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養蜂家の青年は、蜜薬師の花嫁と蜜薬を作る

 アニャは月に一度、一人で村に下りて具合が悪い村人の話を聞いたり、作った蜜薬を店に卸したりしているらしい。

 家畜や犬の世話があるので、マクシミリニャンと一緒に行くことはないようだ。

 今回、買い物のついでに、それらも済ませるらしい。アニャはせっせと薬作りを行っている。今日一日、助手を務めるよう命じられた。

「最初に作るのは、売れ筋の打ち身軟膏よ」

 力仕事をしていたら、知らぬ間に青あざができているときがある。あれは、地味に痛い。

 もしも街で打ち身に効く薬が売っていたら買っていただろう。それほど、打ち身だらけの毎日を送っていたような気がする。

「アルニカという花を使って作るの」

 乾燥させた黄色い花を、アニャは見せてくれた。

「このアルニカには、内出血を治してくれる力があるわ。他にも、筋肉痛やねんざに効果を示すのよ」

「へえ、そうなんだ」

 じめっとした、山の高い位置に自生しているらしい。

 夏から秋にかけて開花し、花の部分のみを摘んで使うのだとか。

「まず、煮沸消毒した瓶に乾燥させたアルニカを入れて、オリーブオイルにじっくり漬けていくの」

 本日は瓶十個分作るらしい。アニャがアルニカを入れて、そのあと俺がオリーブオイルを瓶に注ぐ。

「これを、日当たりがいい窓際に半月置くのよ。その間に、オリーブオイルに有効成分が染み出てくるの。半月経ったものが、あれよ!」

 アニャは窓際に置いてあった瓶を指し示す。

「あれ、アルニカをオリーブオイルに漬けたやつなんだ。なんか、食べ物だと思っていた」

「食べ物はだいたい、地下に保存しているわよ」

「だよね」

 オリーブオイルに漬けたアルニカを、漉していく。アルニカ自体も絞って、有効成分を一滴たりとも無駄にしない。

 オリーブオイルでベタベタになった手を洗い、次なる作業に移る。

「ボウルにアルニカの成分を含んだオリーブオイルに蜜蝋を加えて、湯煎で溶かしていくの。クリーム状になったら、打ち身軟膏の完成よ」

 打ち身軟膏を、小さな瓶にせっせと詰める。最後に空気を抜くため、トントンと底を叩きつけておくのを忘れない。

 瓶には、“アニャの蜜薬・打ち身軟膏”と書かれた紙を巻いて紐で縛る。

「これにて、打ち身軟膏の完成よ」

「おー!」

 薬だけでなく、女性用の美容品も作っているらしい。

「日焼け止めに、リップバーム、化粧水にハンドクリームとか、いろいろね」

 美容品も人気のようで、すぐに売り切れてしまうようだ。

「とうとう、明日になったわね」

「そうだね」

「いつも一人で行っているから、なんだか楽しみだわ」

 アニャがにこにこしているので、俺までなんだか楽しみになってきた。

 こんな感情なんて、いつ振りだろうか。

 不思議な気分だった。

 ◇◇◇

 朝――目覚めると着替えが入っているカゴに何も入っていなかった。アニャはまだ夢の中。先に、歯磨きと顔を洗いに行く。

 鏡を覗き込んだら、顔面の怪我がすっかり治っているのに気づいた。

 昨日までは若干顔が腫れていたが、アニャの打ち身軟膏が効いたのだろうか。ボウルにこびりついていたものを、塗ってもらっていたのだ。

 久しぶりに、自分の顔を見たような気がする。こんな顔だったんだ、と我がことながら思ってしまった。

 顔を拭く大判の布を手に取ったら、一緒に着替えが置いてあることに気づいた。手紙も添えてある。

 手に取ってみると、新しくアニャが作ったであろう服だった。

 リネンで作った腰まで丈がある長袖の貫頭衣に、黒いズボン。それから、アニャが作ってくれた蔦模様が刺繍された腰帯がきれいに畳まれていた。

「え、何これ、すごい……!」

 腰帯を手に取る。蔦を刺した刺繍が立体的だった。きっと、故郷の女性が作る刺繍とは異なる縫い方をしているのだろう。

 精緻で、繊細で、美しい。すっと伸びる姿は、結婚という意味があるという。

 アニャと俺の縁を繋ぐような腰帯だろう。

 腰に巻いて結んでみる。端には房飾りがあってとてもオシャレだ。寸法もぴったり。作業に邪魔にならないような長さで結んだ先が垂れているのが、カッコイイと思った。

 なんていうか、気が引き締まる腰帯である。

 手紙には一言。“イヴァン、いつもありがとう”と書かれていた。

 毎日忙しいのに、暇を見つけて作ってくれたのだ。なんだか泣けてくる。

 アニャはありったけのものを、俺に差し出してくれる。そんな彼女に、何を返せるのだろうか?

 と、感激している場合ではない。そろそろ、マクシミリニャンやアニャが起きてくる時間だろう。素早く着替えた。

 リネンの上着とズボンは、驚くほど着心地がいい。この服に、アニャの腰帯がしっくりくるのだ。

 せっかくアニャがすばらしい服を作ってくれたのだから、相応しい姿にならなければ。髪を梳ろうと思って、鏡に向き直る。しっかり櫛を通したが、癖毛なので見た目は変わらないという結果に終わった。

 居間のほうから物音が聞こえた。アニャが起きてきたのかもしれない。

 ひょっこり顔を覗かせると、起きたばかりであろうアニャと目があった。

「あの、アニャ、これ、ありがとう」

「あ、えっと、イヴァン。その、よく似合っているわ」

 なんだかぎこちない態度だった。どうしたのだろうか。

「なんか、変だった?」

「変じゃないわ! ちょっと、いつもと雰囲気が違うから、驚いて。あの、イヴァン、あなた、そんな顔をしていたのね」

 そうだった。今日、やっと怪我が完治したのだ。ボコボコでないきちんとした顔を、アニャが見たのは初めてだったのだろう。

「そんな整った顔立ちをしていたなんて、知らなかったわ」

「整った顔立ち?」

「なんでもないわ! 忘れて!」

 そういえば、同じ顔をしたサシャは「カッコイイ!」とか言われていたような気がする。一度も言われたことがなかったので、自分の顔についてあまり意識していなかった。

 というかよく、顔がボコボコの男と結婚してくれたなと、しみじみと思ってしまった。