# 122 生野菜会議 前回のあらすじ ------------------------------------------------------ 庭の隅に燻製小屋と木材置き場を作り、その翌日、インスピール・ソースの批評を行う。 黒蜜のようなソース、醤油や味噌のようなソースなど、失敗作もあれど、それぞれが有益なソースを作り上げる。 --- 「引き続いて、生野菜会議~~~! どんどんぱふぱふ~~!」  そう。ユキである。  立ち上がってそんな宣言をした。  デジャブである。 「あたしたちもこの世界に来て、結構な日数が経ちました。そろそろ生野菜について真剣に議論するべきだと思います!」  両手をドンとテーブルについて、そう力強く宣言する。  それを見た俺たちはどうしたものかと顔を見合わせ、ハルカがため息をついてから口を開いた。 「それは、真剣に議論するような事? 議論自体は別に良いけど」 「それじゃ、はんなりと議論したいと思います!」  そう言い直したユキは、楚々として椅子に座り直す。  そして口元を隠すように手を当て、小声で喋る。 「生のお野菜をいただく為には、何をすべきでしょうか」  それが『はんなり』か?  確かに落ち着きはしたみたいだが。 「そもそも生野菜を食べるのを控えていたのは、寄生虫が怖いからだろ? それに対する解決策はあるのか?」 「寄生虫だけじゃなくて、病原菌もね」  俺の疑問に、ハルカから注釈が入る。 「病原菌……野菜経由でも感染するか?」 「そうね……例えばノロウィルス。患者が料理した食事を食べて感染拡大ってあったでしょ?」 「そういえば、サラダが原因と思われる食中毒もあったな」  野菜に病原菌が付く危険性なんて、と思ったのだが、あり得ないって話では無いのか。  きれいな水で洗えば大丈夫な気もするが、こちらの病気に関してはあんまり知識が無いからなぁ。 「可能性は低いと思うけど、ここに来た当初に病気で寝込んでいたら、お金が無くなってそのまま人生終了でしょ? だから食べるのも控えてたんだけど……」  【頑強】があるため可能性は低いだろうが、万が一病気になった場合のデメリットが大きすぎるため、生野菜禁止にしていたようだ。 「尤も、今ならしばらく寝込んでも路頭に迷う事も無いし、こちらに関しては考えなくても良いかもね。もちろん、綺麗に洗うのは当然だけど」 「その場合の犠牲者はユキか。一番【頑強】が低いし」 「えっ!? あたし? 嫌だよ、病気になるの!」  トーヤの言葉にユキが声を上げる。  はんなり期間は早くも終了らしい。  まあ、違和感が激しくあるから、別に良いんだが。 「少なくとも自分たちで作った食事を食べる限り、リスクは日本で食中毒になるのと同じ程度でしょ、多分。むしろ【頑強】がある分、低いかも? 許容すべきリスク、って奴だと思うけど」 「そうなの? うん……じゃ、あとは寄生虫の問題?」  ハルカの説明に、ちょっと考えて頷くユキ。  この世界に虫下しの薬があるのかどうか知らないが、健康問題以前に、これは気分的にすごく嫌だ。  宿主になるのは絶対に避けたいところ。  それに、地球の寄生虫以上に怖い寄生虫とかいそうだし。ファンタジー的に。 「確か野菜に付く寄生虫って、人糞を肥料に使うのが原因なんだよな?」 「正確に言うなら、処理の仕方の問題ね。肥だめって知ってる?」 「見たことは無いが、名前だけは」  肥だめに落ちるとか、話にだけは聞いた事あるが、実際に経験した人なんて生きているのだろうか?  ある意味、すでに歴史上の出来事、といえるかも知れない。 「そう。まず何であれがあるかと言えば、回収してきた物はすぐに撒くわけじゃなくて、あそこに入れておくの。そうすると発酵して熱が発生するわけ。馬糞とか堆肥もこれは同じね。その熱で寄生虫なんかは死ぬから、完熟状態になれば問題ないの、基本的には」 「基本的には?」 「途中で温度が下がったり、後から新しいのを足したりしたらダメよね」  ホームセンターに売っている馬糞や牛糞などの堆肥はきっちり温度と時間を管理して、植物の病原菌や草の種、虫の卵などもしっかりと熱で死滅させてから販売しているのだとか。  70度弱で2、3ヶ月ってレベルらしいので、昔の人が同等の事をするのは難しかった事だろう。 「だが、そもそも、このあたりって、肥料に人糞を使ってるのか?」 「……あれ? そういうのを使うのって当たり前じゃないのか?」  根本的疑問を呈したトーヤに俺は首を捻るが、ナツキは首を振った。 「いえ、そうでもありません。何時の頃かは失念しましたが、日本に来た外国人が、糞などを上手く使って収穫量を増やしているのを見て驚いた、という話がありますから」 「あ、それはあたしも疑問に思ってた。ここで回収してるの、見た事無いし」  そういえば、江戸時代では長屋の大家の収入として、人糞の販売が小さくなかったという話があったな。  それに対して、この街でそれを集めて運んでいるのを見た事が無い。 「と言うか、宿のトイレとか、錬金術で焼却処理? してるよな。実は使ってない可能性が高い?」 「だとしたら安心なんだけど……解らないだけにちょっと心配よね」  そうなんだよなぁ、まだまだ俺たち、この世界の事に関して疎いし。  ユキたちの持っている【異世界の常識】もそこまで万能じゃ無い。  日本であれば、義務教育で9年間。多くの人は更に多くの年数勉強して大量の情報を常識として持っているが、この世界ではそうでは無い。普通の人が得られる『常識』の中身は案外制限されているのだ。 「それじゃ、これまでの情報を踏まえて、皆さん、意見をどうぞ」  意見と言われてもなぁ、と思いつつ、手を挙げてみる俺。 「はい」 「はい、ナオ」  そんな俺をユキが指名する。 「ハルカの【{乾燥}(ドライ)】で完全に乾燥させるのはどうだ? 寄生虫に関してはほぼ完全に対応できるだろ? それを水で戻して食べる」 「ふむふむ。乾燥させてしまえば、大抵の寄生虫は死ぬね」 「難点は、乾燥野菜は食感が異なる事ね。一応、生と言えば生なんでしょうが」 「ですよね。切り干し大根とか加熱してませんけど、水戻しした段階ですでに生野菜とは思えない食感ですし」 「保存食としてはありだと思うけど。軽くて日持ちするから」 「結論。生野菜じゃないけど乾燥野菜は役に立つ。だけど、マジックバッグを持つあたしたちには関係ない。他は?」  バッサリ切られた。  まぁ、サラダとかハンバーガーに挟むレタスとか、そういった物が欲しいという出発点を考えれば、却下も当然か。 「はい」 「はい、ナツキ」 「順当に、良く洗ってから皮を剥いて食べる、で良くないですか?」 「皮が剥けるタイプの野菜なら有効ね。問題は葉物野菜だけど」 「皮が剥けないからね。結論。葉物野菜以外はそれでオッケー」  ふむ。なら、あとはキャベツとレタスに類する物か。 「はい」 「はい、トーヤ」 「【頑強】を信じて食う」 「却下! それは対策とは言わない。それで一番割を食うのはあたしだし!」  当たり前である。  これまでの議論、放り投げる暴論である。  でも、案外トーヤとナツキレベルなら大丈夫そうなのが侮れない。  アホな事を言ったトーヤに焦ったのか、今度はユキが手を上げる。 「はい!」 「はい、ユキ」 「家庭菜園をする! 自分で育てた物を洗って食べれば大丈夫だよね?」 「顔の見える生産者か。これは確かに安心だな」  自分たちだし。  庭も広いし、ちょっとした畑ぐらいなら、問題なく作れるだろう。 「悪くない意見だとは思うけど、欠点は時間がかかることよね」 「成長を早める魔法とか無いのかな?」 「少なくとも、手持ちの魔道書には載ってないな。ユキ、土魔法で開発したらどうだ?」 「それって土魔法の範囲? むしろ、光魔法で成長促進とか」 「ふむ、一理ある。ハルカ、どうだ?」  ダメ元で訊いてみたが、当然と言うべきかハルカはあっさりと首振る。 「それはかなり難しそうね。私としてはむしろ、以前ナオが言った『浄化』でなんとかする方法を推したいわね」 「え、俺そんな事言ったっけ?」 「言ってたでしょ。『浄化』で野菜から寄生虫やその卵だけ綺麗にできないか、って。服の汚れだって取れるんだから、不可能じゃ無いと思うのよね」  うーん、そういえばそんな事を言ったような覚えもある。  それが可能なら、買ってきた野菜も気軽に食べられるようになる。 「それに、光魔法のレベル5には、『{殺菌}(ディスインファクト)』という魔法もあるの知ってるでしょ? これを使えば病原菌に関しても心配が無くなるんじゃないかしら」  そんなハルカの言葉を聞いて、ユキが困ったような笑みを浮かべ、ハルカに視線を向ける。 「えーっと、ハルカ? これまでの議論、無意味にするような情報なんだけど」 「だから言ったじゃない。『真剣に議論するような事』って」 「じゃあ、これまでも生野菜、食べられたんじゃ……?」  肩をすくめ、しれっと言ったハルカに、ユキは『えぇ~~!?』とでも言いたげな表情になり、そう訊ねたが、ハルカは首を振る。 「まだ『{殺菌}(ディスインファクト)』は使えないわよ? 『浄化』で寄生虫はなんとかなっても、病気にかかるリスクは{冒}(おか)せなかったでしょ、これまでは」  宿屋に泊まっている間は『病気=路頭に迷う』だったからな。  特に最初のうちは。 「それに、『{殺菌}(ディスインファクト)』を知ったのも、光系魔道書を買ったあとだから、比較的最近だしね。しばらくはちょっとギャンブルね。本当に効果あるのか判らないし」 「多少生野菜を食べたぐらいで病気になるなら、すでになってる気がするがな、オレは」 「一番危ないのはあたしなの! トーヤはちょっとやそっとじゃ死なないの!」  少し呆れたような表情を浮かべるトーヤに、ユキは猛然と抗議した。  『ちょっとやそっとじゃ死なない』というユキの言い分も酷いが、トーヤはただ苦笑を浮かべ、ナツキの方を指さす。 「いや、どっちかと言えば、オレと同レベルの【頑強】に、【病気耐性】と【毒耐性】まで持ってるナツキだと思うが」 「そんなことより、あたしが危ない事がとっても重要!」  気持ちは解る。  誰だって病気にはなりたくない。  しかもまともな病院なんて無いんだから、『下手な病気にかかる=死亡』である。 「それじゃ、まとめ!! ハルカ、早めに『{殺菌}(ディスインファクト)』を覚えてください! これにて、生野菜会議、終、了!」  半ばやけくそ気味にまとめたユキの言葉で、意味があったのか無かったのか、微妙でぐだぐだな会議は幕を閉じたのだった。