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110 鹿ってどうなの?
前回のあらすじ ------------------------------------------------------
森の奥に向かう前に、木を切る道具をガンツさんの店で調達。
高く売れる木を知るため、シモンさんのところで、銘木を見せてもらう。
「銘木は興味深かったですが、結局できる事は、できるだけ森の奥で、できるだけ太い木を切る事だけみたいですね」
工房から出てそう言うナツキに、俺たちは揃って頷く。
結局、生えている木を見ても、素人には種類と太さ以外では、高く売れるかどうかなんて判断ができないのだ。
下手に探し回るよりも、1本でも多く木を切る方がきっと稼げることだろう。
「一応、胡桃が人気とは教えてもらったが、あまり気にする必要もなさそうだよな」
胡桃の他にも何種類か売れ筋の品種を教えてもらったのだが、細くて木材にならない木以外は大抵売れるんだとか。
ぐねぐねにねじ曲がった木であっても、それはそれで味があるので、場合によっては高値で売れるというのだから、よく解らない。
「ねぇ、ナツキ。私としてはあの銘木とか、イマイチ価値が解らないんだけど。あんな黒っぽくてモヤモヤしたのじゃなくて、木目が揃った綺麗な板の方が良くない?」
「うん、俺も同感」
ハルカの言葉に揃って頷く俺たち。
そんな俺たちに、ナツキもまた苦笑して頷いた。
「あはは……、まぁ、すべてとは言いませんけど、銘木なんて珍しさに価値を見いだす所がありますからねぇ。ほら、汚いオモチャでも、数が少なければ高くなる、みたいな? それの素材とか機能性とかは値段とは別問題ですよね」
「あぁ、ゴミみたいな物に驚くような値段が付いていたりするよな。オレなら絶対、すぐに売り払うな、あんなのだと」
「知らなければ無価値だよね、ああいうのって」
俺はゴミとまでは言うつもりは無いが、アンティークって結局、バックグラウンドが無ければ価値がないものが多い。
絵画にしても普遍的価値なんてものは無く、ゴッホのように生きている間にはまともに絵が売れなかった画家もいる。むしろ多くの有名絵画は、画家が死んだ後の方が価値が出るのだから、難儀な物である。
希少価値――つまりは、『死んでいれば数が増えることはない』という、なんとも言い難い事を担保として価値が付くのだから。
「尤も、ここの銘木は、機能面でも違いはあるみたいですから、少し違いますけど」
「硬いんだよな? 切るのにも苦労するのかな?」
鋸や斧は準備したが、実のところ、俺たちの中で立木を切り倒したことのある者はいない。
板を鋸で挽いたり、薪を斧で割ったりしたことはあるが、その程度。上手く行くかどうか、少々不安もある。
「ハルカは魔法で、スパッと切ったりは出来ないのか?」
「トーヤ、無茶言うわね。トーヤがその剣で、木を切り倒すぐらいには難しいわよ」
トーヤの無茶振りに、ハルカがため息をついてそんな言葉を返す。
「うむ、不可能ということだな」
言うまでも無いことだが、トーヤの持っている剣はほぼ鈍器である。
全く切る用途には適していないし、仮に切れるタイプの剣であっても、木材になるような太さの木を切り倒すことは無理である。
「『鎌風エア・カッター』って魔法はあるけど、レベル5の魔法だし、何回使えば切り倒せるのか、想像も付かないわよ」
現在のハルカの風魔法はレベル3。
スキル表記と使える魔法が完全に一致するわけでは無いので、先に『鎌風エア・カッター』だけを練習する方法もあるが、覚えたところでハルカの言うとおり、太い木が切れるはずも無い。
何度も使えばそのうち切り倒せるかも知れないが、そこまでして魔法を使うメリットはない上に、魔力がつきれば戦力低下になるため、危険な森の中では完全な悪手である。
「まぁ、そこは力自慢のトーヤが居るからなんとかなるだろ」
「敵が強くなければ、トミーとか最適なんだがなぁ。アイツの武器、バトルハンマーだし」
「いや、攻撃が当たったら死にかねない人は、連れて行けないわよ」
これまでもろに打撃を喰らうことは殆ど無かった俺たちだが、それでもゼロでは無い。
それでも未だに無事なのは、高価な防具のおかげという面もあるのだ。
対してトミーの防具はと言えば、よくは知らないが、資金的にも俺たちほどの物ではないだろう。
ドワーフ故に素早く避けるタイプでもなし、せめてオーガーの攻撃を食らっても生きていられるぐらいにならないと怖い。
……いや、俺たちもまだオーガーには遭遇していないのだけども。
「たぶん、問題はオーガーだよな」
バインド・バイパーは群れないので、先に見つければ問題なし。
スカルプ・エイプとはまだ戦っていないが、群れるのは厄介でもさほど強くないという話だし、そう簡単に大怪我をすることは無いはずだ。
「どのぐらい強いか、気になるな。あと、シモンさんはちらっとだが、鹿が出る、とも言っていたよな」
「鹿かぁ。これまで見たこと無いよね。売れるのかな? 角とお肉、あとは皮?」
北の森に鹿が居ること自体は知っているが、生息地域が山に近いあたりらしく、これまでは1度も遭遇していない。
冬になったためか猪も見かけなくなったので、鹿を狩れるようになれば多少足しになると思うのだが……。
「あ、そうだ。ちょっと待って」
トーヤが立ち止まり、自分のマジックバッグの中から1冊の本を取り出して何か調べ始めた。
表紙を見ると、そこに書いてあったのは、『獣・魔物解体読本』という表題。
「どうしたんだ、その本」
「ん? この前買った。ほら、俺ってお前たちと違って、戦う事しかできないだろ?」
ハルカから資金の分配を受けた後、自腹で購入した本らしい。
トーヤにできる事が少ないという点は否定できないものの、敵の前面に立ってくれているのだからそれで十分なんだがなぁ。トーヤのおかげで怪我をせずに済んでいる面はあるのだから。
まぁ、向上心自体は良いと思うので、否定するつもりは無いが。
「鹿……あった。ユキの言うとおり、角、皮、肉だな。『柔らかくなめした革は衣服などに使われる』」
「そういえば、セーム革は鹿の皮でしたね。時計やガラスのお手入れにも使う柔らかい革ですね」
「へぇ、セーム革……」
思い出すようにそう口にしたナツキに相鎚を打った俺だったが、『セーム革』自体、初耳である。
俺の知っているガラスのお手入れと言えば、濡らした新聞紙。
うん、レベルが違う。
「注意点は『すぐに冷やさないと肉が臭くなりやすいので、川に浸けることを勧める』だと」
「川に浸けるのは無理だけど、冷やすことはできるわね。私の魔法で」
ハルカがふむふむ、と頷き、トーヤの持つ本を覗き込む。
普通の猟師であれば不可能な処置が可能なのが、俺たちのメリットだよな。
「鹿だと猪ほどはお肉、取れそうも無いけど、味はどうなのかなぁ?」
「えーっと、『きちんと処理すれば美味しくいただける』と書いてあるね」
ユキの疑問に本を覗いていたハルカが答えるが、解体が下手だと不味いって事なんだよな?
買い取り時の値段とか、どうなるんだろうか?
プロはそのへん、判断ができるのか?
「でも、銘木以外にも売れる物があるのは良かったですね。そう簡単には、森の奥までいけないでしょうし」
「そうだな。余録として、俺たちの食事にもバリエーションが増えるし」
鹿肉は食べたことが無いから少し楽しみ、とそう口にしたのだが、ナツキは少し困ったように笑う。
「えーっと、私は鹿肉は調理したこと無いですが……ハルカ、ありますか?」
「あるわけが無い。ごく普通の家庭に育った私に何を期待してる?」
「ユキは……無いですよね?」
「もち。一番可能性があるナツキが無いんだから。【調理】スキルに頼るしかないんじゃない?」
鹿肉なんて、普通のスーパーには売ってないからなぁ。料理したことあると言われた方が、むしろ不思議である。
猪やオークも扱ったことが無いのは同じだったのだろうが、豚肉と同じように調理すれば問題なかったようなので、もしかすると鹿肉も普通に調理すれば美味しく食べられるかも知れないが……。
「なぁ、アエラさんに聞いてみるのは? プロだし」
「それは良いわね! 鹿肉を手土産に、訊きに行ってみましょう」
トーヤの出した提案に、ハルカが顔を輝かせて頷く。
家を買って以降、アエラさんの店に食べに行く回数は減ったが、肉の納品はコンスタントに続けているので、その機会に訊くのは難しくない。
とはいえ――
「それも、鹿肉を手に入れてから、だな」
「……そうね。まだ先の話よね。それじゃ、森に行きましょうか」
少し気が早かったことに気付いたのか、ハルカが少し頬を赤らめて歩き出そうとしたその時、ナツキが手を上げてそれを制した。
「あ、その前に。昨日、怪我の回復用のポーションを作ることができましたので、渡しておきますね」
そう言って、ナツキが栄養ドリンクの半分程度の瓶をトーヤに5本、それ以外の俺たちには3本ずつ渡す。
見た目は少しだけ緑っぽい液体だが、これがポーションなんだろうか?
「上手くできたのか?」
「はい。一応、効果はあります。傷にかけても、飲んでも良いですが、かなり苦いです。苦いと言われる漢方薬ぐらいに」
「なるほど?」
ナツキの解るような、解らないような例えに首を捻る俺。
漢方薬なんて飲んだ覚えが無いし。
頷いているのは……トーヤだけか。なんとも嫌そうな顔で。
「トーヤ、解るのか?」
「ああ。――知ってるか? 漢方薬って顆粒で処方されるけど、正式にはアレをお湯で溶かして飲むんだぜ? 俺が飲んだのは薬剤師に『苦い』と言われるだけあって、かなり……」
トーヤはその時の味を思い出したのか、少し遠い目をして口をへの字に曲げる。
本来は長期間飲むのが漢方薬の使い方らしいが、トーヤは一応処方された分だけは飲みきったものの、それ以降は止めてしまったとか。
俺は粉薬も苦手だから、漢方薬とか無理かも知れない。
尤も、この世界では漢方薬を飲む機会は無いわけだが、逆にポーションは存在するわけで。
可能ならば飲みたくはない。
「取りあえずこのポーションが苦いことは理解した。で、飲む意味はあるのか?」
かけるだけで効くなら、あえて飲む必要は無いよな、苦いのに。
「飲むと、しばらくは効果が続きます。傷をすぐに治したい場合はかけた方が良いです。その時の状況で選んでください。基本的には私かハルカが魔法で治すと思いますけど、危ない場合には躊躇わずに使ってくださいね」
「……あぁ、ありがとう」
ナツキに微笑みながらそう言われては、お礼を言う以外無い。
魔法を使ってもらう余裕が無いような戦闘は、ますます避けないとなぁ。