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養蜂家の青年は、蜜薬師の娘と話をする  アニャはとてもお喋りだった。こちらが何か言おうとする前に、矢継ぎ早に話しかけてくる。相槌を打つだけでも、大変だ。

「それにしても、酷い怪我ね。いったい、どうしたの?」 「兄弟喧嘩」 「まあ! ここまでしなくてもいいのに」

 こればかりは、完全同意である。

「でも、あなたは、やりかえさなかったのね」 「どうしてわかったの?」 「同じように殴り返したら、手の甲にも痣ができているはずだもの」 「ああ、そっか」

 俺をボコボコに殴ったサシャの手の甲は、おそらく痣だらけだろう。  同じように、痛がっているに違いない。

「こんなの、兄弟喧嘩じゃないわ。ただの暴力よ」 「そうかも」 「そうかもって、暢気ね。あなた、もしかして悪くないのに、暴力をふるわれたんじゃないの?」 「さあ、どうだったか」 「なんで、顔中痣だらけにされたのに、のほほんとしているのよ!」 「性分だから」

 アニャは盛大なため息を吐いている。怒ったり、微笑んだり、呆れたり。感情表現が豊かな娘だ。  普段、何が起こってもあまり感情を揺さぶられることはないので、少しだけ羨ましくなってしまう。

「あなた、名前は?」 「イヴァン」 「いい名前ね。私は――」 「アニャ?」 「そうよ」

 小首を傾げると、アニャの蜂蜜色の髪がサラリと流れる。恐ろしく手触りがいい髪だということが、触れなくてもわかるほどだ。  なんとなく、不躾に見つめるのは失礼な気がして、窓の向こう側に視線を移した。

 太陽はあっという間に沈んでいく。外は真っ暗だ。この状況では、登山など困難だっただろう。満身創痍であったが、なんとかたどり着けてよかった。

「ねえ、イヴァン。あなた、いくつなの?」 「二十歳」 「ふうん。ねぇ、私はいくつに見える?」 「十九」 「本当!? 私、十九に見える!?」

 幼い顔立ちや、小柄な体型はとても十九の娘には見えない。けれど、女性的な部分はしっかり十九の娘そのものである。    アニャは満面の笑みを浮かべ、俺に聞き返してくる。

「十九歳に見えるって、嘘じゃないわよね?」 「見えるよ」 「やったー!」

 十九の娘は「やったー!」などと言って喜ばないだろうが、その辺は黙っておく。

「リブチェフ・ラズにいる男が、私はいつまで経ってもお子様だって言うのよ。酷いと思わない?」 「見た目を、ああだこうだと言ってからかうのは、よくないかも」 「でしょう? 今度、会ったら、その言葉を浴びせてみせるわ」 「まあ、もめごとにならない程度にね」

 話しながらも、アニャは俺の顔に蜂蜜を塗りたくっている。顔中ベタベタだ。

「唇も、乾燥しているわね」

 そう呟くと、アニャは俺の唇に蜂蜜が付いた指先を這わせる。

「むっ!?」 「喋らないで、大人しくしていなさい」

 普段誰も触れないような場所なので、盛大に照れてしまう。綺麗に顔を洗ったばかりなのに、冷や汗もかいているような気がした。

「これでよしっと! あとは、安静にしていなさいね」 「……」 「返事は?」 「はい」 「よろしい!」

 治療が済んだのと同時に、マクシミリニャンがやってきて言った。

「風呂の準備ができた。イヴァン殿、先に入られよ」 「え、俺は別に最後でも」 「さっさと入りなさいな。その間に、食事を温めておくから」

 なんとなく、アニャには逆らわないほうがいいと思い、大人しく風呂に入ることにした。  着替えを鞄の中から取り出して立ち上がると、再びアニャに腕を引かれる。   「イヴァン、案内するわ。こっちよ」

 下屋のほうにある扉を開くと、そこは台所だった。窯と暖炉が一体化した物がどんと鎮座している。調理台や食器棚はあるが、食卓はない。ここで料理を作り、母屋に持って行って食べるのだろう。  さらに奥にある扉の向こう側に、風呂があった。窯の熱を利用して、温めるものらしい。  先ほどまでパンでも焼いていたのか、香ばしい匂いが漂っていた。  木製の浴槽には、ホカホカ湯気が漂う湯で満たされている。

「蜂蜜湯にしてあげるわ。ゆっくり眠れるから」 「蜂蜜湯?」

 アニャはテキパキと動き、蜂蜜の瓶と何かの小瓶を持ってきた。

「それは?」 「ラベンダーの蜂蜜と精油よ」

 皿にラベンダーの蜂蜜と精油を混ぜ、それを湯に溶かす。ふんわりと甘い蜂蜜とラベンダーの香りが漂ってきた。

「じゃあ、ごゆっくり」 「ありがとう」

 服を脱ぎ、天井からぶら下がっているカゴに放り込む。  蜂蜜湯を被り、石鹸で体を洗った。  ブクブクと泡立つ石鹸から、蜂蜜の匂いを感じる。よくよく見たら、石鹸はほのかに蜂蜜色だ。まさか、石鹸まで蜂蜜を使っているとは。  体を洗い流すと、浴室の扉が開かれた。

「イヴァン、髪を洗ってあげるわ!」 「うわぁ!!」

 まさかのアニャの登場に、目を剥く。

「な、なんで!?」 「せっかく蜂蜜を顔に塗ったのに、お湯を被ったら落ちてしまうでしょう? 私が、顔にかからないように、洗ってあげるわ」 「いいよ!」 「遠慮しなくてもいいから」

 決して、遠慮ではない。それなのに、アニャは腕まくりをしながらズンズン浴室に入り、たらいを手に取る。

「すぐに終わるから、大人しくしていなさい」

 多分、拒絶しても聞いてくれないだろう。仕方がないので、近くにあった手巾で股間を隠した。たぶん、もう見られているだろうけれど……。

 その後、アニャはわしわしと頭を洗ってくれた。ほどよい力加減で、思っていた以上に気持ちよかった。ついでに、背中も流してくれる。

「痛くない?」 「痛くない。ちょうどいい」 「よかったわ」

 誰かに体を洗ってもらうことが、こんなに気持ちいいなんて知らなかった。  いつも以上に、さっぱりとした気分になる。

「アニャ、ありがとう」 「どういたしまして。あとはゆっくり、お湯に浸かりなさいね」

 湯の中では、百を数えるまで上がったらダメだと言われた。  完全に、小さな子どもと同じ扱いであった。