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養蜂家の青年は、蜜薬師の娘と一緒に薬用クリームを作る

 帰宅後、アニャが俺の顔の傷や腫れを改めて確認したいという。

 アニャはじっと、覗き込んでくる。きれいな顔が接近したので、身を引いてしまった。

 よく見えないから、動くなと怒られる。

 見えなければいいのだと思い、瞼を閉じた。

「うん。だいぶいいわね。近いうちに、腫れも完全に引くと思うわ」

「アニャのおかげだ」

「まあ、私は蜜薬師ですから」

 瞼を開くと、胸を張るアニャの姿があった。その様子を想像していたので、笑ってしまう。

「ちょっとイヴァン、どうして笑ったのよ」

「いや、アニャが、かわいいから」

「かわいい!? 私が!?」

「え、うん」

 改めて聞き返されると、照れてしまう。その辺は、サラッと流してほしかった。

「私、かわいいんだ」

「よく言われるでしょう?」

「言われたことなんて、一度もないわよ。イヴァンが初めて。リブチェフ・ラズにいる男なんか、ブスとか、かわいくないとか、言ってくるし」

「あー……」

 リブチェフ・ラズにいる男とは、以前アニャに「いつまで経ってもお子様だ」と言っていた奴だろう。

 当然、「ブス」や「かわいくない」と声をかけたのは、アニャの気を引くためだ。口が裂けても、アニャには言わないけれど。

 どうして酷いことを言って、怒らせるのだろうか。本当に、理解に苦しむ。

 リブチェフ・ラズの男が言ったことを思い出したからなのか。アニャは顔を俯かせ、シュンとしている。きっと、マクシミリニャンも心の中ではかわいいと思っていても、口には出さなかったのだろう。

 仕方がないと思い、本日二回目のかわいいを発する。

「アニャはかわいいよ。他の男が言うことなんか、気にするな」

 すると、アニャは顔を上げて、花が綻ぶような笑顔を見せてくれた。

 リブチェフ・ラズの男は知らないのだろう。アニャに「かわいい」といったら、こんなに愛らしい微笑みを見せてくれることを。

 絶対に、人生を損している。

「イヴァンがそう言うなら、もう、気にしない」

 にこにこしていたアニャだったが、すぐさまハッとなる。いったいどうしたのか。

 笑顔だったアニャの顔が、だんだん無となった。

「アニャ、どうしたの?」

「イヴァン、あなた、ずいぶんと女慣れをしているようだけれど?」

「女慣れって……」

「会う女性全員に、かわいい、かわいいって、言って回っているんじゃないの?」

「ないない、ないから。女慣れしているように見えるのは、兄の嫁が十三人もいたから。俺より年上の姪だっているし」

「兄嫁と、姪?」

「全員、身内。実家は女所帯だから」

「そう、だったんだ」

「かわいいなんて、赤ちゃん時代の姪や甥以外で、言ったことがないし」

「だったら、同じ年頃では、私は初めて?」

「まあ、そうだね」

「だったら、いいわ」

 機嫌が直ったようなので、ホッとする。

 ◇◇◇

 夕食が済んだら、アニャに呼び出される。

「夜に塗る薬用クリームを作りましょう」

「そんなのがあるんだ」

「ええ。眠っている間に、肌を再生してくれるのよ」

 材料は蜜蝋にオリーブオイル、蒸留水に乳香、薔薇精油。

「まず、薬鍋にオリーブオイルと蜜蝋を入れて、湯煎で溶かすの」

 アニャは慣れた手つきで、作業を進めていく。

「次に、湯煎から薬鍋を上げて、精油を垂らして混ぜるのよ」

 これを煮沸消毒した瓶に詰め、熱が引いたら夜専用の薬用クリームの完成となる。

「乳香には、癒傷ゆしょう作用や鎮痛、瘢痕はんこん形成作用――かさぶたを作る能力を促す力があるの」

 それに、肌の保湿効果がある蜜蝋や炎症を抑える効果がある薔薇精油を加えることによって、肌の再生を促すクリームが完成するようだ。

「アニャの知識は、本当にすごいね。でも、それは、誰から習ったの?」

「先生は、お母様が遺した本だったの」

 アニャの母親も、かつて蜜薬師と呼ばれる存在だったらしい。

 そもそも、蜜薬師とはなんぞや。

「蜜薬師の歴史は、帝国にあるの。その昔、お医者さん嫌いで蜂蜜大好きな王女様のために、侍女が各地を奔走して集めた蜂蜜の知識を数冊の本にまとめて残していたみたい。その本を読んだり、師匠から習ったりして、蜂蜜で治療を行う人を蜜薬師と呼んでいたそうよ」

「へえ、そうなんだ」

 かつての帝国では蜜薬師の侍女を侍らせることが、ステータスシンボルであると囁かれていた時代もあったらしい。

 現代では、医療が発達して、蜜薬師のほとんどは表舞台から姿を消したようだ。

「ここは田舎だし、リブチェフ・ラズにお医者様はいないから、私みたいな蜜薬師でもありがたいと思ってくれるみたい」

「そっか」

 蜜薬師になるまで、相当な努力と苦労をしたに違いない。

 知識はあっても、実際に薬を作れなければ意味がないから。

「どうしてアニャは、蜜薬師になろうと思ったの?」

「きっかけは、幼いころの私が、病弱だったからよ。咳をするたびに、お父様が蜂蜜で喉薬を作ってくれたのだけれど、失敗ばかりで、いっこうによくならなかったのよね。自分で作った物のほうが効くんじゃないかって思って作ったのが始まりよ。あとは、亡くなったお母様との、繋がりがほしくて……」

 家にあった蜜薬師の本は、直筆のメモが書き込まれていたらしい。それを読み進めているうちに、極めてしまったようだ。

「と、話しすぎてしまったわね。もう冷えたかしら?」

 熱が引いた薬用クリームを、アニャは丁寧に塗ってくれた。

 塗布されるというのは、何度経験しても慣れない。

「はい、これでいいわ。傷が治るまで、夜、眠る前に塗るのよ」

「うん。アニャ、ありがとう」

「どういたしまして」

 薬用クリームを受け取り、離れに戻る。

 明日は、種を植えて二日目だ。果たして、芽はでているのか。

 祈るばかりである。