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ch008~010, ja source context

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養蜂家の青年は、双子の兄を起こす大任を命じられる
 大家族の朝は、戦争である。
 一番広い居間は、長男一家を始めとする年上の兄達が陣取っていた。ここで優雅に朝食を食べられる者は、ごく僅かである。
 あぶれた者達は、廊下で食べたり、自室で食べたり、台所の片隅で食べたり。はたまた、庭に敷物を広げて食べる猛者もいる。
 料理は瞬く間になくなり、確保は困難だ。
 女性陣の叫びも、響き渡る。
「イヴァン、うちの子を起こしてきて」
「それが終わったら、うちの末っ子の着替えをさせて」
「あの子、見なかった?」
 義姉達は、顔を合わせるたびにあれやこれやと仕事と頼んでくる。朝食を確保する余裕なんて、どこにもない。
 俺が生まれる前から、こんな毎日である。
 兄達がのんびりパンをかじっている様子が視界に入っても、怒る心はすり減っている。今では、何も感じなくなっている。
 女性陣の言いつけは十を超え、最後の最後に、母から最低最悪の仕事を命じられる。
「イヴァン、サシャを起こしてきて」
「ええ~」
「ええ、じゃないわよ!」
 今日も、サシャは朝寝坊である。起こしても、働くわけではないので寝かせておけばいいのに。そう答えると、「朝食を食べ損ねるでしょう!」と怒る。
 あれこれと動いているうちに、腹がぐーっと鳴っていた。やっと、俺の腹も目覚めたらしい。マクシミリニャンに貰って食べた兎の串焼きを食べていたものの、空腹を訴えていた。
「お腹が空いたら、自分で起きてきて適当に食べると思うけれど」
「いいから、起こしてきなさい!」
 毎日働く息子よりも、働かない息子が朝食を食べるほうが大事らしい。
 母はいつだってそうだ。先に生まれた子どもほど、愛情たっぷりに育てる。だから、イェゼロ家の男達は甘えて、自由気ままに暮らしているのだ。
「サシャの好物の、マスのスープを作ったと言えば、すぐに目を覚ますから」
「はいはい」
 気が進まないが、母の命令には逆らえない。重たい足を素早く引きずりながら、サシャを起こしに向かう。
 生意気なことに、サシャは一階のそこそこ広い部屋をロマナとの夫婦の部屋として与えられた。十歳年上の兄ゾルターンが使っていた部屋で、彼らの離れが完成したために入れ替わる形になったのだ。
 そんなサシャの部屋の扉を叩くものの、返事はない。ため息を一つ零し、中へと入る。
「サシャ、入るよ」
 部屋は、大きな窓に二人用の寝台、それからテーブルや棚などの家具が置かれた立派なものである。
 サシャは寝台で、枕を抱きしめて眠っていた。服は着ておらず、白い肌をおしげもなくさらしている。窓を開き、被っていた毛布を取ってサシャの名前を叫んだ。
「サシャ!!」
 朝のひんやりとした風が吹く。すると、うめき声をあげながら目を覚ました。
 開口一番、物騒な言葉を吐き捨てる。
「イヴァン、殺すぞ」
「同じ言葉を返すよ。早く起きないと、母さんが俺に怒ってくる」
「クソババアが」
 この通り、サシャは大変口が悪い。
 双子に生まれたものの、性格は天と地ほども異なる。
 彼は昔から傲慢で、我が儘で、自分勝手な男なのだ。
 同じ顔に生まれたばかりに、何度サシャのいたずらの罪をなすりつけられたことか。
 恨み話は、一晩中話しても尽きないだろう。
 そんなサシャの悪癖は、“俺の物を欲しがる”こと。
 菓子、食事、友達、犬など、俺が努力して得たものを、なんでも欲しがるのだ。
 ロマナだって、そうだろう。俺と打ち解けている様子を見て、自分の物にしたくなったのだろう。
 初めてサシャがロマナに出会ったときに、薄汚れていた彼女を「汚いから、捨ててこい」なんて言った。それなのに、数年後に結婚すると言いだしたときは驚いたものだ。
 今まで、どれだけの物を奪われて、悔しい気持ちになったか。
 ミハルはサシャの性格の悪さを知っているので、どんな甘い言葉を吐かれても気を許さない。
 唯一、親友といってもいい存在だろう。
 それからもう一つ。
 養蜂の仕事はいくら頑張っても、サシャは奪わない。
 だから俺は、何事にも興味がない振りをして、仕事にだけは情熱を燃やすようにしていた。
「なあ、イヴァン」
「何?」
「昨晩のロマナも、よかったぜ」
 サシャは俺が、ロマナを好きだと今でも思い込んでいる。こうやって、情事の感想を自慢げに話してくるのだ。
 ロマナに対する感情は、異性としての好意ではない。妹みたいな存在だと思っている。
 サシャと結婚すると言ったときは、さすがに反対した。けれど、ロマナの決意は揺るがなかったのだ。
 それを見て、サシャはさらに勘違いをしたのだろう。
 夫婦の情事の話なんて、死ぬほどどうでもいい。勘弁してくれと、心から思っている。
 ここで嫌がるとサシャは喜ぶので、無視をするに限るのだ。
「おい、なんか言えよ。言葉がわからないわけじゃないだろうが!」
「はいはい、幸せそうで、何よりです」
 そう答えると、サシャは枕を投げ飛ばしてくる。
 起き抜けなので、そこまで勢いはない。ひらりと躱し、サシャの部屋をあとにした。
 そうこうしているうちに、朝食はなくなる。これが、いつもの朝の風景であった。

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養蜂家の青年は、せっせと働く
 仕方がないので、朝食は昨日ミハルに貰った干物を食べる。噛みすぎて、顎が疲れてしまった。
 家を出る前に、恒例の兄達の命令が始まった。
「おい、イヴァン。新しい巣を三つ用意しておけ」
「花畑の柵が腐りかけているから、新しく作っておけよ」
「花の間引きも、忘れるなよ」
 口々に命じられる内容は、女性陣から頼まれて言っているのである。遊び歩いている兄達が、養蜂園の仕事なんてわかるはずがない。
 女性陣から直接言ってもいいのだが、なんとなく朝から仕事を命じるのは悪いと思っているのだろう。だからこうやって、夫である兄を通じてあれこれ頼んでくるのだ。
 兄達はこうしていろいろ言っていると、仕事をしているつもりになるのだろう。実に偉そうに、命令してくれる。
 これもまあ、物心ついたときから当たり前のように命じられていたので、別に何も感じない。
 出かける前に、上半身裸のサシャに声をかけられる。
「なあ、イヴァン」
「何?」
 ニヤニヤしながら、サシャは俺を見る。何か、バカにしようとしている顔だろう。
「お前、毎朝毎朝仕事を命じられて、情けないと思わないのか?」
「別に」
 素っ気ない反応をしたからか、サシャの表情はだんだんとふてくされたものになる。
「兄貴達に、いろいろ言われないと、動けないのかよ」
「ああ、そうなんだよ」
「無能の兄のために、働いているってか?」
「はいはい」
 別に、兄達のために働いているのではない。俺は、蜜蜂のために働いている。
 むしろ言ってくれるほうが、助かるのだ。
 優秀な女性陣が仕事を頼んでくれるので、忙しいながらも蜜蜂のために効率的に動ける。
 サシャもいろいろ言うのに、兄達が同じような言動を取ると文句を言ってくるのだ。
 俺にからんでいいのは、自分だけと言いたいのだろうか。
 迷惑なので、どちらも話しかけないでほしい。
「兄貴達が、お前をなんて言っているのか、知っているのか?」
「知らない。興味ないし」
 どうせ、奴隷みたいとか、女の言いなりとか、好き勝手言っているのだろう。
 働き者の女性陣から用なし扱いされるのは嫌だけれど、遊んで暮らす兄達の評価なんて心底どうでもよかった。
「お前はそんなだから――」
「ごめん、サシャ。忙しいから」
 サシャの言葉を制し、家を出る。背後で何か叫んでいたが、無視した。
 太陽がさんさんと輝く時間になり、一日の仕事が始まる。
 養蜂のさいの恰好は、通常であれば蜜蜂避けの網つき帽に、分厚い手袋に外套と決まっている。
 けれど、蜜蜂に慣れると、それらの装備は必要ない。
 温厚な灰色熊のカーニオランは滅多なことでは怒らないので、燻煙器も必要ないくらいだ。
 今日も、普段通りのシャツとズボンに、釣り鐘状の外套を着て、帽子と手袋を装着して養蜂園を目指す。
 花畑養蜂園では、花々が開花しつつあった。蜜蜂はぶんぶん飛び回り、花蜜を巣へと運んでいる。
 一番上の兄の巣小屋から、様子を確認していく。病気になっている蜜蜂はいないか、他の虫がきていないか、小屋の木材は腐っていないか。点検箇所はたくさんある。
「イヴァン兄ー!」
 母親から命じられていた仕事を終えたツィリルが、手伝いにやってくる。
 今日は、雄蜂の選別を教えてやることにした。
 巣箱から、枠を取り出す。ここには、大量の蜂の子が産み付けられているのだ。
「イヴァン兄、それを、どうするの?」
「雄の幼虫だけ、外に出すんだ」
 そう言った瞬間、ツィリルは「ゲッ!」と言って顔を顰める。
「なんで、そんな酷いことするんだよ」
「雄蜂の数が多いと、それだけ蜜を消費するんだ。きちんと管理していないと、採れる蜂蜜の量が減ってしまうんだよ」
「そうなんだ」
 雄蜂は女王蜂と交尾し、蜜蜂を産ませる役割がある。また雄蜂の存在は、蜜蜂に働くやる気を与えるらしい。そのため、まったく必要ない、というわけではないのだ。
「でも、どうやって、雄の幼虫と、雌の幼虫を見分けるんだ? なんか、難しそう」
「簡単だよ。雄は体が大きいから、巣穴の蓋が盛り上がっているでしょう?」
「あ、本当だ!」
 雌の巣穴は平らなのに対し、雄の巣穴はわかりやすく盛り上がっているのだ。蓋をナイフで削ぎ、鑷子ピンセットで摘まんで幼虫を取り出す。
「うげー、気持ち悪い」
「じきになれるよ」
 幼虫は瓶に詰め、持ち帰る。そのまま素揚げにして、塩をパッパと振って男達の酒の肴となるのだ。
 ツィリルはすぐに技を習得し、テキパキと幼虫を捕まえては瓶に詰めていた。
「よしと。こんなもんかな」
 一部の雄の幼虫だけ残し、あとは素揚げだ。
「これ、本当においしいの?」
「さあ?」
 これまで、幼虫の素揚げを食べたことがない。大人の味とか言って、父や兄達が独占していたのだ。それは今も続いている。
「ダニが寄生していないか、注意して。もしも変な幼虫がいたら、取り除いてね。ダニに寄生された個体を食べたら、大変だから」
「うへえ」
 ダニは雄の幼虫が大好物で、寄生した状態でそのまま外にでてくる。蜂の体を乗っ取り、別の巣に紛れ込んで繁殖し続けるのだ。
 羽が縮んでいたり、黒ずんでいたりと、様子がおかしな蜜蜂を発見したら、すぐに除かないといけない。
「イヴァン兄がせっせと手入れしているから、おいしい蜂蜜が採れるんだな」
「まあ、俺だけじゃなくて、みんなで頑張っているからね」
 これほど広大な養蜂園を、従業員を雇わずに家族だけで運営できているのは、女性陣の頑張りがあるからだろう。
「きちんと女王に従っていたら、これまで通りの暮らしができるんだ」
「蜜蜂も、イェゼロ家もってことだね」
「その通り」
 今日は日差しが強く、温かな風も流れていた。
 春が、本格的に訪れようとしているのだろう。

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010.md

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養蜂家の青年は、クリームケーキにかぶりつく
 頼まれていた巣箱を完成させ、一息ついているところにロマナがやってきた。
 何やら、大きなバスケットを抱えている。
「あの、イヴァンさん。もうそろそろ、休憩、ですよね?」
「そうだけれど」
「ご一緒、してもいいですか?」
 どうして、ロマナはツィリルがいないときにやってくるのか。ここにもう一人誰かがいたら、一緒に休憩できるのに。
 二人で過ごしたことがサシャにばれたら、一大事である。一週間は嫌味を言われてしまいそうだ。
「ロマナ、昨日も言ったけれど、二人では過ごせな――」
「クリームケーキを、作ったんです」
「クリームケーキ、だって!?」
 クリームケーキ、それは王侯貴族の保養地だったブレッド湖の名物である。
 一見して、正方形のケーキだが、構造がただのケーキではない。
 上下はサクサクのパイ生地で、その下にバタークリーム、さらにプリンのようにどっしりした濃厚なカスタードクリームが挟まった、世界一おいしいケーキだ。店や家庭によってさまざまな種類がある。
 父の好物だったので、以前は母もよくクリームケーキを作っていた。父を追い出してからは、一度も作っていないような気がする。
 ロマナは母からクリームケーキの作り方を習ったのだという。
「イヴァンさん、クリームケーキ、食べたくないですか?」
 キョロキョロと、周囲を見渡す。物置小屋が陰になっていて、周囲からこちらの状況は見えないだろう。
「食べたい」
 そう答えると、ロマナは満面の笑みを浮かべた。なんだか、笑っているロマナを見るのは、久しぶりな気がする。
 きっと、サシャが自分以外の男の前で笑うなとか、命令しているのかもしれない。世界一心が狭い男である。間違いない。
 ロマナはバスケットから敷物を取り出す。
「俺が敷くよ」
「え!?」
「何、驚いているの?」
「あ、ごめんなさい。イェゼロ家の男性は、自分から動くということは、しないので。そういえば、イヴァンさんは以前から、あれこれ自分から動いていましたね」
 ロマナもすっかり、何もしないイェゼロ家の男達の習慣に染まりきっているようだ。きっと、一から十まで世話を焼いているのだろう。
「あのさ、ロマナ。サシャの命令は、全部聞かなくてもいいからね」
「ですが、身よりのない私と結婚してくれた恩がありますので」
「結婚に恩も何もないってば。互いに好きだから、一緒になったんでしょう?」
 そう言ってやると、ロマナはハッとなってこちらを見る。そのあと、苦しげな表情を浮かべ、胸を押さえた。
「私、やっぱり――」
「やっぱり?」
「いえ、なんでもありません」
「そうやって言いかけるの、余計に気になるんだけれど」
「ごめんなさい。ですが、言えません」
 言えないことを「言えない」と、はっきり主張できるようになったのはいいことか。
 ここに連れてきたばかりのロマナは、とにかく口数が少なくて、日常の会話も成り立たないほどだった。
 家族がおらず、身売りをしようとしていたロマナの人生は壮絶だ。
 サシャが幸せにしてくれたら言うことなしだが、それも難しいだろう。サシャの気質は、ぐうたらで乱暴者だった父に一番似ているから。
 一応、二人の結婚に反対はしたものの、周囲も、ロマナ本人も聞き入れなかった。
「ロマナ、今、幸せ?」
 問いかけに、ロマナはサッと顔を伏せる。その反応は、幸せではないと言っているようなものだ。
 ため息を一つ零しつつ、敷物を広げる。どっかりと腰掛けると、ロマナがクリームケーキを差し出してくれた。レモネードも、添えてくれる。
「ありがとう」
「い、いえ」
 気まずい空気の中、クリームケーキにかぶりつく。
「ん、うまっ!!」
 パイ生地はサックサク、中のクリームはカスタードで、スポンジ部分は驚くほどふわふわだった。
 甘ったるいのに、あとを引かない。やはり、クリームケーキは世界一おいしいと思ってしまう。
 あっという間に食べ、指先についたクリームまで舐める。
 レモネードをごくごくと飲み干した。
「もう一つ、食べますか?」
「うん、ちょうだい」
 ロマナは微笑みながら、クリームケーキを差し出す。それを、一口で食べて見せた。
 彼女は目を丸くしたあと、お腹を抱えて笑っていた。
「そんなに笑うなんて」
「だって、信じられません。大きなケーキを、一口で食べるものですから」
 笑いが収まったあと、ロマナは俺の口の端に付いていたクリームを指先で拭う。
 それを、ペロリと舐めた。突然の行為に驚き、身を固くしてしまう。
「ロマナ、そういうの、止めなよ」
 軽く注意したつもりだったが、声色が冷たくなってしまった。
 ロマナはビクリと肩を震わせ、謝罪する。
「ご、ごめんなさい。つい」
「いいよ。どうせ、ちび達と同じように、世話を焼いてくれたんでしょう?」
 ロマナは子ども好きで、サシャと結婚する前から甥や姪の面倒をよく見ていた。おかげで、二人が結婚すると聞いたとき、子ども達が一番喜んでいた記憶がある。
 そんなことよりも、気になるものに気付いてしまった。
「ねえ、ロマナ。さっき、首元がちょっと見えたんだけれど、人の手の痕が――」
「これは、なんでもありません!」
 ロマナは早口で言って、レモネードが入った瓶やら、カップやらを片付ける。
 敷物の上から追い出され、風のように去って行った。
「あー……」
 ロマナの首に、強く締めたような指先の痕があったのは気のせいだったのか。
 元からある痣なのかもしれないが。
 ロマナが去った方向とは逆方向に歩いて行くと、母に見つかってしまった。
 大量の仕事を頼まれ、うんざりしたのは言うまでもない。
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