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養蜂家の青年は、親友に事情を話す

 小屋に移動し、事の次第をすべて話した。それから、独立を決意して家を出ることも。

「そうか。そんなことがあったのか。まあ、いつか何か起こるだろうなとは思っていた」

「よく、わかったね」

「長年、お前とロマナを見ていたからな」

 ミハルは仕事をする俺を熱烈に見つめるロマナの姿を、何度か目撃していたらしい。

 普段の態度も、俺とそれ以外の人に対する言動や行動は、まったく違っていたようだ。

「街の男がさ、使いにやってきていたロマナに、茶でも飲まないかって声をかけたことがあったらしいんだ。そのときのロマナは、ダニでも見るような目で相手を見ながら、“忙しいので”なんて返していたんだとよ。ロマナが優しいのは、お前とお前の家族だけだったんだ」

「そうだったんだ」

「一番怖かった瞬間は、ここ最近だったかな。お前を見つめるロマナを、背後からサシャが睨んでいるときだった。ありゃイヴァン、いつか刺されるのではと思っていた」

「だから、サシャに気を付けろって言っていたんだな」

 ミハルは険しい表情で、うんうんと頷く。

「しかし、狂っているように見えて、どこか手加減していたのかもしれないな」

「手加減、していた? 俺の顔、ぐちゃぐちゃなんだけど」

「本気を出していたら、歯が折れていたり、骨が折れていたりしていただろう」

「あー、そうだね」

 会話が途切れ、なんとなく空を見上げる。気持ちいいくらいの晴天だった。

「思ったんだけどさ、サシャって、お前が好きで好きで堪らなかったんじゃないのか?」

「は!?」

 ミハルの言葉から、真冬のブレッド湖の水を頭からぶちまけられるほどの衝撃を受ける。

「本気で言っているの?」

「うん。だって、サシャがおかしくなったの、ロマナが来てからなんだろう? それまで、よく遊んでいたし、養蜂の仕事もたまにだけど手伝っていたじゃん」

「まー、うん」

 サシャが変わったのは、思春期だからだと思っていた。けれど、記憶を遡ってみると、ロマナを家で引き取った時期とぴったり重なる。

「いや、でも、ありえないよ」

「いや、ありえるんだな。俺も、サシャとイヴァンが一緒にいるところに仲間に入ろうとしたら、めちゃくちゃ睨まれたことがあったんだ」

「えー」

「たぶん、サシャにとって、イヴァンはもう一人の自分なんだよ。だから、ロマナに取られて面白くなかったし、俺とも仲良くもしてほしくなかった。この気持ちを持て余した結果、イヴァンの気を引こうと、あれこれいやみを言ってきたり、ロマナと結婚してみたりしたんじゃないかな」

「でも、もう一人の自分を、めちゃくちゃに殴る?」

「自傷行為的な?」

「傷ついているのは、もれなく俺だけなんだけれどね」

 ミハルの言っていることは、あながち間違いではないのかもしれない。

 サシャに対する何でも許してしまう気持ちは、母やミハルには理解できないと言われた記憶がある。同じように、他人にできない俺に対する想いを、サシャも持っているのだろう。

「うん。なんか、しっくりきた。やっぱり、俺はこの家にいてはいけなかったんだ」

「そういや、出て行くって言っていたな。これからどうするんだ?」

「にゃんにゃんおじさんの娘と、結婚するよ」

「はあ!? お前、ここを出て行くっていうのか?」

「だって、家を出ても、街にいたら家族やロマナと会うかもしれないでしょう」

「それはそうだけれど……。にゃんにゃんおじさんの家は、ここから離れた場所にある、秘境なんだろう?」

「そう」

「なんだよ。いつ、行くんだ?」

「明日の昼くらい」

「は!?」

「明日までに、ミハルのお祖父さんや親父さんに宛てた手紙を書くから」

「いやいやいや、なんで!? 早すぎないか?」

「もう、決めたんだ」

「そりゃないぜ、イヴァン」

「ごめん」

 これまで、ミハルの家族は本当によくしてくれた。心から、感謝する。

「俺、ミハルと、ミハルの家族のおかげで、腐らずに暮らしていけたんだ。本当の家族みたいに、思っているよ」

「本当の家族だったら、出て行くなよ」

「俺も、そう思うけれど、自分の人生は、誰かに居場所を与えられるものではなくて、自分で切り開きたいんだ」

「……」

 急に黙り込んだので、ミハルを見る。瞳が、若干潤んでいるような気がした。

「イヴァン、俺、お前の新しい人生を、応援したい。でも、今は、急すぎて、なんて言葉をかけていいのか、わからないや」

「本当に、ごめん」

 ミハルは立ち上がり、明日、またくると言う。

 去りゆくミハルに、頭を下げた。

 ◇◇◇

 屋根裏部屋を封鎖し、荷物の整理を行う。

 不要なものは、甥や姪にあげることにした。

 母やロマナが作ってくれた外套や服は、置いて行く。自分で買い集めた品だけ、持って行くようにしたい。

 数枚のシャツにズボン、ミハルが譲ってくれた外套、それから下着類。ちょっとした小物に、これまで作ったり貰ったりした保存食など。

 もっとも大事なのは、養蜂家の父アントン・ヤンシャが執筆した二冊の書籍である。

 飲んだくれの父がたまにお使いを頼むことがあり、そのお駄賃を貯めて買った品だ。俺の、宝物でもある。

 かつて、アントン・ヤンシャは画家になるために見知らぬ地へと渡った。

 同じように、俺も明日、見知らぬ土地へと旅立つ。

 いったい、どんな暮らしが待っているのか。まったく想像もできない。

 不安はなかった。

 だって、自分が望んで選んだ道だから。