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養蜂家の青年は、双子の兄を起こす大任を命じられる
大家族の朝は、戦争である。
一番広い居間は、長男一家を始めとする年上の兄達が陣取っていた。ここで優雅に朝食を食べられる者は、ごく僅かである。
あぶれた者達は、廊下で食べたり、自室で食べたり、台所の片隅で食べたり。はたまた、庭に敷物を広げて食べる猛者もいる。
料理は瞬く間になくなり、確保は困難だ。
女性陣の叫びも、響き渡る。
「イヴァン、うちの子を起こしてきて」
「それが終わったら、うちの末っ子の着替えをさせて」
「あの子、見なかった?」
義姉達は、顔を合わせるたびにあれやこれやと仕事と頼んでくる。朝食を確保する余裕なんて、どこにもない。
俺が生まれる前から、こんな毎日である。
兄達がのんびりパンをかじっている様子が視界に入っても、怒る心はすり減っている。今では、何も感じなくなっている。
女性陣の言いつけは十を超え、最後の最後に、母から最低最悪の仕事を命じられる。
「イヴァン、サシャを起こしてきて」
「ええ~」
「ええ、じゃないわよ!」
今日も、サシャは朝寝坊である。起こしても、働くわけではないので寝かせておけばいいのに。そう答えると、「朝食を食べ損ねるでしょう!」と怒る。
あれこれと動いているうちに、腹がぐーっと鳴っていた。やっと、俺の腹も目覚めたらしい。マクシミリニャンに貰って食べた兎の串焼きを食べていたものの、空腹を訴えていた。
「お腹が空いたら、自分で起きてきて適当に食べると思うけれど」
「いいから、起こしてきなさい!」
毎日働く息子よりも、働かない息子が朝食を食べるほうが大事らしい。
母はいつだってそうだ。先に生まれた子どもほど、愛情たっぷりに育てる。だから、イェゼロ家の男達は甘えて、自由気ままに暮らしているのだ。
「サシャの好物の、マスのスープを作ったと言えば、すぐに目を覚ますから」
「はいはい」
気が進まないが、母の命令には逆らえない。重たい足を素早く引きずりながら、サシャを起こしに向かう。
生意気なことに、サシャは一階のそこそこ広い部屋をロマナとの夫婦の部屋として与えられた。十歳年上の兄ゾルターンが使っていた部屋で、彼らの離れが完成したために入れ替わる形になったのだ。
そんなサシャの部屋の扉を叩くものの、返事はない。ため息を一つ零し、中へと入る。
「サシャ、入るよ」
部屋は、大きな窓に二人用の寝台、それからテーブルや棚などの家具が置かれた立派なものである。
サシャは寝台で、枕を抱きしめて眠っていた。服は着ておらず、白い肌をおしげもなくさらしている。窓を開き、被っていた毛布を取ってサシャの名前を叫んだ。
「サシャ!!」
朝のひんやりとした風が吹く。すると、うめき声をあげながら目を覚ました。
開口一番、物騒な言葉を吐き捨てる。
「イヴァン、殺すぞ」
「同じ言葉を返すよ。早く起きないと、母さんが俺に怒ってくる」
「クソババアが」
この通り、サシャは大変口が悪い。
双子に生まれたものの、性格は天と地ほども異なる。
彼は昔から傲慢で、我が儘で、自分勝手な男なのだ。
同じ顔に生まれたばかりに、何度サシャのいたずらの罪をなすりつけられたことか。
恨み話は、一晩中話しても尽きないだろう。
そんなサシャの悪癖は、“俺の物を欲しがる”こと。
菓子、食事、友達、犬など、俺が努力して得たものを、なんでも欲しがるのだ。
ロマナだって、そうだろう。俺と打ち解けている様子を見て、自分の物にしたくなったのだろう。
初めてサシャがロマナに出会ったときに、薄汚れていた彼女を「汚いから、捨ててこい」なんて言った。それなのに、数年後に結婚すると言いだしたときは驚いたものだ。
今まで、どれだけの物を奪われて、悔しい気持ちになったか。
ミハルはサシャの性格の悪さを知っているので、どんな甘い言葉を吐かれても気を許さない。
唯一、親友といってもいい存在だろう。
それからもう一つ。
養蜂の仕事はいくら頑張っても、サシャは奪わない。
だから俺は、何事にも興味がない振りをして、仕事にだけは情熱を燃やすようにしていた。
「なあ、イヴァン」
「何?」
「昨晩のロマナも、よかったぜ」
サシャは俺が、ロマナを好きだと今でも思い込んでいる。こうやって、情事の感想を自慢げに話してくるのだ。
ロマナに対する感情は、異性としての好意ではない。妹みたいな存在だと思っている。
サシャと結婚すると言ったときは、さすがに反対した。けれど、ロマナの決意は揺るがなかったのだ。
それを見て、サシャはさらに勘違いをしたのだろう。
夫婦の情事の話なんて、死ぬほどどうでもいい。勘弁してくれと、心から思っている。
ここで嫌がるとサシャは喜ぶので、無視をするに限るのだ。
「おい、なんか言えよ。言葉がわからないわけじゃないだろうが!」
「はいはい、幸せそうで、何よりです」
そう答えると、サシャは枕を投げ飛ばしてくる。
起き抜けなので、そこまで勢いはない。ひらりと躱し、サシャの部屋をあとにした。
そうこうしているうちに、朝食はなくなる。これが、いつもの朝の風景であった。