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養蜂家の青年は、中年親父の話に耳を傾ける
 なぜ、マクシミリニャンは満身創痍だったのか、ろくでもない話だろうが会話が途切れたので尋ねる。
 
「馬車を使ってやってくるつもりが、途中、足を滑らせて湖に落下し、鞄と路銀を落としてしまったのだ。おかげで、人里に来るまで苦労してしまった」
「人里って……」
 ボーヒン湖周辺は秘境とはいえ、少しは人が住んでいるだろう。山々には、いったいどれだけの人達が住んでいるのか聞いてみたが、娘と自分、それから家畜と飼い犬以外いないという。
「どうして、そんなところに住んでいるの?」
「それは……皇家に、蜂蜜を、献上しなければいけない日が、くるかもしれないゆえ」
「皇家って」
 かつて、この地は隣に位置する帝国の支配下にあった。しかし、十年前の皇帝の崩御をきっかけに帝国の体制は崩れ、三年も経たないうちに解体された。以後、この国は連合国となる。
 独立はしていないものの、自由を手に入れたと喜んでいた。
 ただし、一部の者達を除いてであるが。
 以前までは各地に、皇族御用達の商店や職人達がいた。皇家からの注文に応じてドレスを作ったり、民芸品をこしらえたり、品物を用意したり。
 売り上げが生活を支えていたため、皇家という取引先を失った者達は一気に廃業に追い込まれる。
 だが、細々と暮らし、生活している者達も少なからず残っている。
 彼、マクシミリニャンも、旧体制の影響を引きずったままでいるようだ。
「いつかまた、蜂蜜を求めてやってくるかもしれぬから、我らはあそこに居続けるしかない」
「待って、帝国は十年も前に崩壊した。影響力のあった皇帝は病死したし、新しい皇帝は島送りにされた。残りの皇族も、国外追放されて、国内には残っていない」
「それでも、我らには、森の奥地で蜂蜜を作る以外の生き方を、知らない」
 言葉を失う。訪れるはずもない皇家の注文を、秘境の地で待つなど、無駄の一言だ。
 家族を見捨てられないのは俺と同じなのだろう。マクシミリニャンと娘アニャもまた、今の暮らしを手放せずにいる。
 変化は、恐ろしい。どんなに辛くても、そこから抜け出せない気持ちはよく理解できる。
 だからといって、誰もいない秘境の地で年若い娘と二人で暮らすのは、あまりにも不毛である。
 ただ、わかっているので、こうして街までやってきて結婚相手を探しているのだろう。
「明日は、街に行って探してみよう」
「まあ、家業を継いでいる者がほとんどだから、難しいとは思うけれど」
「むう」
 路銀を持っていないと言っていた。泊まる場所もないのだろう。マクシミリニャンは野宿をするというが、春とはいえ夜はまだまだ冷える。
 仕方がないので、小屋の片隅を貸してあげることにした。
「かたじけない。恩を、いつか返さなければ」
「いいよ、そんなこと、しなくて。代わりに、困っている人がいたら助けてあげてよ」
 窮地に立つものは、他にたくさんいる。マクシミリニャンが助けた人が、また親切を働けばいい。
 世の中、そうやって回っていったら平和になるのに。
 そんな話をしながら、眠りに就いた。
 朝――日の出前に目覚める。
 小屋の片隅にマクシミリニャンはいない。もう、起きて街へと行ったのか。
 そう思ったが、小屋の外から物音が聞こえた。加えて、肉が焼けるような香ばしい匂いもする。
 外に出ると、マクシミリニャンが焚き火でウサギの丸焼きを作っていた。
「おお、イヴァン殿、おはよう」
「おはよう。何をしているの?」
「朝食を用意していた」
 朝からウサギを仕留めたらしい。一人につき一羽あるようだ。
 きれいに解体され、串焼きになっている。
「ここにあった塩を、使わせてもらったぞ」
「それは、構わないけれど」
 マクシミリニャンは笑顔で、焼きたてのウサギの串焼きを差し出した。
 朝から、脂が滴る串焼きなんて。正直食欲が湧いていなかったが、好意を無下にするわけにはいかない。
 受け取って、ちみちみと食べる。
 肉は歯ごたえがあり、臭みはいっさいない。起きたばかりでなかったら、三本くらい食べられただろう。
 今は、一本食べきるので精一杯だった。
「む、一本でよいのか?」
「うん、ありがとう」
 普段も、朝はあまり食べない。薄く切ったパンに蜂蜜を塗ったものを食べるくらいだ。だから、痩せる一方なのだろう。
「そなたは、もう少し、肉を食べたほうがいいな」
「食べても肉がつかない体質なんだよ」
「そうであったか」
 マクシミリニャンは他にも獣を仕留めたようで、売って路銀を稼ぐという。なんとなく心配なので、街にある知り合いの精肉店を紹介した。
「俺の名を出したら、買い取り価格をおまけしてもらえるかも」
「おお、そうか。恩に着る」
 すぐに、街に向かうようだ。もう、二度と会うことはないだろう。
「どうか、気を付けて」
「何から何まで、感謝するぞ」
「わかったから、いってらっしゃい」
「いってくる」
 去りゆく後ろ姿を見つめながら、どうかアニャにいい婿が見つかりますようにと、心の片隅で祈った