達は蜜蜂を心から愛するようになった。

 長きにわたり、温厚な“灰色熊のカーニオラン”は、養蜂家にとってよきパートナーである。そのため、蜜蜂が死ぬと、口を揃えて「亡くなった(ウムレティ)」と嘆く。

 それほどに、養蜂家達にとって蜜蜂は大切な存在なのだ。

 春は警戒すべき蜜蜂の病気がいくつかある。

 もっとも警戒すべきなのは、ダニの発生だろう。この時季、蜂の幼虫の体液を吸い、繁殖するのだ。

 おかしな動きをしている蜜蜂や、巣穴辺りで死んでいる蜜蜂を発見したら、すぐに巣の中を確認しなければならない。

 階下から、声が聞こえる。母や義姉達が起きていたのだろう。

 屋根の隙間から、太陽の光も差し込んでいる。本を閉じ、一応、子ども達を起こして回った。

「ねえ、起きて。朝だよ。ほら!」

「うーん」

 夜遅くまで、遊んでいたのだろう。ぱっちり目覚める子はいない。ただ一人、ツィリルを除いて。

「ツィリル、起きて」

「ううん……ん?」

 ツィリルは俺の声に反応し、重たい瞼をうっすら開いた。

「イヴァン兄(にぃ)?」

「そうだよ。おはよう」

 がばりと起き上がったツィリルは、外套を掲げて抗議する。

「イヴァン兄、昨日の夜、また秘密基地に行ってただろう!?」

「まあ、ね」

「この外套を持っていたら、行かないと思っていたのに!」

「外套は、他にもあるからね」

「もー! なんだよ!」

 秘密基地とは、ブレッド湖のほとりにある小屋のことである。ツィリルにだけは、小屋の存在を教えていたのだ。

 連れて行けと言われているものの、まだ招待はしていない。自分だけの城であってほしいのもあるし、八歳の子どもが湖の近くに行き来するようになるのは危険だから。教えるのは早いだろうと考えているのだ。

「もう少し大きくなったら、教えてやるから」

「どうやったら、大きくなるんだ?」

「いっぱい食事を取って、母さんの手伝いをして、たくさん寝たら大きくなるよ」

「むうー!」

 イェゼロ家では女の子は幼少時から働かせるのに対して、男の子は自由に遊ばせている。

 けれど、そんなでは将来、父親や兄達のようになってしまう。

 だからなるべく、甥達にも仕事を手伝わせようとしていた。

 言うことを聞いてくれるのは、ツィリルだけなんだけれど。

「兄ちゃん達が、女の手伝いをしていると、女みたいになってしまうぞって言うんだ」

「バカだな。女みたいって、なんなんだよ」

「わかんない」

 兄達の教えが浸透していて、取り返しがつかない状態の甥達もいる。奴らは揃って、俺やツィリルを愚弄するのだ。

 叩く者の音が気持ちよく響いたら、調子に乗ってどんどん続けるのだろう。だから、ツィリルには言い返すなとだけ言っている。

 本当に、この家は蜜蜂の巣箱のようだ。

 女達はあくせく働き、男達は子作りしかしないで食い物を荒らす。

 ツィリルには、そんな男になってほしくない。だから、一生懸命仕事を教えているのだ。

 しょんぼりするツィリルを元気づけようと、ある提案をしてみた。

「ツィリル、今度、一緒に釣りに行こう」

「本当? 漁は、いいの?」

「うん」

 小舟を整備に出すので、漁はしないと言っていたのだ。たまには、ツィリルとのんびり釣りをするのもいいだろう。

 嬉しそうに笑みを浮かべるツィリルの頭を撫でる。

「さあ、早く支度をして。今日も、忙しいから」

「わかった!」

 新しい一日が始まろうとしていた。