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# 第6話 オリエンテーションは二人ボッチのはじまり!!
 オリエンテーションと言えば、友達づくりのチャンスだとみんな思ってる。ここで友人を創ることに失敗し、グループに入ることに失敗した者は四年間をボッチとして過ごすことになる。と思われてる。だがこの考え方に俺は否定的な見解をもっている。俺自身、一週目のオリエンテーションでは友人が出来なかったガチ陰キャだ。だけどオリエンテーションを過ぎたあと、各種実習や学科飲み会の中で自然と友人と呼べるような人たちとの繋がりは出来た。むしろオリエンテーション中にできるグループってお試し感が強すぎるので、大抵の場合気がついた時には消滅しているもんだ。だからオリエンテーション中にできる人間関係はそんなに気にしなくてもいい。だから俺自身はオリエンテーションでの友人作りにはあまり労力を割くつもりはない。むしろそれよりはサークル側でのつながりを作ることに集中したい。サークル側でキラキラな友人関係が築ければ、自然と学科側にも友人が出来ていく。世の中はそんなものだ。だからオリエンテーションサボっちゃダメかな?だってこの学科には…。
「常盤君、隣いいかな?」
 オリエンテーションしょっぱな。教室の隅っこの方に陣取ってシラバスを確認していたら、嫁に話しかけられた。かけられてしまった。
「建築学科は女子も多いから女子グループのところへ行った方がいいぞ。俺といても別に楽しくはないよ」
 当然俺は気まずい。同じ学科だから顔を合わせるのは仕方がないとは覚悟していた。だけどまさか向こうから話しかけてくるとは思わなかった。俺は入学式で嫁の幼馴染系間男とこの二週目の世界ですら揉めているのにだ。
「別にそんなことないと思うんだけど…だめかな?」
「…うっ…好きにしてくれ…」
 ウルウルとした瞳で頼まれると断りずらい。というか断れなかった。かつては短くとも結婚生活という名の嫁のATMを経験した身である。体は反射的に嫁の願いを叶えようとしてしまうのかもしれない。あるいは嫁の機嫌を損ねるとややこしいしめんどくさいという経験から来る習慣なのか。
「なあ、あの子」「すげぇ美人だな」「知らないの?確かあの子読モだよ」「チアの全国大会にも出てたよね確か」「あの顔でウチの大学にも入れるとか完璧すぎだろ」「でも同じ学科ならワンチャンある?」「誰か声かけてこいよ!」
 周りからひそひそとした声が響いてくる。みんな嫁に注目してる。当然だ。100人が100人とも美しいと認める顔の持ち主だ。それに不思議な瞳や髪の色で神秘性のような印象さえ周囲に与えてる。後にはミスコンで圧倒的優勝も果たしてみせた。ここまでくるともはや美貌という名の暴力かもしれない。そして逆に俺はそんな嫁の隣にシレッといるもんだからどことなく男子からは敵意を抱かれているように思える。
「ねぇ常盤君はどの授業取るの?大学って単位さえ満たせばいくつとってもいいし、サボってもいいんだよね?高校とは全然違うんだよね。ついこの間まで言われた通りの時間割だったのが嘘みたいだよね」
「俺浪人だから高校の事もうよく覚えてないんだわ」
 嫁に話しかけられた俺は話の腰を折ってみた。現役生と浪人はやっぱり最初のうちは断絶がある。そのうち誰も気にしなくなるけど、今は気になるだろう。
「え?年上なんだ…ですか。ごめんなさい、私ずっとため口きいてました」
 いきなり敬語に変わった。本気で申し訳なさそうな顔をしている。これはちょっとまずい。俺相手なら是非ともこの調子で接して欲しいけど、他の浪人生相手にこの態度はあかん。同学年ならため口が基本なのだから。
「同じ学年相手なら敬語は使わない方がいいぞ。浪人も現役も学年で区切られるのが大学なんだからな」
「そうなんです…そうなんだね。よかった。うん。なんか壁が出来たみたいでびっくりしちゃった。えへへ」
 嫁はほっとして、可愛らしい笑みを浮かべている。本当に可愛い女だと今でも思う。若いころの嫁をこんなに近くで見ることはなかった。いつも遠くから見るしかなかった。だから彼女のハーフアップの三つ編みは思っていたよりも細いんだと今更ながらに気がついた。それに気がついた時どうしようもないほどの落ち着きのなさを感じた。だから俺は席を立った。
「ちょっと一服してくる」
「え?でも常盤君タバコの匂いしないよね?吸うの?」
「自販機でコーヒー買うのが好きなの。じゃあね」
 俺は理由をつけて席を離れた。そしてオリエンテーションが始まるギリギリまで校舎の一階にある自販機の前で好きでもない缶コーヒーを飲んで過ごした。時間ギリギリに戻ってくるとすでに嫁の周りには男子を中心に人だかりができていた。こっそりと近づいてカバンと資料を回収し嫁から遠い席に着き直す。そしてすぐに講師がやってきてオリエンテーションが始まった。
 オリエンテーションは退屈だった。俺は二週目なので大学のルールはすでに全部わかってる。なんなら楽な授業なんかも当然知ってるのだ。休み時間のたびに嫁は俺の方を見ていたが、すぐに人だかり囲まれるのでこっちに近寄ってくることはなかった。そして昼休みになった。今日のオリエンテーションはこれで終わりだ。午後からは自由。嫁が男子たちに食事に誘われている間に俺はすぐに教室から脱出して、教室から遠くにある学食の方へ向かった。皇都大学駒場キャンパスは広い。学食もいくつか点在している。俺が行ったのはお高めのメニューが並ぶ店。むしろ学食か?ってくらいにはオシャレなところ。教授たちよりもキャンパス近くに住むマダムたちの方が利用しているだろうってところだ。
「あら?奇遇ね。こんなところで会うなんて。もしかしてあたしのストーカーなのかしら?」
 屋外の席に綾城がいた。相も変わらずメンヘラ臭漂う地雷系ファッションだった。中二病の時期なのか、今日は黒ベースのパーカーと黒のスカートにピンクのブラウスを合わせている。髪型はなんと短めのツインテール。リアルの女がすると痛いやつにしか見えないが、綾城は驚くほど可愛く見えた。
「ストーカーじゃないよ。ちょっと遠出してみたかっただけさ。そういうお前はどうしてこの店?ここはお前の学科の講義棟からも遠いだろう?」
 俺は綾城のテーブルについて、メニューを開く。学食の二倍から三倍くらい高い値段が並んでる。
「学食の安っぽいメニューじゃあたしの舌は満足できないの。だからここに来た…って本当は言いたいのだけど。逃げてきたわ」
 綾城はパスタを上品にフォークで掬って口に運ぶ。不思議と絵になっている。
「野郎どもか?」
 ウェイターを呼んで、クラブハウスサンドのセットを頼んだ。1000円もするが、嫁から逃げる費用と考えれば安いような気がしてくる。なにせ一周目じゃ嫁から逃げ回るために俺は10回も引っ越したのだから。なお全部場所を突き止められたので全くの無駄だった。
「そう。男たちの飢えた目と女たちの卑しい嫉妬の目から逃れてきたのよ。みんな一目見るだけであたしに夢中になっちゃうんだもの嫌になるわね。何のために大学に来てるのかしらねあいつら?出会いが欲しいならマッチングアプリでも使えばいいのに」
「むしろ現代じゃ大学なんて遊ぶために行く場所だよ。俺なんかそうだよまさしくね」
 今の俺は青春をいかに楽しく過ごすか、魅力的な女と出会うかしか考えてない。本質的には綾城に集っている男共とかわりはしないだろう。
「そうでしょうね。でもあんたは勉強好きな方でしょ?違う?」
「ああ、好きだね。そのことに嘘をつく気はないかな。ここに来たのも最高の建築が学べるからだ」
「そう。目的意識があるのはいい事よね。大学に行くならそうあるべきよ。今度あなたが建築に進むことにした切欠を教えて頂戴ね」
「今聞けばいいじゃん。別に構わないけど」
「あんたが話したら、あたしも法学部に進んだ理由を言わなきゃフェアじゃない。悪いけどそれはまだ話したくないの。理解してちょうだいな」
「まあ話したくないなら聞かないけどね。本当に変な奴だな」
「ふふふ」
 口に手を当てて笑う仕草がとても上品に見えた。この子はカッコこそ変だがやっぱり育ちが良さそうな印象を受ける。だんだんと気になってきてしまうのはきっと俺に女性経験が足りないからだろう。関わってしまった女にはすぐに好意を抱いてしまう。セカンド童貞マインドはなかなかにキモいかも知れない。そしてすぐに俺のランチも届いた。2人ですごす昼食はなかなかに楽しい。青春って感じ。
「ところであんた土曜日暇?」
「うん?今のところは暇だけど」
「あたし行こうと思ってるサークルあるのよ。その新歓あるんだけどついてきてちょうだい」
 驚いた。女性から飲みのお誘いってもしかすると一周目含めても初めてかも知れない。嫁は付き合う前は一切自分から何かを提案してくることはない女だった。もっとも新歓だから色気のある話ではないけども。誘われたことそのものが嬉しかった。
「いいよ。一緒に行こうか。場所は?」
「下北よ。あそこいい街よね。高校の頃はよく買い物に行ったわ」
「確かにいい街だよな。何よりもあの町の特色は駅と商店街との繋がり方にあると思う。混沌とした街並みはたしか戦後の闇市に起源があるそうなんだ。最近は再開発で綺麗になってきているけども、以前の駅周辺の猥雑さにはある種の美が間違いなく宿っていた。すべての要素は独立しているのにも関わらず、それらすべてはきっと同じイデオロギーを背景として確固とした存在が実存を証明し即自的かつ…」
 夢中になって都市構造の歴史と哲学について話している俺の口にそっと綾城の人差し指が当てられてしまった。唇に触れる彼女の指は柔らかかった。そのせいでそれ以上喋ることが出来なかった。
「ストップ。夢中になって話すあんたの顔は可愛かったわ。でもね、話の中身はわけわかんなくてちょっとキモいわ。ふふふ」
「むむ。これからがいいところなのに…」
「うふふ。むくれないの。でもよかった。あんたにはお遊び意外にちゃんと好きなモノがある。それが知れてよかったわ。また聞かせてね。でもちゃんとわかりやすくしなきゃ駄目よ?」
「わかった。善処するよ」
 自分の話を聞いてくれる女がいる。それはきっとなににも代えがたい幸せの形だ。かつて嫁も俺の話を優しくニコニコと聞いてくれた。その思い出は今綾城と過ごすこの時と同じくらい幸せなものだった。嫁以外にも俺の話を聞いてくれる人がいる。それを知れただけでも今日はとても幸せな一日だった。

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# 第7話 学食大戦!間男 vs NTR男!!
 オリエンテーションの間、俺は嫁に極力近づかないようにしていた。だけど同じ教室の中にいてそれを続けるのはやはり無理があった。
「常盤君。今日は{みんな}(・・・)でご飯に行こうよ。私、学科の人全員とちゃんとお話したいんだ」
 最近の嫁は自分に群がる人だかりから何かを学習したらしく、毎日学科の違うメンバーとランチするようにローテーションし始めた。『オリエンテーション中に全員と話したい』という建前をつけたのが正直に上手いと思った。普段はのほほんとノー天気なくせに俺を追い詰めるときだけはなぜか知恵が働くようだ。
「いや俺は、家に作り置きがあるから…」
 それでも俺は当然断る。何をしゃべっていいかマジでわからんし、嫌な思い出がよみがえってきてムカムカして不快なのだ。
「そっかー。じゃあ今日は私も学食はやめて家に帰って食べるよ。うん、ざんねんだねー」
 嫁が哀し気にそう言った時だ、嫁の後ろにいた今日のランチメンバーたちが恐ろしく鋭い眼光で俺を睨んだ。理由はよくわかる。これを逃したら嫁と一緒にめしを食える機会は多分永遠に廻ってこないかも知れない。そう思えば必死にもなる。そして直感した。ここでこのランチを断ったら、俺に学科での居場所はなくなると。
「よく考えたら作り置きは夜食べればいいんだよな!学食行こうか!あはは!あはははは!」
「そっかー!よかったぁ!今日の日替わりは何かなぁ?楽しみだね、うふふ」
 もうやけくそだった。俺は結局ランチへと連れていかれることになったのだった。
 俺と嫁を含めた8人ほどのグループで学食にやってきた。学食はいつも混雑している。ウチの大学は結構学生数が多い。だからピークの時は席を早く取らないといけない。だけどね、うちの嫁は生まれついてのお姫様なのだ。
「ああ…今日は人が多いね…座れないのかなぁ…」
 嫁は落ち込んでいた。見るからに憐れな顔をしている。だけど美人だ。これはこれで絵になる。つまり…。
「あの!おれたちもうめし食べ終わったからここ使って!」
 近くの席に座っていた運動部系っぽい先輩たちが急いでめしをかっ喰らって俺たちのために、というか嫁の為に席を開けてくれた。
「え!ほんとですか!うわぁありがとうございます!いい先輩たちがいてくれてほんと私嬉しいです!」
「いやそれほどでもないよ!俺2年経済学部金融政策学科の佐藤」「俺2年法学部政治学科の田中!」「俺3年文学部英米文学科の鈴木!」「俺3年工学部機械電子学科の斎藤!」「俺…(以下省略)
 ワンチャン狙って名乗っていく先輩たち。こんな憐れな自己紹介見た事ないよ…。嫁は無邪気に喜んでるけど、きっと一分後には忘れてるだろう。先輩たちは照れた笑顔で学食を去っていった。そして開いたテーブルに俺たちはついた。おのおのカウンターからランチメニューをトレーに乗せて持って帰って。嫁は俺の隣に普通に座ったのだった。一瞬空気が凍った。理系は女子が少ない。だからこのグループ、嫁以外は全員男子である。オタも陰キャも陽キャもチャンプルしてる共通点のない集団なのに全員が全員、俺を冷たい目で睨んでる。すごいね、人類は共通の敵がいれば団結できるんだよ。その敵になりたくなかったから嫁を避けてたのに!本当にこいつナチュラルに俺に追い込みかけてきやがる!
「ねぇねぇ皆はどうしてこの大学を志願したの?」
 野郎集団に女子一人なら大抵の場合女子がなんか適当に言ったことが話題になる。嫁は実にオリエンテーション期間に相応しい話題を振り始めた。男子たちは皆競って嫁にうちの大学に来た理由を話始める。それらは全部どうしようもないくらい自慢話だった。学校一の秀才だったと宣う陰キャ。勉強できなかったんだけど本気出したら受かっちゃったわー!とかいう陽キャ。建築の研究で歴史に名を残すとかイキっちゃうオタ。親の建築会社を継いで事業拡大するとか宣う意識高い系ボンボンなどなど。どうしてこう男が女にする話は退屈なんだろうか?クッソつまんねー。
「ねぇ常盤君。さっきから静かだね?ずっと学科の皆と交流してなかったし緊張してる?可愛いところあるね、ふふふ」
 どことなく母性的な印象を受ける微笑みはとても綺麗だった。それを向けられることは幸せなんだろう、本来ならば。実際周りの皆はぽけーっと魅了されている。だけど俺にはこの女の美しさは毒なのだ。この女が美しく綺麗で可愛らしければらしいほど、裏切りの事実が俺を惨めにするのだから。
「別に。そんなわけじゃないよ」
「そうなの?じゃあどうしてこの大学に来たのか話してよ」
 嫁は俺の顔を覗き込んでくる。俺の知っている嫁の顔は今よりもずっと大人だった。今はまだ子供のようなあどけなさがある。俺はこの時代の嫁を知らない。知らないことがどうして悔しいんだろう。だから突き放してやることにした。
「美大に落ちたからここに来た。建築はなんだかんだと美術と関わり合いが深い。少しでも美術っぽいことをやりたかった。それなら一番いいところに行くべきだ。ただそれだけだよ」
 周りの男子たちが少し苛立っているのを感じた。なにせ皇都大学は日本トップの大学なのだ。滑り止めで来るところではないのだ。俺は美大志望崩れ。今でも本音じゃ美大に行きたかったなと思う日があるのだ。
「そうなんだ。変わってるね…」
 嫁は何とも言い難い微妙な表情をしていた。女性経験の少ない俺でも人生経験を積めばわかることがある。女性は男性の失敗経験談をとても嫌うのだ。俺は美大受験に落ちた負け犬。嫁は俺をそう記憶する。負け犬男は視界にも入れないのが女という生き物の性である。俺はいずれ嫁の興味の外に落ちるだろう。これでいい。そう思って安堵していた時だ。
「理織世?今日はここで食べてたのかい?」
「あっ。宙翔。やっほー」
 声のする方へ振り向くとそこには葉桐がいた。周りには医学部の男子学生たちがいた。みんな嫁の事をデレデレと見ている。
「みんな、紹介するよ。彼女が僕の幼馴染の理織世、五十嵐理織世だ」
 葉桐は医学部の連中に嫁の事を紹介している。あれは間違いなくマウント行為だ。葉桐にはこんなにも美しい女と親しくする力があると誇示している。いずれ遠からず医学部もこいつの手に落ちるのだろう。恐ろしいほどに政治が上手い。
「五十嵐理織世です。よろしくお願いします」
 嫁は立ち上がって医学部の連中に綺麗に礼をした。その所作の美しさは医学生たちを確かに魅了していた。暴力だ。美の暴力。嫁の持つ暴力を葉桐は完全にコントロールしきっている。硬い絆。2人の強固なつながり。そのうちに恋に代わる甘い繋がり。勝てるわけがないそう納得してしまう。
「理織世の同期生の皆さん。僕の幼馴染の事よろしくお願いしますね。理織世は少し抜けてるところがあるから助けてあげてください」
「もう!私はそんなおまぬけさんじゃないのに!宙翔ったらいつも私を子ども扱いするよね」
 嫁は照れ笑いを浮かべていた。口では文句を言っても表情は明るいものだった。気軽に冗談を言い合える仲。俺と一緒にいた頃の嫁は物静かでいつも穏やかに笑ってた。自分から何かを言い出すことはあまりない穏やかな女だったのに。
「だって子供のころから一緒だしね。小さいころから変わらないよ君への思いはね。ふふふ」
 葉桐は爽やかな笑みを浮かべてそう言った。それは気安くって確かに人に好かれそうな笑顔だったのだ。俺はそうは思わないけど。
「ところで理織世。これから僕たちは広告研究会と外に食べに行くんだけどどう?」
「え?でも私今食べてる途中…」
 いきなりの誘いに嫁は困惑している。それに嫁はランチをまだけっこう残してる。
「君の夢の女子アナになれる近道だよ。今日はテレビ局でプロデューサーを務めるOBがわざわざ来てくれるんだってさ。チャンスだよ。顔を売りに行こう。大丈夫、僕がちゃんとサポートするからね!」
 大学を出た後嫁は東京の大手民放の女子アナになった。当然その美貌故に大人気となりニュース番組や有名人のインタビュー、バラエティでひっぱりだこだった。テレビで見ない日がないレベル。大企業で建築士をしていて世間的に見れば給料もらってる方の俺の何倍もの給料を貰っていた。良く結婚出来たな俺。やっぱり夫の俺の給料が低いのが裏切りだったのかな。凹む。
「さあ行こう。ごめんね皆さん。理織世の将来のためなんです。許してほしい」
 葉桐は俺たち建築学科の野郎どもに頭を下げてきた。だけど敗北感を感じていたのはこっち側だ。葉桐は嫁がどこへ行くのかをコントロールできる。男として嫁にとても近しいと皆が理解した。そう、俺は勝てない。
「じゃあ行こうか理織世!」
「あっ…ごめんね…」
 嫁は俺にそう言った。その顔は申し訳なさそうに歪んでいた。あの時と同じ顔。裏切りがバレた時と同じ顔。そんな顔見るのはうんざりだった。俺は立ち上がり、嫁の肩に手を置いて少し力を入れて椅子に座らせた。ちゃんと優しくしたから痛くはないはず。
「え…常盤君…どうして?」
「残さず食えよ。勿体ないだろ」
 嫁のランチプレートにはまだエビフライが二本残ってた。
「おい。常盤君。君は理織世の将来の邪魔をするのか?」
 葉桐が俺を睨む。俺も睨み返してやる。
「うるせえ。俺の実家は農家なんだよ。食べ物を粗末にする奴は許さん」
 俺の実家は北海道の農家だ。継ぐ気がないので都会に出てきた。家は将来妹がその旦那さんと継ぐから問題はない。
「たかがランチよりも大手テレビ局のプロデューサーとの繋がりの方がずっと大事だろう。君の言ってることはくだらない」
「知るかよ。お前の価値観に俺は関係ないんだ。それにプロデューサーと会いたいのはお前であって、り…五十嵐じゃないだろう?」
「…プロデューサーに会うことは、理織世の利益につながるんだ」
「それは質問の答えになってない。なあ。お前は五十嵐には嘘はつかないんだろう?今ここで五十嵐に誓ってくれよ。お前自身はプロデューサーと何も交渉する気はないってな」
 葉桐が押し黙る。俺には未来の知識がある。この間男系幼馴染は夏ごろからテレビにではじめる。名門皇都大学の現役学生が中心の番組が放映されるのだ。そこに爽やかなルックスでこの男はお茶の間の人気者になる。参考書とか自己啓発本とか出しちゃったりしてがっぽがっぽと稼ぐのだ。多分プロデューサーさんとはその話をするんだろう。嫁を同席させるのは嫁の魅力で交渉を有利にするためだろう。まあ女子アナへの道が開かれるのも本当だろうけど。
「ねぇ…宙翔」
「理織世。常盤君の言ってることに惑わされちゃだめだよ。この人は屁理屈で相手を飲み込むタイプだ。よくないよこういう人はね」
「宙翔。私はみんなとまだお話したいことが残ってるんだ。それにやっぱりご飯を残すのは良くないよ。そんな人は女子アナになっちゃだめだと思うの。偉そうにテレビで人に向けて喋る資格はないと思うよ。うん」
 嫁は真剣な顔で葉桐を見詰めながらそう言った。葉桐は嫁のその目に戸惑っているように見えた。だがすぐに爽やかな笑みを浮かべて。
「わかった。そうだね。理織世の言う通りだね。プロデューサーさんと会うのはまた今度の機会にしよう。じゃあ夜にまたね」
「うん。またね宙翔」
 葉桐と嫁は小さく手を振り合った。そして葉桐は取り巻きを連れて学食から去っていった。嫁は頬を少し赤くしてモジモジとしていた。そして俺の事を上目遣いで見ながら言う。
「あのね…常盤君…あり…が…」
「ごちそうさま。みんな。俺は先に失礼するよ。図書館で勉強しないといけないからね」
「あっ…ま…っ……」
 俺はトレーもって立ち上がる。嫁は俺の背中の後ろで何かを言っていたが無視した。そして俺は学食から去ったのだ。

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# 第8話 新歓はこう振る舞う!!
 嫁とのランチ以降、彼女から俺に関わってくることはなくなった。まああんな微妙な終わり方をすればそうもなるだろう。そしてオリエンテーションはとくにトラブルもなく過ぎていった。そして土曜日がやってきた。
「あら?あんた来るの早くない?まだ約束の時間20分前だけど?」
 待ち合わせ場所は下北沢駅近くのカフェだった。店内にはすでに綾城がいて、優雅に紅茶を愉しんでいた。
「俺はこの街に住んでるから早くて当たり前なんだよ。そういうお前だって早いじゃん」
 俺が今住んでいるのはこの街だ。下北から駒場キャンパスまではほんの数駅足らずだし、その気になれば歩いても自転車でも行ける。
「あら?ここに住んでたのね。なら先に言って欲しかったわね。あたし昼間は服屋巡りしてたのよ。荷物持ちにしてあげたのに」
「へぇ。何か買ったの?」
「今羽織ってるジャケット。大人っぽくていいでしょ?」
 今日の綾城はツーサイドアップだった。そして例によって中二病臭い黒×ピンクなスタイル。ただいつもよりはなんか大人っぽい仕上がりだった。とくにライダーっぽいジャケットがなんか大人感を出している。
「いいと思うよ。シャツにもあってると思うし、大人の女って感じがするよ」
 地雷系要素は残っていて、かつ大人っぽさを両立させるのって普通にすごいと思う。綾城が並外れた美貌の持ち主だから可能なのだろうけど。
「ありがとう。でもあたしはまだ大人とは言えないわ。誰とも夜を過ごしたことがないもの。この体は痛みも甘さもまだ知らないから…」
「隙あらば下ネタ入れるよね!どうしてそんなに下ネタ好きなの!言っとくけど俺じゃなきゃみんなドン引きしてるからな!!あと今日の新歓では絶対にそういうの口にするなよ!」
「ふふふ、わかってるわよ。飲みの場で下ネタなんて口にしたら、非モテ童貞ボーイに勘違いされちゃうものね。…どうしてすぐに勘違いするのかしら…ふぅ…」
 あっ何か闇深そうな発言してる。これはスルーしておこう。俺だって本質的には非モテ側だ。タイムリープしているから、体は童貞だしね。…そもそも嫁しか女知らないし、浮気されてるし、むしろ俺は真正の童貞なのではないだろうか?
「で、今日の新歓やるサークルってどういう団体?」
「そうね。真面目系よ。大学公認団体で教育学部の教授が指導もしてるしっかりしてるところ。教育問題のNGOに近いかしら?」
 そのサークルなら知っている。ちゃんと立派な活動をしている正しい意味での意識高い系サークルだ。
「あれ?ガチ系じゃん。何に惹かれたの?」
 正直驚いた。綾城は根っこには真面目さ見たいなものがあるとは思っていたが、ほんまにガチっぽい。彼女相手に好感が湧いてくるのを感じた。
「教育問題は多岐にわたるけど、今日のサークルは貧困層の教育格差の解消支援を行ってるの。あんたならわかるでしょ?うちの大学に入るためにどれくらいのお金がかかった?」
「そうだねぇ。俺は公立の高校出身だったけど、予備校費用はかなり掛かったね。正直数えたくもない」
「あたしもそう。あたしは私立の名門進学校の出身。そこの学費だけでなく、家庭教師や予備校、さらには参考書代。いっぱいお金がかかってる。幸いうちの父はお金持ちだから全然問題はないのだけどね」
 うちの大学には一つ闇がある。国立大学は学費が安い。だが入試難易度は半端じゃないのだ。それを突破するためには、予備校や参考書などシャレにならない額の金がかかる。だからうちの学校の平均所得は私大よりも高い。なんていう話がまことしやかにささやかれている。実感的にも同級生は金持ちが多いような気がする。これは明らかにおかしいと思う。金持ちが入りやすい大学の学費が安く、金がなくて勉学が出来ない者たちは学費の高い私大に行くしかない。理不尽な格差がそこにはある。卒業後もうちの大学を出れば、かなり社会で優遇される。高学歴は高収入への切符なのだ。そしてその格差は永遠に再生産され続ける。
「そのサークルはオリジナルのテキストを作って配布したり、ネットを使って大学受験対策の授業動画を無料で配信したりしてるの。あたしはそういうのに関わりたいって思ってる」
「…そうか、うん。そういうのいいね。うん。誰かの為になることはいいことだ」
「そう言ってくれるならあたしも嬉しい。というわけであなたには今日の新歓であたしに協力してほしいの」
「弾避けだな?」
「そっ。男共があたしに群がってくるから、『俺の女に手ぇ出すなぁ!』ってオラついてて頂戴」
「ええぇ。それはちょっとなぁ…痛いやつじゃん!まあ壁にはなるよ。俺が傍にいればそれなりに男共はふるい落とせるだろうし」
 それでも多分ワンチャン狙いで近づいてくる奴はいっぱいいると思う。
「今日のサークルはセレクションあるのよ。それも教授たちが面接するガチな奴。ちゃんと顔を売っておきたいわ」
「…なあそれなら普通の恰好をしてくるって発想は出てこなかったの?」
 セレクションあるサークルならもしかしたら新歓での行動も見ている可能性がある。変な服を着ていると、不真面目に取られて落とされるかもしれない。もっとも綾城みたいに顔がよければあんまり関係ないかも知れないが。
「自分を偽るつもりはないわ!あたしが好きなのはこういうファッション!それを含めて受け入れさせる!じゃなきゃ入った後も気持ちよく活動できないでしょ!!」
 綾城は堂々と胸を張ってそう宣言した。わがままもここまで通せば立派に見える。これなら大丈夫だろう。
「ほう。まあちゃんと考えてるならいいよ。オーケーオーケー!」
 俺はお冷やのコップを掲げる。綾城も俺の動きを見て察したのか、紅茶のカップを掲げた。
「「セレクション合格を祈って、乾杯!!」」
 俺たちは勝利を目指すために乾杯した。
「ところで自分が飲める酒の限界量はわかってる?」
 変に調子に乗って飲み過ぎてダウンするとかはやめて欲しい。そうなると俺が介抱する羽目になる。
「大丈夫よ。昔から父とよく飲んでるから。ワインを一瓶イッキ飲みしても思考はしっかりしてたから大丈夫よ」
 ワイン一瓶の一気飲みってすげぇな。絶対に真似しちゃいけない奴だ。というか綾城は現役生だから、その昔から飲んでるって…。
「昔から…?あっ…」
「そうよ。察したらな黙ってなさい。女の過去は掘らない方がいいわ。うふふふふふふ」
 いい女風に言ってもやってることやべぇわ。触れるのはやめておこう。
「まあ限界量がわかってるならいいかな。あはは!」
 そして俺たちは新歓の会場の居酒屋に向かったのだった。
 新歓で重要なことはなにか?それは多岐にわたる。個人的にはまず第一に座る場所だと思ってる。親切なサークルの新歓は新入生と先輩たちが上手く混ざるように配置を誘導したりする。一番いいのは席のくじ引き形式だと思ってる。だが今回はちょっと別だ。綾城と離れるのは避けなければいけない。だがその心配は杞憂だった。今回の新歓は広いお座敷の自由席。ちなみに新歓での席取りのコツは早めに行かないことだと思ってる。席が半分くらい埋まったタイミングでサークルで一番偉い先輩の近くに座るのがコツだ。新歓で堂々と先輩の近くに座る奴は可愛がられるものだ。顔を覚えてもらうことが何よりも大事。そして可愛い女の子の近くは逆にやめておいた方がいい。新歓はぶっちゃけるが出会いの場ではない。陰キャな俺は一周目の世界でちゃんと観察していたからわかる。女子も新歓で口説かれるのをあんまり好まない。女子たちは先輩に構ってもらいたがる傾向がある。そう思ってる。もっともここら辺は今後も研究の必要がありそうだ。いずれはそういう攻略法を練り上げて陰キャたちを救いたいものだ。
「で、何処に座ったらいいのかしらね?」
「まあちょっと待って」
 当然俺はこのサークルの人間関係も少しだが未来知識に入ってる。まず狙うべきは現代表の近く。だがすでにそこらへんは埋まってた。なので狙うのは。
「あのメガネの女性の前がいい。あの人は多分次の代表になるはずだ」
 暗めの茶髪に染めた、眼鏡をかけた地味系女子がいた。未来で会ったことがある。その時はこのサークルの代表を務めていた。
「なにそれ?根拠は?」
 未来の知識です!なんて言えるわけもないので、適当に誤魔化す。
「あの人教育学部の二年生だよ。この間学校ですれ違ったからわかる」
 まあ嘘ですけど。綾城は怪訝そうな顔してたが、頷いてくれた。
「そう。あなたが言うならそうしましょう」
そして俺たちはその二年生の前に座る。先輩が俺たちに目をじろっと向けてくる。ガンつけてる。わけではない。真面目だから自分から声を出せないだけ。この人は真面目系陰キャだ。だからこっちから声をかける。
「始めまして、先輩。俺は建築学科一年の常盤。この子は法学部の綾城です。今日はよろしくお願いします」
「あっ。はい!よろしくお願いします!私は教育学部二年の賀藤です」
 個人的に真面目系相手ならフルネームでなく、苗字だけの自己紹介でもいいと思う。陰キャはウェイウェイ系のすぐに下の名前で呼び合う文化が嫌いだ。この人もそういうのを嫌うタイプ。
「そう言えば俺、賀藤さんとこの間学食ですれ違った気がするんですけど、確か日替わり頼んでませんでした?」
「あっうん!そうそう!水曜日の日替わりのコロッケ美味しいんですよ!というかすれ違ってたんですね!へぇすごい偶然ですね!面白いですね!」
 嘘です。俺は嫁から逃げ回るために学食には一切近寄らなかった。
「へぇそうなんですかぁ。今度食べてみます!楽しみだなぁ。あはは」
 朗らかに打ち解けられた。賀藤先輩の顔は穏やかな笑みで満たされている。その時、太ももに柔らかくてくすぐったい感触を覚えた。綾城の指が俺の太ももに人差し指を押し当てていた。綾城は赤い唇に微笑を湛えていた。そして俺の太ももを指で撫でていく。
う・そ・つ・き。
綾城は俺の太ももにそうなぞった。その指の感触はくすぐったく、とても甘いものだった。ニヤリと悪戯っ子のように笑う綾城の青い瞳はたまらなく色気に満ちていた。
「えー。新入生の皆さん!時間になりました!新歓を始めようと思います!グラスをもってください!皆様入学おめでとう!カンパーイ!!」
『『『『『『カンパーイ!!!』』』』』』
 そして新歓は始まった。

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# 第9話 雰囲気チャラ男(大学デビュー)が地味女子相手にワンチャン狙いでオラつくのはイタい
 乾杯の後、宴会場のあちらこちらで笑い声や話し声が賑やかに響く。ここのサークルは丁寧な対応を新入生にしていた。ボッチになってそうな新入生には先輩から話しかけていく優し気な雰囲気があった。いいサークルだと思った。だがそれでも相性の問題は立ちはだかる。ぶっちゃけると綾城と賀藤先輩はちょっと趣味の方向性が違い過ぎてプライベートではおそらくまったく合わない。だから最初の方は話がすこしぎこちなかった。最初に俺が賀藤先輩に打ち解けていたからこそ二人の会話は続いていた。俺が二人の間を繋いでいたというのは言い過ぎではないと思う。綾城が俺を連れてきたのは正解だったと思う。だけど綾城のサークル活動への熱意は『本物』だった。
「綾城さんはどうしてうちのサークルに興味を?」
 賀藤先輩が綾城にそう尋ねた。酒に酔っていて少し顔は赤いし表情も緩いが瞳は真剣だった。綾城を見極めようとしている。綾城もその真剣さに応えるためなのだろう。凛とした表情になって口を開いた。
「あたしのうちはよく海外旅行に行っていたんです。色々な国に行きました。日本人があまり行かないような国にも行きました。そこで見たものがあるんです」
「何を見たの?」
「真昼間のある{市場}(いちば)を父に手を引かれて歩きました。本当に猥雑なところで、果物の良い匂いに、魚の生臭さ、肉の血の匂い。そんなのがまぜこぜしているようなところ。日本の生活になれてるとあんな匂いはなかなかきついんです。そこで父がある店の前にとまりました。小さな屋台。地元の果物を使ったジュースを売ってたんです。とても美味しそうな匂い。でも…それを売っていたのは大人じゃなかった。当時のあたしと同じ小学生くらい子供。父はジュースを2本頼んで、米ドル札で代金を払ったんです。その国では自国通貨の信用が薄いからドルが流通してたんです。でもドル札で代金を払うとお釣りの計算がめんどくさいんです。その日の交換レートを考えないといけない。あたしにはその値段を暗算できませんでした。でもその子は一瞬で計算してぱぱっとお釣りを返したんです。父は感心してお釣りもチップとしてその子に渡しました。そして日本語であたしにだけこう言ったんです。『今のを見たね?この子は君よりもすごい計算能力を持っているのに、今この時間学校に行けないんだよ』あたしは衝撃を受けました。ジュースの味がわからなくなるくらい。半べそをかいてホテルに帰りました。訳がわかんなくて母に抱き着いたんです。理不尽だって思いました。父は旅行に行くたびにこの世界の闇をあたしに見せたんです。自分たちがいかに幸せなのかって多分伝えたかったんでしょうね」
 俺と賀藤先輩は綾城の話に聞き入っていた。酒を飲むことを忘れて話の続きの事だけを望んでいた。
「この世界は理不尽な、それこそその人のせいじゃないのに不幸に追いやられてしまう人たちがいる。あたしはそれを見てしまった。すれ違ってしまった。そういうものを見て疚しさを覚えて恥じてしまう。…でもなにもできません。あたしは子供でしかないんですから。世界の事なんてどうにもできない。でももう大人の入り口にあたしは立ってるんです。何かをしたい。別に罪悪感とかじゃないんです。自分が持っている幸せを少しでいいからわけられるならば。きっとあの日みてしまった理不尽ももしかしたら報われるのかもしれません。だからまずは身の回りからそうしてみたい。この国は豊かです。少なくとも世界全体から見たらこれほど恵まれた国は他にないってくらい。でもこの国にも様々な理由で、あの日の子供のような教育にアクセスできない子供たちがいる。1人でいいんです。たった1人でもあたしの力でそういう子供が教育にアクセスできるようになって、実りある将来を実現できたならば、あたしはそれで満足です。それがここに来た理由です」
 綾城は何処か寂し気な笑みを浮かべていた。その笑みにきゅっと胸を締め付けられるような感傷を覚えた。彼女の思いは尊いものだと思った。そしてそんな人の隣に今自分がいられることを『幸せ』だと感じた。
「そうなんですか…ああ、言葉にならないわ。でも、うん。いいお話でした。綾城さん、あなたは素敵な人なんですね」
 賀藤先輩も感動しているようだ。瞳をウルウルとさせて綾城を見詰めていた。
 
「ありがとうございます賀藤先輩」
 そして2人は日本における教育問題について熱く語り合い始めた。専門が違うので俺は横から見ているだけ。だけどそれでも嬉しかったあ。綾城はこのサークルできっとうまくやっていける。その助けになれたのだから、俺も今日ここに来れてよかった。白熱する二人からそっと俺は離れた。お邪魔してはいけない。だからべつのシマに移って俺は俺で気の合いそうな人を探してみよう。そう思った。
 新歓において重要なのはシマ、つまりお喋りグループをどんどん移っていく勇気だと思う。一番いいのは各シマに友達が一人でもいれば、そいつを使って自然と混ざれる。でもここには残念ながら友達がいない。ならばどうしようか?ボッチに話しかければいいんだよ!
「すみません!ちょっといいですか?」
「え?ああ、はいなんですか?」
 何処のシマにもあんまり喋ってない奴が一人はいる。シマの中にいる陰キャ。喋れないから頷きに徹している。それしかできない背中は哀れだ。俺はとあるシマに狙いを定めた。男女比が丁度半々くらい。
「いや面白そうな話してるなって思って、僕今一人何で入れてください!あはは」
 コツは笑顔。とにかく笑顔。まず気弱な陰キャに話しかける。そして座れる場所を確保する。するとシマのメンバーたちが俺の方に視線を向けてくる。こいつなに?みたいな感じ。そしてコツ。そのグループ内で一番偉そう、もしくは年長、強そう、ヤンキーっぽい。ようはいかつそうな男に笑顔で握手を求めるのだ。女には絶対に最初に声をかけてはいけない。これがルール。
「あっ!どうも!俺建築学科の常盤奏久っています。カナデとかカナタとかって呼んでください!」
 握手をする時は目をちゃんと合わせること。これは俺が発見したよく知らんやつと話すときのテクニックだ。陰キャ-陽キャたすき掛け方程式とでも名付けようと思う。
「お、おうよろしく」
 よほどイカれた奴以外は握手を拒否ることはない。そして人間は握手した者同士を仲間だと認識する。握手した本人、握手した者を見た周りの者たち。俺とこのグループのリーダーは無意識下で友人同士となった。そしたら後は周りの者たちと順番に目を合わせていけばいい。それがノンバーバルでの刷り込みになるのだ。
「なんか面白い話してたよね!ほら北海道ってマジで水まくと凍るのってやつ!」
「おうそうそう!それそれ!俺高校の時北海道でも奥の方のスキー場行ってリフト昇って頂上でジュース撒いたら即凍ってさ!北海道マジでヤバイって!」
 陽キャなリーダーくんが話を続けてくれた。球に俺の方にも目を向けてくる。おっけー!刷り込みはうまくできた。俺の事をグループのメンバーとして認めてる。
「すごーい!」「まじみてみたーい!」
 女の子たちにはウケてる。多分雪のない地方の出身なんだろう。そして多分こいつの話は吹かしだと思う。雪の中で水撒いても案外一瞬で凍ったりはしない。もちろん試される大地北海道でもガチでやべぇ土地だとバケツの水を空中に撒くと即凍る。なお俺はそういう土地の出身である。
「だよな!まじであれやばいよね!俺北海道からきたんだけどさ!俺の地元マジでそんな感じ!」
 俺はグループのリーダーに向かってそう言う。
「お?お前北海道なの?!やべぇ!リアル北海道人きたし!だろ?!お前らぶっちゃけ信じてなかったっしょ?!」
 陽キャなリーダーくんは皆の事を弄り始める。グループから笑い声が響きだす。
「あれほんと綺麗だよな!!キラキラって!カナタはしょっちゅうやってたの?」
「子供のころ超やってた!でも水が勿体ないって母さんにしかられてやめたわ!あはは!」
「「「あはははは!」」」
 雑談なんてこんなもんである。そして新参者は話に混じれると、次の話題を出す権利が生じたりする。
「みんなどっから来たん?やっぱ東京?」
「俺は福岡!」「ボクは宮城!」「わたしは高知!」「ウチは京都!!」
 そしてこうやって各人から情報を引っ張ってきて次の話に続けていけばいいのだ。そしてこの後は酒を飲みつつガンガン話を回していった。社会人経験があれば大学生なんてチョロいチョロい。こちとら知らんやつしかいない業界パーティーで散々仕事してきたんだからな!未来の知識の有用さが証明されてちょっと楽しかった。
 酒が入るとトイレが近くなる。俺はいったんグループから離れて(その前にちゃんと女子含めて連絡先をゲットしておいた)トイレに行ってきた。戻って来た時、ふっと嫌な光景が目に入った。
「だからさ!俺たちがこの国の教育をリードしてめっちゃレボリューションするわけよ!すごいっしょ!」
「…え…っ…は、はい…」
 なんか大学デビューっぽい慣れてない感ある雰囲気チャラ男の一年が前髪の長くて、眼鏡をかけた同じ一年生女子にうざく絡んでいた。顔はよく見えないが女子の方は今どき珍しいくらいに地味な印象と服装だった。ジーンズにシャツとカーディガン。全部ノーブランドの量産品だ。髪も肩くらいの位置の背中の後ろで縛っているだけ。だけど一つだけ目立つ部分があった。胸がすごく大きい。シャツをぱんぱんに押し上げている。なのに足や手は細く尻のラインを見ても形が良くて太っているような感じじゃない。シャツとカーディガンでわかりずらいけどクビレもきっちりありそう。スタイルは驚くほどいい。
「てか{楪)(ゆずりは)ちゃん、おっきくない?モテるっしょ!」
 え?それ口にする?ヤバいやつだなぁ…。ドストレート過ぎるセクハラだ。だけど楪と呼ばれた女子の方は俯いて。
「…別に…モテ…な…い…です…」
 ぼそぼそとか細い声でそう言っている。嫌とは言っていない。だけど彼女は体育座りのように足を胸元に引き寄せた。無意識に胸を隠そうとしている。
「そんなことないっしょ!現に俺、楪ちゃんのことすきになりそうだし!」
 男は酒を飲みながらそう言っている。だけど俯く女子の口元は嫌そうに歪んでいた。だけどこれ間違いなく良くない流れだ。あの子多分このまま何もできないまま流されるかもしれない。毎年どこの大学でも不本意に断れないまま男に喰われる女はいるのだ。それは女にとってきっと将来の傷になるだろう。だから俺はその二人のところに向かったのだった。

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010.md

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# 第10話 だから浪人生に敬語使うなって言ったよね?
 雰囲気チャラ男はその手を地味女子の肩に回そうとしていた。地味女子はそれを察したのだろう。身を少し縮こませた。だけど言葉で拒絶はしようとしていなかった。いいや。できないのだ。男子の陰キャはボッチになる。女子の陰キャは誰かの食い物になる。どちらも言葉を持ちえないから。怖いから言葉を出せない。例え自分の事を食い物にしようとする人間相手でも嫌われるのが怖いから嫌とはいない。地味女子は一周目の俺の姿によく似てる。だから俺は雰囲気チャラ男の手が地味女子に触れる前に掴んで止めた。
「…えっ…あれ?」
 地味女子が顔を上げて俺の方を見た。前髪から覗く瞳は意外にもかわいく見えた、そして驚いているようだった。 
「おい?!お前何掴んでんだよ!」
 雰囲気チャラ男が俺に向かってオラついてくる。鬱陶しい。この手の輩には序列というものわからせてやらないといけない。
「あっ?てめぇなに俺に向かってため口聞いてんだ?俺はお前よりも年上だぞ。敬意を払えよ」
 
 ちょっとハッタリをかます。上手く勘違いさせるために。
「えっ!?あっ先輩だったんですか…いや、その…」
 雰囲気チャラ男は急にしゅんとなる。うまくいった。俺の事を上級生だと勘違いしてくれた。この手の奴は目に見える序列に弱い。そしてこいつは幼げな雰囲気があるから現役せいだろう。まだ大学に慣れてなくて、高校時代の常識を引きずってる。年上なら上級生。だけど大学には年上の同級生なんて普通にいるのだ。まだまだ甘い。
「お前、俺らの面子潰す気?うちのサークルじゃセクハラはご法度なんだよ。いくら酔ってても一発アウト。イベサーとかヤリサーじゃねぇのよ。甘やかさねぇよ。ん?」
「え…いや…その嫌がってない感じだったから。つい」
「ついじゃねぇよボケ。俺が止めてなかったらお前は大学から指導喰らってたぞ。下手すりゃ退学かもな?」
「え、いやいや!そんなこと!」
「いやいやじゃねえんだよ。まあ俺がギリで止めてやったからセーフだけどな」
 相手を脅すときのコツは、恩を押し売りすることである。一周目の社会人時代に反社の連中が仕事に関わってきたことがあってその時学んだ。建築業界の闇は深い。
「あ、ありがとうございます」
「そうそう。ちゃんと感謝できるのはいいことだぞ。ほら。その子の前から消えろ。他のシマに行け。言っとくけどいまのやらかしはよそで喋んなよ。俺に恥かかすな。いいな?」
 最後に思い切り睨みつける。雰囲気チャラ男はこくこくと頷いて、地味子から離れていった。お座敷は広い。遠く離れた友達らしきグループのところに入ってこっちから目を離した。上手くビビらせられた。
「あ、あの、あ、ありがとうございます。せ、せんぱい様…」
 先輩様って…この子緊張しすぎかあるいは怖がり過ぎてるようだな。俺は地味女子の隣に座る。まだあの雰囲気チャラ男がこっちの事を伺っているから護衛はしておきたい。
「先輩様は変だって。それにさっきのははったりだよ。俺も君と同じ一年生だよ。浪人のね!くくく」
 地味女子はポカーンとした顔になって、少しして微笑を浮かべた。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
「敬語もいいよ。浪人も現役も同じ学年ならため口が普通だよ」
 現役生あるあるだけど浪人生に暫く敬語使っちゃう問題。逆に浪人生は一学年上の同い年にため口きいて顰蹙買いがち問題。日本語難しい。
「…あの、わたし、その、敬語しか使えなくて…訛りが、その強すぎて…ですますじゃないと上手く話せないんです」
「あっそうなんだ。へぇ何処出身なの?ちなみに俺は北海道」
「薩摩です」
「ああ…なるほど…」
 てか薩摩って…古い言い方だなって。だけどあそこの訛りは関東圏の標準語からだと聞き取りづらいしな。わからんでもない。
「まだあいつが見てるし、少しお喋りしよう」
 地味女子がはっとして顔を雰囲気チャラ男の方に向けた。口元を引き結んで、コクリと俺に向かって頷いた。
「君の名前教えてくれ。俺は工学部建築学科の常盤奏久。カナタとかカナデとかって呼んでくれてもいいよ」
「…カナタさんって呼びます。わたしは{紅葉}(こうよう){楪}(ゆずりは)っていいます。理学部の数学科です」
「え?まじ?!すごいね!数学科?!」
 うちの数学科はやばい。何がヤバいって何もかもがヤバい。数学の点数だけなら医学部よりも高い連中が集まっている。頭が良すぎて意味がわかんないレベルの連中が集まっているところだ。うちの大学における天才の巣窟の一つだ。ちなみにもっとも女子率が低いと言われている場所の一つでもある。というか皇都大学自体がほぼ男子校みたいな感じで男女比が圧倒的に男よりなのだ。
「やっぱり変ですよね…わたしなんかが数学なんて…」
「いやそんなことないって!数学科は鬼才天才の集まりだから、むしろすごいって尊敬してる!」
「でも学科に女はわたししかいないんです。同じ学校からうちの大学に来た女子はみんな文学部とか社会学部とかで…わたし地歴が苦手だから文系行けなくて…数学だけしかむしろ取りえが無くて」
 普通理系に行けないから文系に行くものじゃないだろうか?謙遜の仕方が何かちぐはぐに思える。
「俺はすごいと思うよ!うん!数学出来る女の子すごくかっこいいよ!うん!」
 だけど俺の褒め言葉は地味女子には響かなかったようだ。膝を抱きかかえて、額を膝の上に乗せる。
「でも学校の皆も数学出来過ぎて男みたいで可愛くないブスって。女性ホルモンが胸にしかないって…数学しかできないから化粧も下手糞だって…わたしは…」
 なんかすごく勝手にネガティブに凹んでいってる。この子アカンな。こういうネガティブ思考の持ち主はマジでヤリチンから見るとクソチョロく見えるはずだ。あいつが雰囲気チャラ男だからセーフだったけど、慣れてる奴なら今頃ラブホだ。話題変えよう。
「そ、そうなんだ…。紅葉さんはここに来たってことは、教育とかに興味あるんだよね?将来は教師を目指してるとか?」
「全然興味ないです。わたし、出身校の子たちに誘われたんです。飲み会に行こうって。女子校だったから男の子と出会いなくて、みんな大学生だからカレシ作りたいって言ってて、でもわたしそういうのよくわからないし、でも断れなくて…」
 うわぁ…話聞いた感じ、この子女友達もいねぇ。陰キャオブ陰キャ。頭数の1人として連れてこられた感じっぽい。あるいは男子の為の撒き餌扱いだろう。
「今日も上手くお話に混ざれなくて、1人で隅っこにいたらさっきの人に絡まれて、怖くて、でも断ったらもっと怖そうで…大学怖いです。薩摩に帰りたいです…」
 ずーんと沈む紅葉さん。なんかガチで憐れだ。綾城辺りを宛がってやろうかと思った。だけど離れた席にいる綾城は先輩たち相手にすごく熱弁を振るっている。邪魔したら可哀そうだ。自信つけさせてやりたいなぁ。
「紅葉さん。ちょっと前髪上げてみてよ」
「…え?い…はい…」
 嫌って言いかけたけど、結局俺相手にも断れなかった。本当は強制したくないし、意志を尊重したいけど、世の中にはショック療法という言葉もある。
「ちょっと失礼」
 俺はジャケットのポケットから携帯用の髪用ワックスを取りだす、少し手に取って馴染ませて、彼女の前髪をそれで整えてやる。
「さあ、見てごらん」
 俺は彼女の顔の前に手鏡を翳す。前髪の下の瞳が露わになっているのが鏡に映っていた。とても綺麗な顔がそこにはあったのだ。

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README.md

@ -6,9 +6,18 @@ WEB https://kakuyomu.jp/works/16816927862810785877
## 人物
### {常盤}(ときわ){奏久}(かなひさ)
建築学科一年
### {綾城}(あやしろ){姫和}(ヒメーナ)
法学部
### 葉桐{宙翔}(ヒロト)
### {五十嵐}(いがらし){理織世}(りりせ)
### {五十嵐}(いがらし){理織世}(りりせ)
建築学科一年
### 賀藤
教育学部二年
### {紅葉}(こうよう){楪}(ゆずりは)
数学科
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