# 第5話 陰キャは陽キャの群れを許さない  何とも間の抜けた話だ。大学デビューにかまけて嫁と間男のことをすっかり思考の外に置いてしまっていた。出会ってしまった時にどうすればいいのかを考えていなかった。 「なあ君たちの学科はどこだい?」  目の前に立つ間男こと葉桐は笑みを浮かべてそう尋ねてきた。 「あたしは法学部法曹養成学科」  驚いた。綾城は文系のトップ学科の所属らしい。でも皮肉屋で頭が回るこの子には似合っているようにも思える。 「へぇすごいね。将来はウチの大学でもエリート中のエリートなんだね。なら横のつながりって大事だと思わない?今のうちに作っておけばきっと将来の大きな財産になるよ」 「そうね。それは否定できなさそうね」 「そうそう。僕も医学部医学科だけど、これからの時代は専門だけじゃなくて学部学科を横断的に網羅する必要があると思うんだ。そのためのパーティーだ」  ナチュラルに学部マウントかましてくる葉桐にイラつく。この男は国内最難関最高偏差値の皇都大学の医学部に首席で入った化け物だ。受験エリートの頂点。皇都大学じゃセンターの点数と本試の点数、それに学部学科で微妙なマウントを在学生同士で取り合うのが日常的に見られる。そういうところが本当に鼻につく。でも嫁が浮気しても無理からぬことだと思う。俺の仕事と医者なら多くの女は医者を選ぶだろう。 「あらそう。将来はお医者様ですか。お偉いこと。そう言えば常盤は何処の学部なの?」  そう言えば話してなかった。というかそれをこの男の前で口にするのが嫌だった。絶対に医学部医学科には序列としては勝てないのだから。それを綾城の前で言うのも、嫁の前で言うのも嫌だった。俺は一つ溜息をついて。 「工学部建築学科だよ」  さらに付け加えると俺は一浪してる。現役時代に美大に入ろうとして落ちて、自分の芸術センスに見切りをつけたからこそ建築学科に進んだ。だから言いたくなかった。ストレートで医学部に入るような奴と比較すると惨めだ。 「え?うそ!すごい偶然だね!私も建築学科だよ!」  落ち込む俺に対して、嫁が嬉しそうな声でそう言った。 「…あっ…そう…なんだ…」  またしても痛恨のミスだ。忘れてた。一周目の在学中は全くと言っていいほど嫁と絡みがなかったから意識してなかった。嫁も同じ学科なのだ。 「へ、へえ。君は{理織世}(りりせ)と同じ学科なんだね。はは。僕の幼馴染はちょっとポンコツだからサポートしてあげてくれ。あはは」  心なしか葉桐は落ち着きがなさそうに見える。一周目の時、浮気がバレた後この男は嫉妬を剥き出しにして俺に詰め寄ってきた。その時の空気感に似てる。 「幼馴染?リアルで聞いたの初めてね。ってことはあなたたちは付き合ってるの?」  綾城が興味あり気に尋ねる。…聞きたくねぇ…。個人的にはとても耳を塞ぎたい話だ。 「えー別にそんなんじゃないって。でも宙翔の事はかけがえのない人だって思ってるよ。ふふふ」  嫁は朗らかに笑ってそう答える。 「ああ、僕らはお互いに強い絆で結ばれてるって信じてるよ。あはは」  葉桐も爽やかに笑って言う。2人はどことなくいい雰囲気で穏やかに見つめ合う。かけがえのない人。積み上げた強い絆。結婚以上に優先される関係性。それってもうね?ん、理不尽かなって。俺最初から勝ち目なかったんじゃん。 「そうなの。ふーん。つまりあれね。傷つかないためのキープ、都合のいい男って奴なのね。あたしも欲しくなってきたわ、幼馴染。憧れるぅ」  場の空気が凍った。葉桐は口を一文字に引き結んでいる。嫁は引き笑いのまま止まっている。 「いやいやいや!ちょっと待って!何でそんな風に言うの?!宙翔は都合のいい男なんかじゃないよ!」  嫁は綾城に唇を尖らせて必死に抗議する。だけど綾城はどこ吹く風だ。 「そう?でもあなたたち体の関係もないんでしょ?なのに男女が一緒にいる?無理でしょ。絶対に無理。体を交えてさえ一緒にいられないことがあるのに、ましてやセックスもなしにお互いを繫ぎ止められるの?あたしには疑問ね」 「そんなことないよ!男女だって友情は存在するよ!」 「そうね。するかもね。つまりあなたにとって友情を上回らない魅力しかその男にはないし、その男相手に発情することを止められないくらい強く思ってるわけでもない。本当に強い絆を産み出すのはなりふり構わない愛じゃない?あたしはそう思う。それはエゴイスティックに相手を求める強い情動以外にはないのよ。例えば恋とか性欲とかね。あなたたちは良好な関係ではあってもそれは互いを激しく求めあうものではないのよ。異性同士の友情とは求めあう価値のないものたちの慰めでしかないわ。そんなつまらない感情は都合のいいものでしかないでしょ?違う?激しく求めあうなら互いに都合は悪いもの」  なんか一理も二里もありそうな含蓄のあるトークが綾城の口から出てきた。嫁は額に手を当てて考え込んでいる。 「うっ…え…でも私たちはずっと一緒で仲良くやってきてて」 「あたしの屁理屈で惑う程度の関係ならそんなもんでしょ」  ぴしゃりと綾城は吐き捨てる。まだこいつとは短い付き合いでしかないが、さっきのじゃれ合いを邪魔されたことに怒ってくれているようだ。それは俺の胸を確かに温めてくれるものだった。 「それ以上の侮辱はやめてくれ」  葉桐が嫁を庇う様に前に立つ。 「綾城さん、君の事もパーティーに誘うつもりだったけど駄目だ。僕は理織世を守るって決めてるんだ。君のような意地悪な人は誘いたくない」 「そう。別に頼んでないのだけどね。勝手に誘って勝手にやめて。忙しい人ね」  そう言って綾城はそっぽを向いた。だけど口元には笑みが張り付いてる。 「常盤君。余計なお世話かもしれないけど、そういう子と仲良くするのはやめた方がいい。他人を訳もなく傷つけるような人はクズだよ。仲良くする価値はない」  お前がそれを言うのか?俺から嫁を奪ったくせに?俺は一生分以上の傷を負って人生さえ失ったのに? 「常盤君。その子は放っておいて、僕たちのパーティーに参加しなよ。大切な幼馴染が通う学科の人とは話しておきたいし、君の為にもなる」 「あの後ろの連中がか?」  俺は葉桐の後ろの方にいる美男美女共に目を向ける。実にイケてる集団だ。各学科から選りすぐったまさしく陽キャの王国民。目の前の間男君がその王国の王様なんだろう。嫁はさながら女王様かな? 「そうだよ。各学科から光る人材を見つけて声をかけたんだ。みんな僕の考えに賛同してくれた。お互いに助け合って高め合う素敵な仲間たちだよ。特別な人たちだ」  そうか三つ子の魂百とはこのことか。間男は浮気バレした時に俺の事をひたすらこんな調子で責め続けた。曰く釣り合ってないだの。曰く自分は特別なんだと。曰くお前のような『下』とは違うのだと。 「俺にはお前が言っていることがひとつも響かねぇ。何一つ賛同できない。まず第一に綾城はクズじゃない。変人だがおもしれー女だ。仲良くする価値しかない」 「あら?庇ってくれるの?」  俺は綾城に笑みだけ向ける。だけどそれだけで多分綾城には俺の気持ちは伝わったと思う。彼女は優し気に笑って頷いてくれた。 「そして第二にだ。俺は大学デビュー系元陰キャなんだよ。だからああいうキラキラチャラチャラした連中が大嫌いだ。俺以外のリア充など視界にいれたくない」  一周目の世界。嫁と出会うまで俺の世界は色がなかった。俺は顔もいいし、頭の出来も良かったが、致命的に性格が悪かった。周りとうまく馴染めない。だからいつもキラキラしている人たちが羨ましくて仕方がなかった。全部壊れればいいって思ってた。だけど嫁と付き合って結婚して世界はすごく素敵な場所なんだと知った。他の人々の幸せを憎むことせずに済むようになった。 「そして第三にだ。そもそもあいつら顔以外に何の素養もないだろ。違うか?」  俺は確信があった。葉桐はおそらく純粋に見栄えだけを重視して選んでおり、その中でも頭のいい奴は恐らく『仲間』に入れてないと。 「…そんなことはないよ。彼らには光る才能がある。むしろ才能がある人を集めたらたまたま顔が良かっただけなんだよ」 「じゃあ誰か連れてきてその才能を証明してくれないか?」  葉桐の顔が能面のように冷たくなった。俺を静かに睨んでる。あの美男美女どもはこの男が忠実な家臣にするために集めた駒だ。見栄えのいい臣下はその上にたつ王様を輝かせてくれる。むしろ才能は邪魔だ。王様のことを玉座から蹴落としかねないのだから。 「彼らの事を疑うなんて君は酷いやつだな!人助けを率先してやるようないい人だと思ったのに!残念だよ!君を誘うのはやめておこう。君は僕達の仲間には相応しくない」  逆切れされた。つまり図星だ。あいつらは顔だけがいい木偶の坊だ。そんな奴の仲間になんか死んでもならない。それは俺の青春をドブに捨てるのと同じ愚行でしかないのだ。 「ねぇ宙翔」  俺と葉桐が睨み合う中で嫁が声を出した。 「なんだい理織世?」 「常盤君が言ってることは本当なの?あの人たちは一年の中でも才能があるすごい人たちだから交流するんだって言ってたよね?」  俯く嫁はどこか哀し気にそう言った。   「そうだよ。僕が嘘なんてついたことあるかい?」 「…そうだよね。うん。宙翔は嘘をつかないよね。…でも」  嫁は顔を上げて俺の事を見詰めてきた。灰が烟るような茶色の瞳がとても美しく、そして優しげに見えた。 「理織世?どうかしたのか?」 「ううん。なんでもないよ。もう行こう。2人とも喧嘩は駄目だよ。もうやめよう。宙翔、みんなのところに戻ろ。そろそろお店の時間でしょ?」 「ああ、そうだね。もう行こうか。この人たちと付き合うのは時間の無駄だ」  葉桐は俺たちに背を向けてお仲間たちの方へ戻っていった。 「…ごめんね、常盤君。次はちゃんとお話ししようね」  嫁は悲しそうに微笑んでから、葉桐の方へと向かっていった。そして彼らはゾロゾロとお食事会とやらをするためここから離れていった。 「綾城。これから暇?」  緊張がどっと抜けて自然とその言葉が出てきた。 「夜までだったら暇よ。夜は父とお食事なの」 「じゃあそれまで俺と遊びに行かね?」 「あら!いいわね!どこ行くの?」 「さあね。その場のノリとテンション次第かな。あはは」 「まあ計画性のないことね、面白そう。うふふ」  俺たちは笑いながら入学式会場を後にした。その日は夜まで大いに遊んだ。それはきっとキラキラした青春だったと胸を張って言えるものだったのだ。