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養蜂家の青年は、残る者に話をする

 兄や義姉達は、顔を包帯で巻かれた俺を見て、いたたまれないような表情をしている。

 何も聞いてこないのは、母から口止めされているのだろう。

 非常によそよそしいが、今はその対応は逆にありがたい。

 口の中が痛いので、誰かと話そうという気にもならないし。

 大人達の対応は非常に助かっていたが、深い事情を理解できない子ども達は容赦しない。

 俺を見つけるたびに、笑ったりじゃれついてきたりする。正直、勘弁してほしい。

 明日まで母の部屋を使っていいというので、引きこもって手紙を書くことにした。

 机と椅子があるので、非常に助かる。屋根裏部屋は昼間でも薄暗いし、天井が低いので机や椅子などを持ち込めない。とても、手紙が書けるような環境ではなかった。

 以前、ミハルの実家の店で買った便せん一式を荷造りの中から取り出した。何年もしまっていたので、便せんは色あせている。

 手紙を出す相手なんていないのに、どうして買ったのか。昔の自分の行動が、まったく理解できない。

 しかしまあ、今日役に立っているのでよしとする。

 手紙を書くのは、ミハルの家族と仲がよかった精肉店、生花店、八百屋の店主や従業員。取り引きをする上で親しくしていた。

 きっと俺が独立すると聞いたら、驚くだろう。

 サラサラと手紙を書いていたら、遠慮気味に扉が叩かれた。

「誰?」

「おれ……ツィリル」

 扉を開くと、ツィリルがいたたまれないような表情で立っていた。

 目が合うと、サッと顔を逸らす。

「どうしたの?」

「ちょっと、話したくて」

 ツィリルの手を握り、部屋へと誘う。寝台を椅子代わりに進めたが、なかなか座ろうとしない。

「どうしたの?」

「顔、大丈夫?」

「大丈夫ではないけれど、骨は折れていないし、先生の薬があるから、たぶん早めに治ると思う」

「そ、そっか」

 心配して、様子を見に来てくれたようだ。ここで、マクシミリニャンを呼んできてくれた件に関する感謝の気持ちを伝えた。

「暗い中、おじさんを呼びに行ってくれて、ありがとう」

「う、うん。おれが、喧嘩を止められたら、よかったんだけれど」

 昨日の記憶が甦ったのか、ツィリルの肩が震えていた。

 可哀想に。きっと、サシャが怖かったのだろう。

「暗闇の中、別の大人に助けを求めに行ってくれただけでも、大したものだよ。勇敢だ」

「勇敢なんかじゃないよ。おれ、一回、おじさんの顔を見て、逃げてしまったんだ」

 その気持ちは、大いに理解できる。暗闇の中でマクシミリニャンと出会ったら、逃げたくなるだろう。別に、おかしなことではない。

「それで、どうしたの?」

「おじさんが、追いかけてきたんだ」

 あとからマクシミリニャンに話を聞いたところ、深夜に子どもが一人でいたため、保護しなくてはという思いに駆られたらしい。

 強面で服がボロボロの中年親父が追いかけてきたら、大人の俺でも普通に怖い。ツィリルの恐怖は、かなりのものだっただろう。

「最終的には捕まってしまって、イヴァン兄の名前を叫んだら、おじさんがイヴァン殿を知っているのか? って聞いてきたんだ」

 俺の知り合いだとわかるやいなや、助けを求めたらしい。その後、ツィリルを抱えて小屋に駆けつけてくれたようだ。

「おれが逃げなかったら、もっと早く助けられたのに。ごめん」

「そんなことはないよ。ありがとう」

 頭をぐりぐり撫でてやると、ツィリルの強ばっていた表情が解れた。が、すぐに眉間に皺が寄る。

「あの、さっき、母さんからイヴァン兄が家を出て行くって話を聞いたんだけれど、嘘、だよね?」

「あー」

 そうだった。ツィリルにも、きちんと話しておこうと思っていたのだ。

「ツィリル、俺、この家を出て行くんだ」

「ど、どうして!?」

「どうしてって言われても、説明が難しいな」

「サシャ兄と喧嘩して、仲直りできないから?」

「うーん。まあ、わかりやすく言えば、そうかな」

「だったら、おれがサシャ兄に、イヴァン兄と仲直りしてって、言うから」

「仲直りしたから、出て行かないってわけでもないんだ」

 サシャとロマナの関係を崩してしまった原因は、俺にある。だが、その責任を取るように家を出て行くわけではない。

 このままだと、イェゼロ家がダニに寄生された蜜蜂の巣箱のようになってしまう。もちろん、前向きな気持ちで出て行くという気持ちも大いにある。

 その辺の繊細な事情を、ツィリルにわかるように説明するのは難しい。 

「ひどいよ……。おれを置いて、出て行くなんて」

「うん、そうだね」

 否定はできない。けれど、この家の男手は、俺以外にもある。

 今後のイェゼロ家がどうなるのかは、母の采配しだいだ。

 ツィリルはポロポロと、涙を零していた。こんなに、子どもから好かれる事なんて、二度とないだろう。小さな体を、ぎゅっと抱きしめてやる。

「イヴァン兄、おれも、連れて行って!」

「それはダメ」

 山岳での養蜂だなんて、ツィリルには絶対に無理だ。養蜂家としても見習い未満なので、この家で修行が必要である。

 ただ、気がかりなこともあった。

 このままでは、ツィリルは俺と同じ道を辿ってしまうだろう。

 だから、その辺はきちんと忠告しておく。

「ツィリル、労働には、対価を要求できるんだ。家族だからといって、無償で働いていたら、自分の価値をどんどん下げることになる」

「タイカ? ムショウ? カチ? よくわかんないよ」

「働いたら、ご褒美が貰えるのが普通ってこと。誰かに仕事を頼まれたら、何を貰えるのって、聞くんだ。もしも拒絶したら、しなくていい」

「うーん?」

「たとえばだけれど、働いたら、飴を一つもらう。飴が貰えなかったら、仕事はしない。そういうこと。人はみんな、飴を貰えるから、仕事をしているんだ」

「あー、なるほど」

 菓子で喩えたら、少しは理解を示してくれた。先行きは不安ではあるが。

「どの仕事が、飴玉一つになるのかも、考えるのも大事だからね」

「難しい話だな」

 ただ、ちょっとした手伝いでも報酬を要求したら、女性陣から顰蹙を買うだろう。その辺は、非常に難しいところだ。

 家を出る前に、母に話しておいたほうがいいだろう。

「イヴァン兄が、その辺も教えてくれたらよかったのに」

「そうだね。ごめん」

 しょんぼりとするツィリルの手のひらに、あるものを握らせる。

 それは、ブレッド湖のほとりにある、小屋の鍵だ。

「イヴァン兄、これ!」

「一人で行ったら、ダメだからね。父さんか、兄さんと一緒に行くんだ」

「う、うん」

 ツィリルには、五つ年上の兄がいる。十三歳なので、任せても大丈夫だろう。

「おれが、もらってもいいの?」

「ああ。その代わりに、ミハルのお祖父さんの、漁を手伝ってくれないか?」

 腰が悪いのに、張り切って漁にでかけているのだ。たぶん、俺がいなくなったあとはミハルが渋々手伝うだろうが、ツィリルもいたらさらに助かるだろう。

 ツィリルは、コクリと頷いてくれた。

「ねえ、イヴァン兄、ずっと、会えないわけじゃないよね?」

「もちろん」

「よかった」

 ここでようやく、ツィリルは安堵の表情を見せてくれた。