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# 第1話 嫁の浮気の顛末と、二週目の大学生活の始まり
 嫁に浮気された。
 最初は信じられなかった。俺の嫁はいつもニコニコして優しかった。だから発覚した時は何かの間違いだと思った。だけど事実だった。
「本当にごめんなさい…」
 謝るくらいなら最初からしないで欲しかった。嫁の浮気相手は彼女の大学時代のイケメンハイスペック元カレ。ダサい旦那よりも昔の燃える恋を思い出してしまった。そんな何処にでもありそうなありふれた話。
「でも別れたくないの…お願い…私の傍にいてください…あなたのそばにずっと居たいの…」
 嫁は言い訳の類を一切しなかった。そして浮気したくせにまだ俺といたいと言った。まったく理解ができなかった。女はみんなこうなんだろうか?モテない俺は嫁以外の女と付き合ったことがない。だから彼女が何を考えているかわからなかった。
「何でもします。お金なら全部あげます。どんなふうに扱われてもいい。あなたが他の女と遊んだってかまわない。だけど傍に、傍にいさせて…」
 わけがわからなかった。浮気するっていうことは向こうの方が好きだってことだ。それに間男は嫁を略奪する気満々だった。不倫によって社会名声が毀損しても気にしてなかった。相場の何倍もの慰謝料さえ提示してきた。それどころか今後の俺の出世なんかさえも口利きしてやるとさえ言ってきた。はっきり言って破格だと思う。まともな思考の持ち主なら嫁と別れて慰謝料を受け取って第二の人生を歩む気になるくらいの好条件。嫁だって俺よりもかっこよくてお金持ちな間男の方がいいに決まってる。実際とても美人な嫁ならイケメン間男と並べば誰でもお似合いだというだろう。誰も損しない。むしろそれこそが正しいとさえ思える。なのに。
「私はあなたを愛してるの!あなたの傍がいいの!あなたじゃなきゃいや!あなたといっしょがいいの!ずっといっしょに!いっしょにいたいの!」
 この女はいかれてるんだと思った。きっと浮気してバレて混乱していたんだと思う。だけど時間をおいても答えは変わらなかった。嫁は俺と別れることを拒絶した。もちろん法律はそれを許さない。俺から離婚を言い出せば、時間はかかっても必ずいつかはそうなるのだ。だがまったく話は進まなかった。別居を選んでも嫁は俺の行く先々についてきた。黙って引っ越してもすぐに探し当ててきた。勝手に俺の部屋に入って隣に寝てる。ふざけた生活。俺は一切会話しなかった。俺は嫁を無視し続けた。だけど嫁はいつも日常の些細な話ばかりを繰り返していた。馬鹿馬鹿しい生活。間男はいつも俺のところにやってきて、嫁を渡せとオラついてくる。嫁は間男を無視し続ける。ギスギスした生活。
「ねぇ声を聞かせて。お願い。あなたの声が聞きたいの」
 そんな元気はなかった。
「ねぇ。なんでもするから。だから…許して。ううん。ごめんなさい。許してなんて言える立場じゃないよね。ごめんね。でもね傍にいたいの。あなたの隣だけが私の居場所だから」
 俺は参っていたと思う。まだ愛してるんだか愛していないんだか、好きだけど嫌いで。付き纏われても求められることが嬉しくて憎くて。頭の中はグチャグチャだった。俺は結婚して幸せになったはずだ。なのに嫁の過去が俺の幸せを壊してしまった。俺には大層な過去がない。嫁を脅かすような素敵な元カノどころか女友達さえいない。あっちは元カレいっぱい。モテモテ。引く手あまた。嫁が俺を捨ててもきっと嫁以上の女に愛されることはないってわかってた。だけど嫁は間男の所に行っても幸せになれて。こんなの理不尽だって思った。だから俺は口を滑らせてしまったんだ。
「俺はもうこの先に幸せが見えないんだ」
「…ごめんなさい。私にできることがあるなら言って。なんでもするから」
「ならさ。君も幸せを諦めてよ」
「別れて欲しいってこと?…わがままだけどそれはいやなの。お願い傍にいたいの。あなたに出会えたから、私は私を取り戻せたの。だからこれからだって一緒にいたいの…」
「なあ君の幸せが俺の傍にいることだっていうならさ。それを証明してくれよ。そうしたら俺はきっとお前を許せるんだと思うんだ」
 俺はいったい何を言ってしまったんだろう。自分でも何を言っているのかわからなかった。とにかく彼女が憎くて嫌いでだけど未練だらけでもう幸せになれなくて。
「うん。わかった。私がどれくらいあなたが好きか。あなたを愛してるか。今から証明してあげる」
 どうせロクな方法じゃない。せいぜい抱きしめるとか、キスするとか、セックスとか。女の体を使えば何とでもなるんだろ?そう思ってるんだろ?って俺は思ってた。違ったんだ。
「見て。私は愛を証明できるよ。あなたが私の傍にいないなら、こんな命もういらないの。だから見てて。私を見てよ。ずっとずっと私を忘れないで。大好き。愛してるよ。あなた」
 嫁は俺の目の前で自分の胸をナイフで一突きしてみせた。彼女は何も躊躇わなかった。穏やかな笑みを浮かべたまま、俺を見詰めながら、彼女はあっさりと死んでしまった。何の余韻も予兆もない死だった。俺はただただ茫然としてしまった。俺を愛してくれた唯一の女は永遠に失われてしまったのだ。その後は特に記憶がない。間男が泣きながら俺をボコボコにした。義両親に泣きながら罵られた。友人すべてを失った。仕事くらいは残ったが、やる気も何もあったものではなかった。酒に溺れるつまらない日々だけが残った。そして俺は茫然自失のまま街を彷徨っているときに。
「お前みたいなクズさえいなければ彼女は幸せになれたのに」
 ただそんな言葉だけが聞こえた。気がついたら目の前に誰かがいて。そして胸に痛みを感じて。真っ赤になっていて。
「俺が全部悪かったのか…?そんなの理不尽だ…」
 そしてそのまま倒れて、俺は死んだ。
 なのに…。
「死んだはずだよな…なんで俺、若返ってるんだろう?」
 目を覚ました時、自分が大学時代の懐かしき下宿先にいることに気がついた。そして鏡を見て、若返っていることに気がついた。スマホの日付もテレビの日付も今日が大学の入学式の前日だと示していた。
「ははっ!なにこれ…あはは!夢なのか?!戻ってきたのか?!はは、ははは!」
 
 あまりにも馬鹿馬鹿しい事態に笑いが止まらなかった。ひとしきり笑って落ち着いた後、ふっと思った。
「やり直せるのか?人生を…」
 これはもしかしたらチャンスなのかもしれないと思い始めていた。俺の人生は嫁と付き合って結婚した瞬間までがピーク。だけど嫁にとっては数ある男の一人でしかない。たまたまいい年でタイミングが良かったから、俺と結婚したのだろう。
「でも大学からやり直せるなら、俺は嫁と結婚しなくてもすむんじゃないか?あんな不幸は避けられるんじゃないだろうか?」
 台所の床に寝そべって天井を見ながら呟く。それは俺の偽らざる本心だ。この時代からやり直せるなら、俺は嫁よりもずっといい女と幸せになれる。そんな希望が湧いてくる。
「今の俺には未来の知識と社会人スキル。それに大学デビューに必要な知識がある」
 前世?あるいは一周目?とでも言えばいいのか?陰キャオブ陰キャな俺は一周目の大学生活は地味なものだった。勉強はできたし、誰もが羨む大手企業には入れた。だけど青春的なイベントとはまるで縁がなかった。
「今の俺ならできる。いややらねばなるまい!もう!理不尽だけはいやだ!俺は!俺は!大学デビューするぞぉぉおぉぉ!!!!」
 叫んで飛ぶように起き上がり、俺は部屋を飛び出した。俺は必ず幸せな未来を掴む!そのためにはなんだってしてやる!
「絶対お前よりもいい女を見つけてやる!そして絶対に!絶対に!幸せになってやるんだぁあああああああああああ!」
 雄たけびを上げながら俺は街を駆ける。刺されて空っぽになっていたはずの俺の胸は、今や期待でいっぱいだった。

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# 第2話 サークル勧誘は受け身ではなく、アクティブに攻めていきましょう!
 大学デビューに必要な事。まずは外見。どんな奴でもまず美容室に行くことを思いつくと思う。間違いではない。だけど男だったら理容室をちゃんと選ぶべきだ。俺は渋谷の街にあるオシャレ系の理容室に飛びこみ飛びこみ。
「顔ぞりありでかっこよくしてください!」
「あっはい。おまかせください」
 そしてそこで髪を切ってもらい、なおかつ顔の毛をつるつるになるまできれいに剃ってもらう。ここが意外に重要。男の顔には濃い髭だけじゃなくて産毛なんかもある。都心のいい理容店は産毛も綺麗に剃ってくれる。そうするとなんと顔色がすごくよくなるのだ!これは美容にはない利点である。
「お兄さん、髭似合うと思うから次来た時は髭の形とか提案させてよ」
 理容店のいいところはかっこいい髭に整えてくれることだ。まあ大抵の場合髭は自己満足にすぎないが、それでも好きな女はいるらしいので選択肢としては大いにありだ。
「そうっすね!そん時はお願いします!」
 店を出てすぐに俺は原宿の竹下通りの先にある『裏原』に向かった。セレクトショップが立ち並ぶここで、服を買った。こつは一セットを靴まで一つの店で揃えることだ。それを5セット買った。すげぇ金になったが、これも先行投資である。3セットでも良かった気がするが、ここはバッファーを入れておくのがいいだろう。そして家に帰って、俺は机の上にノートを広げた。
「大学における青春のキー。それは『サークル』…!」
 大学といえば?ここで研究と答える人は真面目だと思うし好ましい。だけど多くの人はやっぱり『サークル』と答えるのだろう。
「サークルは人間社会の縮図。あるいは軍隊型組織の模倣。そこには必ず『{階層}(カースト)』が存在する」
 中学高校のスクールカーストに苦しめられた人間は沢山いるだろう。大学に行けばそこから解放されるなんていう淡い夢を抱いて勉学に勤しむ低カースト陰キャは多い。かく言う俺もそのたぐいだ。だが実際は違う。むしろカースト意識は大学においてなお残酷なまでに加速していくのだということを!
「ここで未来の知識だ。俺には各サークルメンバーの人間関係の知識がある。それを利用する」
 俺は一週目で毎年、教授に頼まれて各サークルとの折衝を任されたことがある。そこで各メンバーの人間関係やカーストをしっかりと目に焼き付けてきたのだ。PCをネットにつなぎイベサーやテニサー、飲みサー、インカレ系のお遊びサークルなどのSNSを開き、記憶にある人間関係をノートに書き写していく。そして写したその各種データをパソコンに入っているロジカルシンキング用のフレームワークのソフトにぶち込んで、『キーマン』を浮かび表す。
「なるほどね。こいつらがキーマンだな。見つけたぞ、ターゲット!!」
 各SNSより顔写真をダウンロードし、それを印刷してノートに張り付けていく。そして『大学人間関係相関ノート』は完成した!
「あとは明日の入学式で行動に移すのみ!くくく、あーはははっは!」
 俺は高笑いをする。戦争は準備がすべてだという。ならば勝利はほぼ確定したも同然!明日が楽しみだ!
 俺の通う大学、国立{皇都}(こうと)大学の入学式は武道館で行われる。ここに新入生や各サークルの呼び込み、なんかで大変な賑わいを誇っていた。ウチの大学は日本で一番偏差値が高いので、マスコミなんかもやってきていた。俺はその風景を近くにあるビルの屋上から双眼鏡で覗いていた。振袖袴の新入生に、私服のチャラそうで雰囲気イケメン未満の先輩たちが果敢にチラシを配っていくのが見えた。
「ああ、可愛い子にイベサーのキョロ充共が群がっちゃってまぁ。どうせイケメン先輩に喰われちゃうのにねぇ。あわれあわれ。…おっと見つけた!」
 俺は昨日定めた『ターゲット』の先輩が1人でサークルの群れから離れていくのを見つけた。そいつは武道館前から離れていき、コンビニの方へ歩いていく。狙い通りだ!俺はビルの屋上から離れてそいつが向かったコンビニに向かう。そしてコンビニまでやってきて中を伺う。ターゲットの先輩は、かごにありったけのチューハイを入れていくのが見えた。大学生ってのはとかく酒を飲みたがる。どうせこの後近くの公園でプチ打ち上げと称して飲み会をするのだろう。そしてターゲットがパンパンになった袋を持って外に出た瞬間を狙って俺は、さりげなく彼にぶつかった。
「うぉ!」
「うわっ!」 
 先輩はよろけて袋から少なくない数の缶チューハイが地面に落ちてしまった。俺はすかさずそれを拾い集めて先輩に渡す。
「ごめんなさい!緊張しててぶつかっちゃいました!」
 俺は綺麗に先輩に向かって頭を下げた。先輩は朗らかに。
「ああ、君新入生なんだ。いや、いいよいいよ!おれもちょっとチューハイ入れすぎたし!おあいこってことで!」
「ありがとうございます!でも重くないですかそれ?お詫びってのもあれですけど、片方持ちますよ!」
 そう言って俺は先輩が左手に下げていたチューハイとつまみとがパンパンに詰まった袋をささっと奪う。だが先輩は感心したように。
「君優しいね!いいね!いいね!そういう他人へのリスペクト感かっこいいよ!じゃあお願いするわ!」
 そして俺と先輩はサークルのあるところまで一緒に歩いていく。
「そのネイビーのスリーピーススーツかっこいいね。新入生ってみんな黒のリクルートスーツじゃん?あれ俺ってどうかと思うんだよね」
「これ母が買ってくれたんですよ!入学式ならきれいにしなきゃ駄目って!ちゃんとこれ来て先輩や可愛い子とセルフィ―撮って来いって!あはは!」
 嘘つきました。母はこんなスーツを買い与えてくれるほどセンスのいい人じゃない。セルフィ―なんかも求めてない。セルフィ―を撮るのは俺の策略故にだ。
「まじか!はは!いいお母さんだな!」
「どうっすか!先輩セルフィ―一枚!」
「いいぞ!いぇーいー!」 
「いぇーい!」 
 俺と先輩はコンビニ袋を持ちながら、肩を組んでスマホで写真を撮る。
「俺にもその写真くれよ」 
「おーっけーっす!」 
 ここでさり気無くアカウントを交換して先輩に今の写真を送る。そして先輩と話しているうちにサークルが陣取っているところまでたどり着いた。
「ここがうちのサークルよ!おーいみんな!紹介したいやつがいるんだけど!!」
 先輩がサークルメンバーを呼び集める。これが俺の狙いだ。思わず口元が緩むのを感じる。この先輩はこの大学最王手のインカレイベサ―のナンバー3だ。こまめな性格であり、面倒見がよく、段取りがうまく、サークル代表の信頼もあつく、メンバーたちからも頼られている縁の下の力持ち。こういう人間からメンバーたちに向けて直接紹介される・・・・・・・新入生というポジション。それが俺の狙いだ。
「あっ、どうも!新入生の{常盤}(ときわ){奏久}(かなひさ)です!かなひさは{奏}(かなで)と{久}(ひさ)しいって書くので、カナデって気安くよんでください!御指導ご鞭撻よろしくお願いいたします!」
 サークルの先輩たちがクスクスと笑っている。だけどそれはとても好意的なものだった。
「御指導ご鞭撻って硬いな!はは!リラックスリラックス!カナデはさっき俺が荷物重そうにしてたらさりげなく助けてくれたんだぞ!いい奴だぜ!よろしくしてやって!」
「へぇいいやつじゃん!」「俺一年の時そんなヨユーなかったわ!」「よく見れば顔もカッコいいね」「でも女ウケより男ウケ系なハリウッド顔?」「何それ…?ソース顔の進化系?」
 みんな口々に俺について話している。いずれもいい反応だった。受け入れられたと見ていいだろう。
「おっと!捕まえちゃって悪かったな!これチラシ!絶対に新歓来いよ!なんかオリエンテーションとか授業とか困ったら俺に連絡してくれ!借りは絶対返す!あはは!」
 なかなかいい人だった。俺はひとしきり歓待を受けた後、あっさりと解放された。顔がつながった。俺の青春を輝かせるための第一歩はこうして成功をおさめたのだった。
 武道館の近くに来た時、隅っこの方で女子たちのキンキンした冷たい声が聞こえた。俺だけじゃなく周りもそれに気づいていた。
「あんたそのカッコなに?いったよね?うち等の高校の名誉を守れって!なんで私服で入学式に来てるの?」
「はぁ?見なさいよ。ちゃんとフォーマル系なんですけど!てか大学の入学式に何着てこうと自由でしょ!バカじゃないの?」
 三人のスーツ姿の女子が一人のちょっと場違いなファッションの女の子を囲んでいた。明るい金髪をフリルのゴテゴテついたリボンでツーサイドアップにしていた。そしてピンクの袖やら襟やらがふりふりなブラウスに黒のネクタイ。膝丈の黒のスカート、厚底靴。ニーハイ。まごうことなき地雷系です。そのうえ目には青のカラコンまでいれていた。化粧もそうだ。顔立ちはすごく綺麗だけど、メンヘラ感半端なく仕上げてる。すごく派手です。
「ざけんな!うちらの高校は名門進学校なんだよ!何なのその恰好!うちの学校がどんな不良校に思われると思ってんのよ!迷惑なのよ」
「はぁ?たかがこの程度で何?毎年60人もこの学校に来てるんだから一人くらいあたしみたいなのがいても良くない?」
「とっとと着替えてきなさいよ!もしくはこのまま帰るとか!」
「いやよ。出るのもめんどくさいけど、帰るのだってめんどくさいの。もういい?行っても」
 その時だ、スーツの女子の一人が手を持ち上げているのが見えた。そして怒りに震える声で。
「あんたってほんと!高校の頃から生意気!!」
 あれはまずい。多分女子がたまにやる相手の胸への突っ張りの準備だ。俺は思わず体が動いてしまった。
「うぐっ!」
「え?」
 地雷系女子の前に立ち、その突っ張りを腹で受け止めた。そこそこ痛い。てか思わず庇ってしまった。計画にない行動。だけどキラキラ青春を送るなら、これくらいはできないといけない。そう思ったんだ。

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# 第3話 大学は自由な世界ですとかいう建前
 突然割って入ってきた俺の事をスーツの女子たちは怪訝な目で睨んでいる。
「ちょっと、あんた大丈夫?」
 地雷系ファッションの女子は心配そうに俺の顔を覗き込んできた。青い瞳と目があった。それはとても綺麗な煌めきだった。だけどずっとそれを見続けてはいられない。
「ああ、大丈夫。それよりも…」
 俺はスーツ女子たちの方に目を向ける。できるだけ厳しい顔になるように心がけながら。
「いくらなんでも手を出すのは駄目なんじゃないかな?君たちの出身高校はそういうのオーケーなの?」
「ぐっ。でもそいつが悪いのよ!女子はみんなスーツで出るのがうちの伝統なのに!そいつがそれを破ったのよ!」
 よくある女子の裏ルールってやつだな。紺のソックスは第二学年以上からしか履けないみたいなのを校則とは別に女子たちの空気が決めるやつ。卒業後もそれが有効なケースは初めて見た。きっと歴史の深い名門でかつ皇都大学に毎年何十人も送り込むような学校なんだろう。俺はそういう進学校出身ではないからよくわからないが、卒業後もそういう学校は学閥的にネットワークがつながるらしいし、さもありなんかな。
「ばかばかしい。卒業しても井戸端会議かよ…」
 うしろにいる地雷女子がそう呟いた。例えが酷いが同感である。
「ツーかあんた何よ!何でそいつ庇うのよ!何様のつもり?!騎士気取りかよ!ダセェんだよ!」
「お前らの方が100倍だせぇんだよ。たかが服装くらいで目くじら立てやがって。回り見てみろ!女子は皆着飾ってるぞ!お前らみたいなリクルートスーツなんて逆に浮くわ!」
 まあ地雷系ファッションの女子の方がもっと浮いてるけど。それは言わないでおく。
「てかありえないんだけど!なんでそんなキモいやつを庇うの?あり得ないんだけど!学校じゃいつもボッチだった不良女助けるとかあんたマジでキモいわ!」
 スーツ女子がイキってくるのすげぇうざい。残り二人もクスクスと笑ってる。
「なるほどね。お前らまだ高校時代のカースト引きずってんのね!おーけーおーけー!わかったわかった!」
 イジメてもいい奴=キモい奴。キモい奴助ける奴=キモい奴。故にスーツ女子共から見ると俺は格下の男ってことになる。バカだなって思う。それが通用するのは教室が自由から隔離するための檻であり、外の世界から守るための柵である中学高校時代の発想だ。大学はもっともっとシビアなのだ。それを教えてやろう。俺は地雷女子の腰に手を当てて引き寄せる。
「きゃっ!ちょっといきなりなに?!」
 地雷女子の耳もとに囁く。
「ぎゃふんと言わせたいだろ?なら俺に身を委ねてろ。いいな?」
「…へぇ…自信あるんだ…いいよ。やってみせてよ、ふふふ」
「じゃあ俺が合図をしたら…」
 俺は地雷女子に指示を出す。地雷女子はそれに笑みを浮かべて頷いてくれた。
「なにこそこそしてんの!そういうところがキモいんだよ!」
「俺はキモくないし、この子もキモくない。ていうかお前らあれだろ?この子に嫉妬してんだろ?」
「んなわけねぇだろ!ざけんな!!」
 スーツ女子たちが激高して顔を真っ赤にしてる。図星だ。この地雷女子、綺麗なだけならカーストトップに行けそうだけど、多分変わり者だから浮てしまったのだろう。それをいいことにこいつらはこの子をターゲットにした。間違いなく動機は嫉妬だろう。綺麗過ぎる顔はそれを見るものに劣等感を抱かせる。だから攻撃して必死に排除しようとするのだ。スーツを着させたいのも、地味な服装で少しでもこの子の美しさを隠してしまいたいからだ。だけどそれこそが武器だ。俺は地雷女子の腰に回していた手の指で彼女の背中を少しなぞる。
「んっ。くすぐったい…」
 少し身を捩ったがすぐに彼女は俺の指示を実行し始める。
「うっ!ぐすっ!うぇえ、ぴえーーーーーーーーーーーーーーーん!」
 地雷系女子は泣き顔を作って俺の胸に抱き着いた。ちゃんとポロポロと涙を流してる。てかそこまでしろとは言ってないんだけど…まあいい。むしろより優位になった。なにせ彼女は泣いていても、とても美しいままだから!
「お前ら最低だな!寄ってたかって一人に暴言をぶつけるなんて!」
 周りに聞こえるように大声で怒鳴り、俺は地雷系女子の頭を優しく撫でる。
「はっ?泣いてるから何?私たちも女なんだけど。女の涙が女に聞くわけないじゃん。ウケるし!」
 それがわかってないんだよな。女の涙は武器だ。その証拠に。
「なになに?けんか?」「なんかかわいい子が泣いてる」「あの子のカレシかな?庇ってんのかっこよくない?」「いじめられてんの?かわいそすぎるし」「あの金髪の子マジで美人だな。なのに泣かすとか…」「ブスの僻みでしょ。ああ、でもマジで可愛いなぁ。でももうイケメンの御手付きかぁ。でもかわいいなぁ」
 周りからひそひそと声が聞こえ始める。そしてどんどん俺たちの周りに人が集まり始めた。皆俺たちに好意的、逆にスーツ女子たちには侮蔑的あるいは敵意のような視線を向けている。スーツ女子たちはいきなりの空気の変化にオロオロと戸惑っている。
「お前たちはここが高校の延長のままだと錯覚してた。お前たちの母校ならこの子は永遠にいじめられっ子のままだろう。お前たちみたいな気の強い女子がオラつくだけで男子たちもきっとお前たちに従うだろう。だけどここは大学なんだよ。大学じゃ剥き出しのルッキズムこそが大正義なんだよ。この子の顔はとても綺麗だ。だからみんながこの子を愛するだろう。お前たちは駄目だ。垢抜けないままで地味に大学の隅っこで生きていくしかない」
 スーツ女子たちは顔を青くしている。うちの大学に入れるんだから馬鹿じゃない。もう理解したのだろう大学のルールを。大学じゃ美人な女子は何処でも引く手数多だ。性格がくそでも、知性なんぞなくても、顔がいいだけで必要とされる。美人でも性格や行動に難がある奴はいじめられる高校や中学とは違うのだ。大学の女子社会は外見こそがすべてなのだ。思うところはあるが、それが掟なのだ。
「いますぐに俺たちの目の前から消えろ。これは警告だ。ここで皆にお前たちの顔が覚えられると厄介だぞ。新歓には出禁になるだろうし、何処のサークルもお前たちを入れてくれなくなる。だからみんながお前たちの顔を覚える前に消えろ。賢さが残ってるなら消えろ」
「「「ひっ…」」」
 スーツ女子たちはすぐに俺たちの目の前から姿を消した。きっと入学式にも出ずに家に帰るのだろう。それがいい。今ここに残ってもきっといいことはないのだから。そして俺も地雷系女子を抱えたまま、その場を後にした。
 人混みから離れた俺と地雷系女子は木陰で一息ついていた。
「あんたやるわね。驚いちゃった。あたしを驚かせるなんて大したもんよ。ありがとう、とても楽しかったわ!ふふふ」
 地雷系女子は朗らかに笑みを浮かべる。感謝されたのは嬉しい。だけど俺の心はピコンピコンと警戒音を鳴らしていたのだ。
「そうっすか。じゃあ俺はこれで失礼するね」
 そう言って会釈してから、彼女の前から去ろうとする。しかしすぐにスーツの袖を掴まれてしまった。
「ちょっと!なんでいなくなろうとするの?こういうときは、助けた恩を押し売りしながら、連絡先を奪ったり、デートの約束を強制したり、ラブホに連れ込もうとするもんじゃないの?あたしみたいな美少女とは二度と出会えないわよ?」
 お前が普通の女子ならデートの約束くらいは取りつけようとしたと思う。だけどどう考えてもこの女、変な奴だ。俺はキラキラ青春を送り、幸せな結婚をするために生きることにしたのだ。さっきもこいつメッチャ楽しんでたしね、こんなメンヘラ臭がするヤバそうな女は嫌です。外見だけなら嫁と同格だろうけど、中身が得体のしれない女は駄目です。関わり合いたくない。
「大学生なんだから自分のことを美少女っていうのやめろよ。もう大人なんだよ、少女じゃないの」
「はぁ?あたしまだ処女だけど?」
「どんな聞き間違いだよ!?そんなこと言ってねぇし聞いてねぇよ!」
「てかあんたあたしに興味ないの?下心があるから助けるんでしょ?漫画やラノベで男心はそうだって知ってるんだけど」
「学ぶ資料が間違ってる!そんなんで男心を学ぶな!さっきのは反射的に体が動いただけ」
「へぇ。つまりあなたはあたしに興味がない。つまりB専なのね。ごめんなさいね。あたしはあんたの欲望を満たしてあげられないわ…憐れんであげる、ふふ」
「B専じゃないつーの。やっぱり変な奴だぁ!」
 徹頭徹尾自己中なのがすごい。むしろこいついじめられて当然なのでは?助けたの間違ってたかな?
「ねぇB専。そろそろ式が始まるし、一緒に行きましょう」
「いや、俺はひとりでいいし」
「あんた、あたしを助けたくせに最後まで面倒を見ない気?あたしを今ここで一人にしたら、「さっきは泣かされてたね、可哀そうだね!話聞くよ!」って{輩}(やから)が集まって来るわよ。そして気がついたらあたしはラブホに…。大学に入ったと思ったら、男があたしの中に入ってくるなんて!」
「ははっ!想像が豊か過ぎるね。しかも下ネタがえげつない!」
「正義の味方なら最後まで女の面倒を見るべきよ!さあ!あたしを入学式にエスコートしなさい!あと偉い人たちがスピーチしてると退屈だから隣で面白い話もして!退屈はきらい!」
「…断るってのは?」
「断ったら思い切り泣いて、あんたを正義の刃でずたずたにする」
「女の子ってズルい!わかったわかった。入学式は一緒に出るよ」
「そう!よろしくね。あたしは{綾城}(あやしろ){姫和}(ヒメーナ)。微妙な距離感を感じたいなら綾城さんと、媚びてワンチャン狙いならヒメちゃんと呼びなさい」
 めの音で伸びてるように聞こえたけど気のせい?まあ下の名前で呼ぶことはないだろう。どうせ今日だけの付き合いだ。
「それワンチャン絶対ないよね。綾城って呼ばせてもらうよ。俺は常盤奏久。お好きにどうぞ」
「わかったわ。B専インポかなちゃん」
「おいざけんな!インポじゃねぇし!あとかなちゃんもやめろ!!」
 インポはマジでやめて欲しい。一周目のとき俺は嫁の浮気のせいでインポになった。あれはマジで辛かった。勃起薬を飲まなきゃいけないという苦しみは筆舌に尽くしがたいものがある。二週目のこの世界で若返ったら治ってくれてまじでよかった。
「さあ行くわよ、常盤。遅刻はさけないとね!ふふふ」
 俺の抗議をスルーして、ご機嫌そうな笑みを浮かべて綾城は歩き出した。
「しょうがないやつだなぁもう」
 俺も綾城の隣を歩き、入学式の会場へと俺たちは入ったのだった。

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# 第4話 それは初めての再会
 入学式はどうしてこう退屈なのだろうか?学長をはじめとするおっさんたちのつまらない話。ゲストのつまんねー話。
「本当つまらないわね。受験戦争を勝ち抜いた先にこんな光景が広がってるなんて悲しいわね」
「それな。うちって国立大学じゃん?ここの会場費用だって元をたどれば多分税金だぜ。返してほしい」
 お隣に座る綾城も退屈そうにしている。俺たちはさっきから適当なお喋りばかりしていた。綾城は頭の回転が速く皮肉やだったから話していてなかなか楽しかった。だがそれも長くは続かなかった。
「次に新入生代表、葉桐宙翔さんの入学スピーチです」
 台座の上に1人の男子生徒が立った。顔はいいし、ガタイも良いけど、自信に満ち溢れた表情にはどことなく尊大な印象を覚える。
「なにあいつ?偉そう。あいつが今年の入試首席?あんなのに負けたのかあたしの成績。もっとちゃんと勉強しとけばよかったわ」
 綾城は葉桐の事をどことなく嫌そうな顔で見ていた。綾城も自信家っぽい所がありそうだし、相性が悪そうだ。
『今日この日をこの場所で過ごせることは私の人生にとって大きな誇りであります。この場所には今、将来の日本、ひいては世界をリードしうる可能性に満ちた若者たちが集まっているのです。その幸運を…』
 どうでもいいお綺麗な言葉の羅列。建前のパレード。謙遜に見せかけた自慢。そんな空疎な言葉に満ちたスピーチだったが、会場のウケはよかった。葉桐にはカリスマのようなものがあったのだ。
「あらあら。将来は政治家にでもなれそうなお口の上手さね。でもなんか情熱が足りない感じがするわ。空っぽな虚栄心みたいな香ばしさ」
「…なかなか人を見る目があるね」
「ん?そう?あたしの人物評あたってるの?てかあいつのこと知ってるの?」
「…顔を合わせたことはある。向こうは知らないだろうけどね」
「そうなの。ふーん」
 綾城は俺をどこか怪訝そうな目で見ているが、それ以上は踏み込んでこなかった。意外に気を使える子のようだ。地雷系なのは見た目だけなのかもしれない。こういう時女性経験が嫁しかない俺には女の良し悪しを見抜く目がないのがとても惜しい。そう思った。
 入学式が終わって会場の外に出ると再び新歓の呼び込みが盛り上がっているのが見えた。騒めく人々の間を俺たちはゆっくり歩いていく。
「あんた何処のサークル入るの?」
「テニサーとイベサーとか意識高い系、それに趣味として美術サークルだな」
「一杯やる気なのは欲張りね。でもいいんじゃない。ヤリサーに行きたいとか言い出さないだけましよね」
「んなとこ行きたくないよ。薄汚すぎる。もっとときめきとか煌めきとかそういうのを大事にしたいね。そういう綾城は?」
「あたしはそうね。ファッション研究とか、女子女子した趣味の所に行きたいわ。それと社会問題とかを扱う真面目系なやつとか。あとはテニスも興味あるけど、夜のダブルスばかりに誘われそうなイメージしかないからパスかしら?」
「お前はすぐに下ネタに走るね!困るからやめて!テニサーも出会い系みたいのから、趣味として楽しむやつまであるからゆっくり見ればいいさ」
「まあそうね。時間はあるしね。ところでさっきからすごく見られてる気がするんだけど、気のせい?」
 言われてみるとなんか俺たちの方を見ている人たちが多い。どことなくひそひそと話しているような感じ。だけど悪意や見下すような感じじゃない。むしろ好奇みたいな?
「お前のメンヘラっぽい恰好の所為じゃない?まあ可愛いけどねTPOにはあってない」
「お褒め頂いてありがとう。でも見られてるのあたしじゃなさそうよ。みんなどことなく憧れ感ある視線だもの。人があたしを見るときは嫉妬かパンダを見るような目だもの」
「パンダと嫉妬は両立するのか…?でもそうだな俺の事見てるな?なんで?」
「もしかして…あっやっぱり」
 綾城はスマホで何かを検索して、その結果を俺に見せてきた。SNSの画面だ。そこにはさっき俺が撮った先輩と映ったセルフィ―が載っていた。
皇都大学新聞
新入生特集第一弾
常盤奏久くん!
新入生と先輩の仲良しな自撮りです!
このハリウッド顔の一年生くんは先輩のことをさり気無く気取りなくかっこよく颯爽と助けちゃったんだって!
将来のミスター皇都大学候補?!
ハリウッド顔ってなんだよ…?
「あなた速攻有名人になったのね。やるわね」
「うーん。プチバズするなんて思わなかった。ちょっと照れるな。へへへ」
 セルフィ―は後で同級生相手に俺ってもう先輩と仲良しなんだぜマウント取るために用意してたものだったんだけど。こういう方向にバズるとは。ていうかあの先輩俺のことをまじで気に入ってくれたみたいだな。
「ねぇねぇ。ちょっといいかしら?」
「なに?」 
「さっきみたいに腰に手を回してちょうだい」
「え?なんで?」
「いいからやりなさいな」
 綾城さんったら俺の返事も聞かずに、こっちに身を寄せてきた。仕方がないので言われた通りに腰に手を回す。すると綾城は自撮り棒を伸ばして、俺たちをスマホで撮った。そして撮れた写真を見せてくる。
「見て見ていい感じじゃない?これ使っていいでしょ?雰囲気しかイケメンになれないバカ共が口説いて来たらこれ見せつけるの!絶対いいお守りになるわ!ふふふ」
 綾城さんなんか楽しそう。それに水を差すのは無粋だと思った。
「そりゃよかった」
「そうでしょ。ふふふ。あたし、この男のセフレなのって言えば皆きっと青い顔して屈辱に震えてくれるわよね。ふふ」
「やめて!俺のイメージが地に落ちる!ただのフレンドにしておいてよそこは!」
「えーどうしようかなぁ?んー?」
 メッチャ俺の事を煽ってくる綾城は年相応に可愛らしいものだった。こういうじゃれ合いははじめてで、とても胸が温まって素敵な気持ちになった。だけどそれは長く続かなかった。
「すみません。ちょっといいですか?」
 どことなく体の芯まで響くような甘い声が後ろから聞こえてきた。反射的に体がブルッと震えるのを感じた。振り向くとそこに1人の女がいた。煌びやかな桜柄の振袖袴を着ているとても美しい女。心臓が嫌な音をたてはじめる。
「あんたなに?あたしたちおしゃべりしてるんだけど?」
 綾城は口を尖らせて、不機嫌な声を上げる。振袖袴の女はその態度にちょっと困っているようだった。
「うん、ごめんなさい。でもちょっとそっちの男の子に声をかけたくて」
 女が俺の方に目を向けた。やはりとても綺麗な顔だった。灰を烟ぶったような不思議な茶髪に同系色の瞳。その色がこの女に幽玄というか儚さというかそういった神秘的な美貌を与えている。相も変わらず・・・・・・美しすぎた。
「え?逆ナン?プチバズすごいわね。こんな美人も釣れるなんて。現代社会ってどうかしてる」
「え?いや、逆ナンとかじゃないよ。お、おほん!えーっとね。常盤奏久くん。これから一年生だけで交流のお食事会をするんだ。どうかな?今日は新歓もないし、学部とか学科とか関係なく横のつながりを作っていこうっていう趣旨なんだけども…」
 よく見たらこの女がやってきた方向に美男美女の新入生集団がいた。彼らの距離感を見るとお互いに初めての顔合わせのようだ。だけどどことなく誇らしそうにしている。多分誰かが今さっき纏め上げた集団だろう。美男美女ばかり集めたスペシャルチームで周りから羨望の目を集めてる。俺はそのチームに誘われたわけだ。ある意味光栄な話だ。
 その集団の中にあの『葉桐宙翔』さえいなければ…!
 俺は思わず奥歯を強く噛み締める。じゃないと体が反射的に動いてとんでもないことをしでかしかねない確信があった。そして目の前の女は続ける。
「駄目かなぁ?たしかにいきなり誘われたら戸惑う気持ちもわかるよ。けどこの会を纏めてる{宙翔}(ヒロト)は面倒見がいいからちゃんと馴染めるよ!」
 そう。目の前の女は葉桐宙翔のことをしたの名前で呼ぶ。この時期の彼と彼女はいわゆる幼馴染という奴だった。家は隣同士、両親同士も仲が良く、まるで兄妹のように育ったそうだ。小中高と同じ空間と時間を過ごしたかけがえのない絆が二人にはあった。このまま放っておけば、GWが過ぎた後に二人は恋人同士になる。誰もが羨む理想のカップル。いまはまだ友達同士。
「それはわかったけど、あんたは誰?お誘いするならちゃんと名乗ったらどう?」
「あっ!いけない!そうだったね!私の名前は…」
 言わなくてもいいんだ。だってよく知ってるから。聞きたくない。忘れられないことを思い出してしまうから。考えないようにしていた。彼女もまたうちの大学に通っていることを。
「{五十嵐}(いがらし){理織世}(りりせ)」
 女は優し気な笑みを浮かべてそう言った。その笑顔を俺はかつて短い間だったけど独占していたんだ。だってこの女は一周目の世界で俺の『嫁』だった女なのだから。
「へぇそう。よろしくね。あたしは{綾城}(あやしろ){姫和}(ヒメーナ)」
「ヒメーナ?ヒメちゃんって呼んでもいい?」
「嫌よ。あたしのことはヒメーナさまと呼びなさい」
「なんかすごく偉そうだよこの子!お人形さんみたいにかわいいのにすごく尊大すぎる!!」
 綾城のペースに巻き込まれていく嫁は相変わらず朗らかに笑っていた。この頃の彼女の事を俺はよく知らない。遠くから見ているだけだったから。俺と嫁が付き合いだしたのは大学を卒業してしばらくたってからだった。だからどことなく知らない女のように見える。
「なんだなんだ。理織世。手こずってるのかい?手を貸そうか?」
「あっ宙翔!いやぁあはは。なんか振り回されちゃってね。大学ってやっぱりすごいとこだね。変わった人ばっかり!うふふ」
 嫁は舌をペロッと出して御茶目に笑う。俺はそんな顔を知らない。大人な嫁しか俺は知らないんだ。でもそんな嫁の事を知っている奴が今、目の前にいる。
「やあはじめまして。僕は…」
「自己紹介なんかいいわ別に。さっき偉そうに壇上から囀ってたでしょ?」
 綾城はどことなく怪訝そうな目を葉桐に向けている。その眼圧に葉桐は少し戸惑っていた。
「囀る…?アハハ…君は変わりものなんだね。アハハ…」
「でしょ!だから私もすっかり飲まれちゃって!」
「誰とでも仲良くなれる理織世が戸惑うのもわかったよ。で、どうかな?君たち。おれたちと一緒にちょっとしたパーティーをしようよ」
 爽やかに笑う葉桐の笑みは確かに魅力的に見える。周囲の女性たちの中には葉桐に憧れのような目を向けるものが沢山いた。いいね。とってもとっても羨ましいね。この笑みでこいつは!この{間男}(まおとこ)は、俺の大事な物を奪って壊したのだ!
「もう会場はとってあるんだ。綺麗なところでね、御飯も美味しいんだよ。きっと楽しんでくれるはずだよ!来てくれるよね?」
 こうして俺は最も憎い男と、最も愛していた女と再会してしまったのだ。

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# 第5話 陰キャは陽キャの群れを許さない
 何とも間の抜けた話だ。大学デビューにかまけて嫁と間男のことをすっかり思考の外に置いてしまっていた。出会ってしまった時にどうすればいいのかを考えていなかった。
「なあ君たちの学科はどこだい?」
 目の前に立つ間男こと葉桐は笑みを浮かべてそう尋ねてきた。
「あたしは法学部法曹養成学科」
 驚いた。綾城は文系のトップ学科の所属らしい。でも皮肉屋で頭が回るこの子には似合っているようにも思える。
「へぇすごいね。将来はウチの大学でもエリート中のエリートなんだね。なら横のつながりって大事だと思わない?今のうちに作っておけばきっと将来の大きな財産になるよ」
「そうね。それは否定できなさそうね」
「そうそう。僕も医学部医学科だけど、これからの時代は専門だけじゃなくて学部学科を横断的に網羅する必要があると思うんだ。そのためのパーティーだ」
 ナチュラルに学部マウントかましてくる葉桐にイラつく。この男は国内最難関最高偏差値の皇都大学の医学部に首席で入った化け物だ。受験エリートの頂点。皇都大学じゃセンターの点数と本試の点数、それに学部学科で微妙なマウントを在学生同士で取り合うのが日常的に見られる。そういうところが本当に鼻につく。でも嫁が浮気しても無理からぬことだと思う。俺の仕事と医者なら多くの女は医者を選ぶだろう。
「あらそう。将来はお医者様ですか。お偉いこと。そう言えば常盤は何処の学部なの?」
 そう言えば話してなかった。というかそれをこの男の前で口にするのが嫌だった。絶対に医学部医学科には序列としては勝てないのだから。それを綾城の前で言うのも、嫁の前で言うのも嫌だった。俺は一つ溜息をついて。
「工学部建築学科だよ」
 さらに付け加えると俺は一浪してる。現役時代に美大に入ろうとして落ちて、自分の芸術センスに見切りをつけたからこそ建築学科に進んだ。だから言いたくなかった。ストレートで医学部に入るような奴と比較すると惨めだ。
「え?うそ!すごい偶然だね!私も建築学科だよ!」
 落ち込む俺に対して、嫁が嬉しそうな声でそう言った。
「…あっ…そう…なんだ…」
 またしても痛恨のミスだ。忘れてた。一周目の在学中は全くと言っていいほど嫁と絡みがなかったから意識してなかった。嫁も同じ学科なのだ。
「へ、へえ。君は{理織世}(りりせ)と同じ学科なんだね。はは。僕の幼馴染はちょっとポンコツだからサポートしてあげてくれ。あはは」
 心なしか葉桐は落ち着きがなさそうに見える。一周目の時、浮気がバレた後この男は嫉妬を剥き出しにして俺に詰め寄ってきた。その時の空気感に似てる。
「幼馴染?リアルで聞いたの初めてね。ってことはあなたたちは付き合ってるの?」
 綾城が興味あり気に尋ねる。…聞きたくねぇ…。個人的にはとても耳を塞ぎたい話だ。
「えー別にそんなんじゃないって。でも宙翔の事はかけがえのない人だって思ってるよ。ふふふ」
 嫁は朗らかに笑ってそう答える。
「ああ、僕らはお互いに強い絆で結ばれてるって信じてるよ。あはは」
 葉桐も爽やかに笑って言う。2人はどことなくいい雰囲気で穏やかに見つめ合う。かけがえのない人。積み上げた強い絆。結婚以上に優先される関係性。それってもうね?ん、理不尽かなって。俺最初から勝ち目なかったんじゃん。
「そうなの。ふーん。つまりあれね。傷つかないためのキープ、都合のいい男って奴なのね。あたしも欲しくなってきたわ、幼馴染。憧れるぅ」
 場の空気が凍った。葉桐は口を一文字に引き結んでいる。嫁は引き笑いのまま止まっている。
「いやいやいや!ちょっと待って!何でそんな風に言うの?!宙翔は都合のいい男なんかじゃないよ!」
 嫁は綾城に唇を尖らせて必死に抗議する。だけど綾城はどこ吹く風だ。
「そう?でもあなたたち体の関係もないんでしょ?なのに男女が一緒にいる?無理でしょ。絶対に無理。体を交えてさえ一緒にいられないことがあるのに、ましてやセックスもなしにお互いを繫ぎ止められるの?あたしには疑問ね」
「そんなことないよ!男女だって友情は存在するよ!」
「そうね。するかもね。つまりあなたにとって友情を上回らない魅力しかその男にはないし、その男相手に発情することを止められないくらい強く思ってるわけでもない。本当に強い絆を産み出すのはなりふり構わない愛じゃない?あたしはそう思う。それはエゴイスティックに相手を求める強い情動以外にはないのよ。例えば恋とか性欲とかね。あなたたちは良好な関係ではあってもそれは互いを激しく求めあうものではないのよ。異性同士の友情とは求めあう価値のないものたちの慰めでしかないわ。そんなつまらない感情は都合のいいものでしかないでしょ?違う?激しく求めあうなら互いに都合は悪いもの」
 なんか一理も二里もありそうな含蓄のあるトークが綾城の口から出てきた。嫁は額に手を当てて考え込んでいる。
「うっ…え…でも私たちはずっと一緒で仲良くやってきてて」
「あたしの屁理屈で惑う程度の関係ならそんなもんでしょ」
 ぴしゃりと綾城は吐き捨てる。まだこいつとは短い付き合いでしかないが、さっきのじゃれ合いを邪魔されたことに怒ってくれているようだ。それは俺の胸を確かに温めてくれるものだった。
「それ以上の侮辱はやめてくれ」
 葉桐が嫁を庇う様に前に立つ。
「綾城さん、君の事もパーティーに誘うつもりだったけど駄目だ。僕は理織世を守るって決めてるんだ。君のような意地悪な人は誘いたくない」
「そう。別に頼んでないのだけどね。勝手に誘って勝手にやめて。忙しい人ね」
 そう言って綾城はそっぽを向いた。だけど口元には笑みが張り付いてる。
「常盤君。余計なお世話かもしれないけど、そういう子と仲良くするのはやめた方がいい。他人を訳もなく傷つけるような人はクズだよ。仲良くする価値はない」
 お前がそれを言うのか?俺から嫁を奪ったくせに?俺は一生分以上の傷を負って人生さえ失ったのに?
「常盤君。その子は放っておいて、僕たちのパーティーに参加しなよ。大切な幼馴染が通う学科の人とは話しておきたいし、君の為にもなる」
「あの後ろの連中がか?」
 俺は葉桐の後ろの方にいる美男美女共に目を向ける。実にイケてる集団だ。各学科から選りすぐったまさしく陽キャの王国民。目の前の間男君がその王国の王様なんだろう。嫁はさながら女王様かな?
「そうだよ。各学科から光る人材を見つけて声をかけたんだ。みんな僕の考えに賛同してくれた。お互いに助け合って高め合う素敵な仲間たちだよ。特別な人たちだ」
 そうか三つ子の魂百とはこのことか。間男は浮気バレした時に俺の事をひたすらこんな調子で責め続けた。曰く釣り合ってないだの。曰く自分は特別なんだと。曰くお前のような『下』とは違うのだと。
「俺にはお前が言っていることがひとつも響かねぇ。何一つ賛同できない。まず第一に綾城はクズじゃない。変人だがおもしれー女だ。仲良くする価値しかない」
「あら?庇ってくれるの?」
 俺は綾城に笑みだけ向ける。だけどそれだけで多分綾城には俺の気持ちは伝わったと思う。彼女は優し気に笑って頷いてくれた。
「そして第二にだ。俺は大学デビュー系元陰キャなんだよ。だからああいうキラキラチャラチャラした連中が大嫌いだ。俺以外のリア充など視界にいれたくない」
 一周目の世界。嫁と出会うまで俺の世界は色がなかった。俺は顔もいいし、頭の出来も良かったが、致命的に性格が悪かった。周りとうまく馴染めない。だからいつもキラキラしている人たちが羨ましくて仕方がなかった。全部壊れればいいって思ってた。だけど嫁と付き合って結婚して世界はすごく素敵な場所なんだと知った。他の人々の幸せを憎むことせずに済むようになった。
「そして第三にだ。そもそもあいつら顔以外に何の素養もないだろ。違うか?」
 俺は確信があった。葉桐はおそらく純粋に見栄えだけを重視して選んでおり、その中でも頭のいい奴は恐らく『仲間』に入れてないと。
「…そんなことはないよ。彼らには光る才能がある。むしろ才能がある人を集めたらたまたま顔が良かっただけなんだよ」
「じゃあ誰か連れてきてその才能を証明してくれないか?」
 葉桐の顔が能面のように冷たくなった。俺を静かに睨んでる。あの美男美女どもはこの男が忠実な家臣にするために集めた駒だ。見栄えのいい臣下はその上にたつ王様を輝かせてくれる。むしろ才能は邪魔だ。王様のことを玉座から蹴落としかねないのだから。
「彼らの事を疑うなんて君は酷いやつだな!人助けを率先してやるようないい人だと思ったのに!残念だよ!君を誘うのはやめておこう。君は僕達の仲間には相応しくない」
 逆切れされた。つまり図星だ。あいつらは顔だけがいい木偶の坊だ。そんな奴の仲間になんか死んでもならない。それは俺の青春をドブに捨てるのと同じ愚行でしかないのだ。
「ねぇ宙翔」
 俺と葉桐が睨み合う中で嫁が声を出した。
「なんだい理織世?」
「常盤君が言ってることは本当なの?あの人たちは一年の中でも才能があるすごい人たちだから交流するんだって言ってたよね?」
 俯く嫁はどこか哀し気にそう言った。
 
「そうだよ。僕が嘘なんてついたことあるかい?」
「…そうだよね。うん。宙翔は嘘をつかないよね。…でも」
 嫁は顔を上げて俺の事を見詰めてきた。灰が烟るような茶色の瞳がとても美しく、そして優しげに見えた。
「理織世?どうかしたのか?」
「ううん。なんでもないよ。もう行こう。2人とも喧嘩は駄目だよ。もうやめよう。宙翔、みんなのところに戻ろ。そろそろお店の時間でしょ?」
「ああ、そうだね。もう行こうか。この人たちと付き合うのは時間の無駄だ」
 葉桐は俺たちに背を向けてお仲間たちの方へ戻っていった。
「…ごめんね、常盤君。次はちゃんとお話ししようね」
 嫁は悲しそうに微笑んでから、葉桐の方へと向かっていった。そして彼らはゾロゾロとお食事会とやらをするためここから離れていった。
「綾城。これから暇?」
 緊張がどっと抜けて自然とその言葉が出てきた。
「夜までだったら暇よ。夜は父とお食事なの」
「じゃあそれまで俺と遊びに行かね?」
「あら!いいわね!どこ行くの?」
「さあね。その場のノリとテンション次第かな。あはは」
「まあ計画性のないことね、面白そう。うふふ」
 俺たちは笑いながら入学式会場を後にした。その日は夜まで大いに遊んだ。それはきっとキラキラした青春だったと胸を張って言えるものだったのだ。

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# 第6話 オリエンテーションは二人ボッチのはじまり!!
 オリエンテーションと言えば、友達づくりのチャンスだとみんな思ってる。ここで友人を創ることに失敗し、グループに入ることに失敗した者は四年間をボッチとして過ごすことになる。と思われてる。だがこの考え方に俺は否定的な見解をもっている。俺自身、一週目のオリエンテーションでは友人が出来なかったガチ陰キャだ。だけどオリエンテーションを過ぎたあと、各種実習や学科飲み会の中で自然と友人と呼べるような人たちとの繋がりは出来た。むしろオリエンテーション中にできるグループってお試し感が強すぎるので、大抵の場合気がついた時には消滅しているもんだ。だからオリエンテーション中にできる人間関係はそんなに気にしなくてもいい。だから俺自身はオリエンテーションでの友人作りにはあまり労力を割くつもりはない。むしろそれよりはサークル側でのつながりを作ることに集中したい。サークル側でキラキラな友人関係が築ければ、自然と学科側にも友人が出来ていく。世の中はそんなものだ。だからオリエンテーションサボっちゃダメかな?だってこの学科には…。
「常盤君、隣いいかな?」
 オリエンテーションしょっぱな。教室の隅っこの方に陣取ってシラバスを確認していたら、嫁に話しかけられた。かけられてしまった。
「建築学科は女子も多いから女子グループのところへ行った方がいいぞ。俺といても別に楽しくはないよ」
 当然俺は気まずい。同じ学科だから顔を合わせるのは仕方がないとは覚悟していた。だけどまさか向こうから話しかけてくるとは思わなかった。俺は入学式で嫁の幼馴染系間男とこの二週目の世界ですら揉めているのにだ。
「別にそんなことないと思うんだけど…だめかな?」
「…うっ…好きにしてくれ…」
 ウルウルとした瞳で頼まれると断りずらい。というか断れなかった。かつては短くとも結婚生活という名の嫁のATMを経験した身である。体は反射的に嫁の願いを叶えようとしてしまうのかもしれない。あるいは嫁の機嫌を損ねるとややこしいしめんどくさいという経験から来る習慣なのか。
「なあ、あの子」「すげぇ美人だな」「知らないの?確かあの子読モだよ」「チアの全国大会にも出てたよね確か」「あの顔でウチの大学にも入れるとか完璧すぎだろ」「でも同じ学科ならワンチャンある?」「誰か声かけてこいよ!」
 周りからひそひそとした声が響いてくる。みんな嫁に注目してる。当然だ。100人が100人とも美しいと認める顔の持ち主だ。それに不思議な瞳や髪の色で神秘性のような印象さえ周囲に与えてる。後にはミスコンで圧倒的優勝も果たしてみせた。ここまでくるともはや美貌という名の暴力かもしれない。そして逆に俺はそんな嫁の隣にシレッといるもんだからどことなく男子からは敵意を抱かれているように思える。
「ねぇ常盤君はどの授業取るの?大学って単位さえ満たせばいくつとってもいいし、サボってもいいんだよね?高校とは全然違うんだよね。ついこの間まで言われた通りの時間割だったのが嘘みたいだよね」
「俺浪人だから高校の事もうよく覚えてないんだわ」
 嫁に話しかけられた俺は話の腰を折ってみた。現役生と浪人はやっぱり最初のうちは断絶がある。そのうち誰も気にしなくなるけど、今は気になるだろう。
「え?年上なんだ…ですか。ごめんなさい、私ずっとため口きいてました」
 いきなり敬語に変わった。本気で申し訳なさそうな顔をしている。これはちょっとまずい。俺相手なら是非ともこの調子で接して欲しいけど、他の浪人生相手にこの態度はあかん。同学年ならため口が基本なのだから。
「同じ学年相手なら敬語は使わない方がいいぞ。浪人も現役も学年で区切られるのが大学なんだからな」
「そうなんです…そうなんだね。よかった。うん。なんか壁が出来たみたいでびっくりしちゃった。えへへ」
 嫁はほっとして、可愛らしい笑みを浮かべている。本当に可愛い女だと今でも思う。若いころの嫁をこんなに近くで見ることはなかった。いつも遠くから見るしかなかった。だから彼女のハーフアップの三つ編みは思っていたよりも細いんだと今更ながらに気がついた。それに気がついた時どうしようもないほどの落ち着きのなさを感じた。だから俺は席を立った。
「ちょっと一服してくる」
「え?でも常盤君タバコの匂いしないよね?吸うの?」
「自販機でコーヒー買うのが好きなの。じゃあね」
 俺は理由をつけて席を離れた。そしてオリエンテーションが始まるギリギリまで校舎の一階にある自販機の前で好きでもない缶コーヒーを飲んで過ごした。時間ギリギリに戻ってくるとすでに嫁の周りには男子を中心に人だかりができていた。こっそりと近づいてカバンと資料を回収し嫁から遠い席に着き直す。そしてすぐに講師がやってきてオリエンテーションが始まった。
 オリエンテーションは退屈だった。俺は二週目なので大学のルールはすでに全部わかってる。なんなら楽な授業なんかも当然知ってるのだ。休み時間のたびに嫁は俺の方を見ていたが、すぐに人だかり囲まれるのでこっちに近寄ってくることはなかった。そして昼休みになった。今日のオリエンテーションはこれで終わりだ。午後からは自由。嫁が男子たちに食事に誘われている間に俺はすぐに教室から脱出して、教室から遠くにある学食の方へ向かった。皇都大学駒場キャンパスは広い。学食もいくつか点在している。俺が行ったのはお高めのメニューが並ぶ店。むしろ学食か?ってくらいにはオシャレなところ。教授たちよりもキャンパス近くに住むマダムたちの方が利用しているだろうってところだ。
「あら?奇遇ね。こんなところで会うなんて。もしかしてあたしのストーカーなのかしら?」
 屋外の席に綾城がいた。相も変わらずメンヘラ臭漂う地雷系ファッションだった。中二病の時期なのか、今日は黒ベースのパーカーと黒のスカートにピンクのブラウスを合わせている。髪型はなんと短めのツインテール。リアルの女がすると痛いやつにしか見えないが、綾城は驚くほど可愛く見えた。
「ストーカーじゃないよ。ちょっと遠出してみたかっただけさ。そういうお前はどうしてこの店?ここはお前の学科の講義棟からも遠いだろう?」
 俺は綾城のテーブルについて、メニューを開く。学食の二倍から三倍くらい高い値段が並んでる。
「学食の安っぽいメニューじゃあたしの舌は満足できないの。だからここに来た…って本当は言いたいのだけど。逃げてきたわ」
 綾城はパスタを上品にフォークで掬って口に運ぶ。不思議と絵になっている。
「野郎どもか?」
 ウェイターを呼んで、クラブハウスサンドのセットを頼んだ。1000円もするが、嫁から逃げる費用と考えれば安いような気がしてくる。なにせ一周目じゃ嫁から逃げ回るために俺は10回も引っ越したのだから。なお全部場所を突き止められたので全くの無駄だった。
「そう。男たちの飢えた目と女たちの卑しい嫉妬の目から逃れてきたのよ。みんな一目見るだけであたしに夢中になっちゃうんだもの嫌になるわね。何のために大学に来てるのかしらねあいつら?出会いが欲しいならマッチングアプリでも使えばいいのに」
「むしろ現代じゃ大学なんて遊ぶために行く場所だよ。俺なんかそうだよまさしくね」
 今の俺は青春をいかに楽しく過ごすか、魅力的な女と出会うかしか考えてない。本質的には綾城に集っている男共とかわりはしないだろう。
「そうでしょうね。でもあんたは勉強好きな方でしょ?違う?」
「ああ、好きだね。そのことに嘘をつく気はないかな。ここに来たのも最高の建築が学べるからだ」
「そう。目的意識があるのはいい事よね。大学に行くならそうあるべきよ。今度あなたが建築に進むことにした切欠を教えて頂戴ね」
「今聞けばいいじゃん。別に構わないけど」
「あんたが話したら、あたしも法学部に進んだ理由を言わなきゃフェアじゃない。悪いけどそれはまだ話したくないの。理解してちょうだいな」
「まあ話したくないなら聞かないけどね。本当に変な奴だな」
「ふふふ」
 口に手を当てて笑う仕草がとても上品に見えた。この子はカッコこそ変だがやっぱり育ちが良さそうな印象を受ける。だんだんと気になってきてしまうのはきっと俺に女性経験が足りないからだろう。関わってしまった女にはすぐに好意を抱いてしまう。セカンド童貞マインドはなかなかにキモいかも知れない。そしてすぐに俺のランチも届いた。2人ですごす昼食はなかなかに楽しい。青春って感じ。
「ところであんた土曜日暇?」
「うん?今のところは暇だけど」
「あたし行こうと思ってるサークルあるのよ。その新歓あるんだけどついてきてちょうだい」
 驚いた。女性から飲みのお誘いってもしかすると一周目含めても初めてかも知れない。嫁は付き合う前は一切自分から何かを提案してくることはない女だった。もっとも新歓だから色気のある話ではないけども。誘われたことそのものが嬉しかった。
「いいよ。一緒に行こうか。場所は?」
「下北よ。あそこいい街よね。高校の頃はよく買い物に行ったわ」
「確かにいい街だよな。何よりもあの町の特色は駅と商店街との繋がり方にあると思う。混沌とした街並みはたしか戦後の闇市に起源があるそうなんだ。最近は再開発で綺麗になってきているけども、以前の駅周辺の猥雑さにはある種の美が間違いなく宿っていた。すべての要素は独立しているのにも関わらず、それらすべてはきっと同じイデオロギーを背景として確固とした存在が実存を証明し即自的かつ…」
 夢中になって都市構造の歴史と哲学について話している俺の口にそっと綾城の人差し指が当てられてしまった。唇に触れる彼女の指は柔らかかった。そのせいでそれ以上喋ることが出来なかった。
「ストップ。夢中になって話すあんたの顔は可愛かったわ。でもね、話の中身はわけわかんなくてちょっとキモいわ。ふふふ」
「むむ。これからがいいところなのに…」
「うふふ。むくれないの。でもよかった。あんたにはお遊び意外にちゃんと好きなモノがある。それが知れてよかったわ。また聞かせてね。でもちゃんとわかりやすくしなきゃ駄目よ?」
「わかった。善処するよ」
 自分の話を聞いてくれる女がいる。それはきっとなににも代えがたい幸せの形だ。かつて嫁も俺の話を優しくニコニコと聞いてくれた。その思い出は今綾城と過ごすこの時と同じくらい幸せなものだった。嫁以外にも俺の話を聞いてくれる人がいる。それを知れただけでも今日はとても幸せな一日だった。

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# 第7話 学食大戦!間男 vs NTR男!!
 オリエンテーションの間、俺は嫁に極力近づかないようにしていた。だけど同じ教室の中にいてそれを続けるのはやはり無理があった。
「常盤君。今日は{みんな}(・・・)でご飯に行こうよ。私、学科の人全員とちゃんとお話したいんだ」
 最近の嫁は自分に群がる人だかりから何かを学習したらしく、毎日学科の違うメンバーとランチするようにローテーションし始めた。『オリエンテーション中に全員と話したい』という建前をつけたのが正直に上手いと思った。普段はのほほんとノー天気なくせに俺を追い詰めるときだけはなぜか知恵が働くようだ。
「いや俺は、家に作り置きがあるから…」
 それでも俺は当然断る。何をしゃべっていいかマジでわからんし、嫌な思い出がよみがえってきてムカムカして不快なのだ。
「そっかー。じゃあ今日は私も学食はやめて家に帰って食べるよ。うん、ざんねんだねー」
 嫁が哀し気にそう言った時だ、嫁の後ろにいた今日のランチメンバーたちが恐ろしく鋭い眼光で俺を睨んだ。理由はよくわかる。これを逃したら嫁と一緒にめしを食える機会は多分永遠に廻ってこないかも知れない。そう思えば必死にもなる。そして直感した。ここでこのランチを断ったら、俺に学科での居場所はなくなると。
「よく考えたら作り置きは夜食べればいいんだよな!学食行こうか!あはは!あはははは!」
「そっかー!よかったぁ!今日の日替わりは何かなぁ?楽しみだね、うふふ」
 もうやけくそだった。俺は結局ランチへと連れていかれることになったのだった。
 俺と嫁を含めた8人ほどのグループで学食にやってきた。学食はいつも混雑している。ウチの大学は結構学生数が多い。だからピークの時は席を早く取らないといけない。だけどね、うちの嫁は生まれついてのお姫様なのだ。
「ああ…今日は人が多いね…座れないのかなぁ…」
 嫁は落ち込んでいた。見るからに憐れな顔をしている。だけど美人だ。これはこれで絵になる。つまり…。
「あの!おれたちもうめし食べ終わったからここ使って!」
 近くの席に座っていた運動部系っぽい先輩たちが急いでめしをかっ喰らって俺たちのために、というか嫁の為に席を開けてくれた。
「え!ほんとですか!うわぁありがとうございます!いい先輩たちがいてくれてほんと私嬉しいです!」
「いやそれほどでもないよ!俺2年経済学部金融政策学科の佐藤」「俺2年法学部政治学科の田中!」「俺3年文学部英米文学科の鈴木!」「俺3年工学部機械電子学科の斎藤!」「俺…(以下省略)
 ワンチャン狙って名乗っていく先輩たち。こんな憐れな自己紹介見た事ないよ…。嫁は無邪気に喜んでるけど、きっと一分後には忘れてるだろう。先輩たちは照れた笑顔で学食を去っていった。そして開いたテーブルに俺たちはついた。おのおのカウンターからランチメニューをトレーに乗せて持って帰って。嫁は俺の隣に普通に座ったのだった。一瞬空気が凍った。理系は女子が少ない。だからこのグループ、嫁以外は全員男子である。オタも陰キャも陽キャもチャンプルしてる共通点のない集団なのに全員が全員、俺を冷たい目で睨んでる。すごいね、人類は共通の敵がいれば団結できるんだよ。その敵になりたくなかったから嫁を避けてたのに!本当にこいつナチュラルに俺に追い込みかけてきやがる!
「ねぇねぇ皆はどうしてこの大学を志願したの?」
 野郎集団に女子一人なら大抵の場合女子がなんか適当に言ったことが話題になる。嫁は実にオリエンテーション期間に相応しい話題を振り始めた。男子たちは皆競って嫁にうちの大学に来た理由を話始める。それらは全部どうしようもないくらい自慢話だった。学校一の秀才だったと宣う陰キャ。勉強できなかったんだけど本気出したら受かっちゃったわー!とかいう陽キャ。建築の研究で歴史に名を残すとかイキっちゃうオタ。親の建築会社を継いで事業拡大するとか宣う意識高い系ボンボンなどなど。どうしてこう男が女にする話は退屈なんだろうか?クッソつまんねー。
「ねぇ常盤君。さっきから静かだね?ずっと学科の皆と交流してなかったし緊張してる?可愛いところあるね、ふふふ」
 どことなく母性的な印象を受ける微笑みはとても綺麗だった。それを向けられることは幸せなんだろう、本来ならば。実際周りの皆はぽけーっと魅了されている。だけど俺にはこの女の美しさは毒なのだ。この女が美しく綺麗で可愛らしければらしいほど、裏切りの事実が俺を惨めにするのだから。
「別に。そんなわけじゃないよ」
「そうなの?じゃあどうしてこの大学に来たのか話してよ」
 嫁は俺の顔を覗き込んでくる。俺の知っている嫁の顔は今よりもずっと大人だった。今はまだ子供のようなあどけなさがある。俺はこの時代の嫁を知らない。知らないことがどうして悔しいんだろう。だから突き放してやることにした。
「美大に落ちたからここに来た。建築はなんだかんだと美術と関わり合いが深い。少しでも美術っぽいことをやりたかった。それなら一番いいところに行くべきだ。ただそれだけだよ」
 周りの男子たちが少し苛立っているのを感じた。なにせ皇都大学は日本トップの大学なのだ。滑り止めで来るところではないのだ。俺は美大志望崩れ。今でも本音じゃ美大に行きたかったなと思う日があるのだ。
「そうなんだ。変わってるね…」
 嫁は何とも言い難い微妙な表情をしていた。女性経験の少ない俺でも人生経験を積めばわかることがある。女性は男性の失敗経験談をとても嫌うのだ。俺は美大受験に落ちた負け犬。嫁は俺をそう記憶する。負け犬男は視界にも入れないのが女という生き物の性である。俺はいずれ嫁の興味の外に落ちるだろう。これでいい。そう思って安堵していた時だ。
「理織世?今日はここで食べてたのかい?」
「あっ。宙翔。やっほー」
 声のする方へ振り向くとそこには葉桐がいた。周りには医学部の男子学生たちがいた。みんな嫁の事をデレデレと見ている。
「みんな、紹介するよ。彼女が僕の幼馴染の理織世、五十嵐理織世だ」
 葉桐は医学部の連中に嫁の事を紹介している。あれは間違いなくマウント行為だ。葉桐にはこんなにも美しい女と親しくする力があると誇示している。いずれ遠からず医学部もこいつの手に落ちるのだろう。恐ろしいほどに政治が上手い。
「五十嵐理織世です。よろしくお願いします」
 嫁は立ち上がって医学部の連中に綺麗に礼をした。その所作の美しさは医学生たちを確かに魅了していた。暴力だ。美の暴力。嫁の持つ暴力を葉桐は完全にコントロールしきっている。硬い絆。2人の強固なつながり。そのうちに恋に代わる甘い繋がり。勝てるわけがないそう納得してしまう。
「理織世の同期生の皆さん。僕の幼馴染の事よろしくお願いしますね。理織世は少し抜けてるところがあるから助けてあげてください」
「もう!私はそんなおまぬけさんじゃないのに!宙翔ったらいつも私を子ども扱いするよね」
 嫁は照れ笑いを浮かべていた。口では文句を言っても表情は明るいものだった。気軽に冗談を言い合える仲。俺と一緒にいた頃の嫁は物静かでいつも穏やかに笑ってた。自分から何かを言い出すことはあまりない穏やかな女だったのに。
「だって子供のころから一緒だしね。小さいころから変わらないよ君への思いはね。ふふふ」
 葉桐は爽やかな笑みを浮かべてそう言った。それは気安くって確かに人に好かれそうな笑顔だったのだ。俺はそうは思わないけど。
「ところで理織世。これから僕たちは広告研究会と外に食べに行くんだけどどう?」
「え?でも私今食べてる途中…」
 いきなりの誘いに嫁は困惑している。それに嫁はランチをまだけっこう残してる。
「君の夢の女子アナになれる近道だよ。今日はテレビ局でプロデューサーを務めるOBがわざわざ来てくれるんだってさ。チャンスだよ。顔を売りに行こう。大丈夫、僕がちゃんとサポートするからね!」
 大学を出た後嫁は東京の大手民放の女子アナになった。当然その美貌故に大人気となりニュース番組や有名人のインタビュー、バラエティでひっぱりだこだった。テレビで見ない日がないレベル。大企業で建築士をしていて世間的に見れば給料もらってる方の俺の何倍もの給料を貰っていた。良く結婚出来たな俺。やっぱり夫の俺の給料が低いのが裏切りだったのかな。凹む。
「さあ行こう。ごめんね皆さん。理織世の将来のためなんです。許してほしい」
 葉桐は俺たち建築学科の野郎どもに頭を下げてきた。だけど敗北感を感じていたのはこっち側だ。葉桐は嫁がどこへ行くのかをコントロールできる。男として嫁にとても近しいと皆が理解した。そう、俺は勝てない。
「じゃあ行こうか理織世!」
「あっ…ごめんね…」
 嫁は俺にそう言った。その顔は申し訳なさそうに歪んでいた。あの時と同じ顔。裏切りがバレた時と同じ顔。そんな顔見るのはうんざりだった。俺は立ち上がり、嫁の肩に手を置いて少し力を入れて椅子に座らせた。ちゃんと優しくしたから痛くはないはず。
「え…常盤君…どうして?」
「残さず食えよ。勿体ないだろ」
 嫁のランチプレートにはまだエビフライが二本残ってた。
「おい。常盤君。君は理織世の将来の邪魔をするのか?」
 葉桐が俺を睨む。俺も睨み返してやる。
「うるせえ。俺の実家は農家なんだよ。食べ物を粗末にする奴は許さん」
 俺の実家は北海道の農家だ。継ぐ気がないので都会に出てきた。家は将来妹がその旦那さんと継ぐから問題はない。
「たかがランチよりも大手テレビ局のプロデューサーとの繋がりの方がずっと大事だろう。君の言ってることはくだらない」
「知るかよ。お前の価値観に俺は関係ないんだ。それにプロデューサーと会いたいのはお前であって、り…五十嵐じゃないだろう?」
「…プロデューサーに会うことは、理織世の利益につながるんだ」
「それは質問の答えになってない。なあ。お前は五十嵐には嘘はつかないんだろう?今ここで五十嵐に誓ってくれよ。お前自身はプロデューサーと何も交渉する気はないってな」
 葉桐が押し黙る。俺には未来の知識がある。この間男系幼馴染は夏ごろからテレビにではじめる。名門皇都大学の現役学生が中心の番組が放映されるのだ。そこに爽やかなルックスでこの男はお茶の間の人気者になる。参考書とか自己啓発本とか出しちゃったりしてがっぽがっぽと稼ぐのだ。多分プロデューサーさんとはその話をするんだろう。嫁を同席させるのは嫁の魅力で交渉を有利にするためだろう。まあ女子アナへの道が開かれるのも本当だろうけど。
「ねぇ…宙翔」
「理織世。常盤君の言ってることに惑わされちゃだめだよ。この人は屁理屈で相手を飲み込むタイプだ。よくないよこういう人はね」
「宙翔。私はみんなとまだお話したいことが残ってるんだ。それにやっぱりご飯を残すのは良くないよ。そんな人は女子アナになっちゃだめだと思うの。偉そうにテレビで人に向けて喋る資格はないと思うよ。うん」
 嫁は真剣な顔で葉桐を見詰めながらそう言った。葉桐は嫁のその目に戸惑っているように見えた。だがすぐに爽やかな笑みを浮かべて。
「わかった。そうだね。理織世の言う通りだね。プロデューサーさんと会うのはまた今度の機会にしよう。じゃあ夜にまたね」
「うん。またね宙翔」
 葉桐と嫁は小さく手を振り合った。そして葉桐は取り巻きを連れて学食から去っていった。嫁は頬を少し赤くしてモジモジとしていた。そして俺の事を上目遣いで見ながら言う。
「あのね…常盤君…あり…が…」
「ごちそうさま。みんな。俺は先に失礼するよ。図書館で勉強しないといけないからね」
「あっ…ま…っ……」
 俺はトレーもって立ち上がる。嫁は俺の背中の後ろで何かを言っていたが無視した。そして俺は学食から去ったのだ。

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# 第8話 新歓はこう振る舞う!!
 嫁とのランチ以降、彼女から俺に関わってくることはなくなった。まああんな微妙な終わり方をすればそうもなるだろう。そしてオリエンテーションはとくにトラブルもなく過ぎていった。そして土曜日がやってきた。
「あら?あんた来るの早くない?まだ約束の時間20分前だけど?」
 待ち合わせ場所は下北沢駅近くのカフェだった。店内にはすでに綾城がいて、優雅に紅茶を愉しんでいた。
「俺はこの街に住んでるから早くて当たり前なんだよ。そういうお前だって早いじゃん」
 俺が今住んでいるのはこの街だ。下北から駒場キャンパスまではほんの数駅足らずだし、その気になれば歩いても自転車でも行ける。
「あら?ここに住んでたのね。なら先に言って欲しかったわね。あたし昼間は服屋巡りしてたのよ。荷物持ちにしてあげたのに」
「へぇ。何か買ったの?」
「今羽織ってるジャケット。大人っぽくていいでしょ?」
 今日の綾城はツーサイドアップだった。そして例によって中二病臭い黒×ピンクなスタイル。ただいつもよりはなんか大人っぽい仕上がりだった。とくにライダーっぽいジャケットがなんか大人感を出している。
「いいと思うよ。シャツにもあってると思うし、大人の女って感じがするよ」
 地雷系要素は残っていて、かつ大人っぽさを両立させるのって普通にすごいと思う。綾城が並外れた美貌の持ち主だから可能なのだろうけど。
「ありがとう。でもあたしはまだ大人とは言えないわ。誰とも夜を過ごしたことがないもの。この体は痛みも甘さもまだ知らないから…」
「隙あらば下ネタ入れるよね!どうしてそんなに下ネタ好きなの!言っとくけど俺じゃなきゃみんなドン引きしてるからな!!あと今日の新歓では絶対にそういうの口にするなよ!」
「ふふふ、わかってるわよ。飲みの場で下ネタなんて口にしたら、非モテ童貞ボーイに勘違いされちゃうものね。…どうしてすぐに勘違いするのかしら…ふぅ…」
 あっ何か闇深そうな発言してる。これはスルーしておこう。俺だって本質的には非モテ側だ。タイムリープしているから、体は童貞だしね。…そもそも嫁しか女知らないし、浮気されてるし、むしろ俺は真正の童貞なのではないだろうか?
「で、今日の新歓やるサークルってどういう団体?」
「そうね。真面目系よ。大学公認団体で教育学部の教授が指導もしてるしっかりしてるところ。教育問題のNGOに近いかしら?」
 そのサークルなら知っている。ちゃんと立派な活動をしている正しい意味での意識高い系サークルだ。
「あれ?ガチ系じゃん。何に惹かれたの?」
 正直驚いた。綾城は根っこには真面目さ見たいなものがあるとは思っていたが、ほんまにガチっぽい。彼女相手に好感が湧いてくるのを感じた。
「教育問題は多岐にわたるけど、今日のサークルは貧困層の教育格差の解消支援を行ってるの。あんたならわかるでしょ?うちの大学に入るためにどれくらいのお金がかかった?」
「そうだねぇ。俺は公立の高校出身だったけど、予備校費用はかなり掛かったね。正直数えたくもない」
「あたしもそう。あたしは私立の名門進学校の出身。そこの学費だけでなく、家庭教師や予備校、さらには参考書代。いっぱいお金がかかってる。幸いうちの父はお金持ちだから全然問題はないのだけどね」
 うちの大学には一つ闇がある。国立大学は学費が安い。だが入試難易度は半端じゃないのだ。それを突破するためには、予備校や参考書などシャレにならない額の金がかかる。だからうちの学校の平均所得は私大よりも高い。なんていう話がまことしやかにささやかれている。実感的にも同級生は金持ちが多いような気がする。これは明らかにおかしいと思う。金持ちが入りやすい大学の学費が安く、金がなくて勉学が出来ない者たちは学費の高い私大に行くしかない。理不尽な格差がそこにはある。卒業後もうちの大学を出れば、かなり社会で優遇される。高学歴は高収入への切符なのだ。そしてその格差は永遠に再生産され続ける。
「そのサークルはオリジナルのテキストを作って配布したり、ネットを使って大学受験対策の授業動画を無料で配信したりしてるの。あたしはそういうのに関わりたいって思ってる」
「…そうか、うん。そういうのいいね。うん。誰かの為になることはいいことだ」
「そう言ってくれるならあたしも嬉しい。というわけであなたには今日の新歓であたしに協力してほしいの」
「弾避けだな?」
「そっ。男共があたしに群がってくるから、『俺の女に手ぇ出すなぁ!』ってオラついてて頂戴」
「ええぇ。それはちょっとなぁ…痛いやつじゃん!まあ壁にはなるよ。俺が傍にいればそれなりに男共はふるい落とせるだろうし」
 それでも多分ワンチャン狙いで近づいてくる奴はいっぱいいると思う。
「今日のサークルはセレクションあるのよ。それも教授たちが面接するガチな奴。ちゃんと顔を売っておきたいわ」
「…なあそれなら普通の恰好をしてくるって発想は出てこなかったの?」
 セレクションあるサークルならもしかしたら新歓での行動も見ている可能性がある。変な服を着ていると、不真面目に取られて落とされるかもしれない。もっとも綾城みたいに顔がよければあんまり関係ないかも知れないが。
「自分を偽るつもりはないわ!あたしが好きなのはこういうファッション!それを含めて受け入れさせる!じゃなきゃ入った後も気持ちよく活動できないでしょ!!」
 綾城は堂々と胸を張ってそう宣言した。わがままもここまで通せば立派に見える。これなら大丈夫だろう。
「ほう。まあちゃんと考えてるならいいよ。オーケーオーケー!」
 俺はお冷やのコップを掲げる。綾城も俺の動きを見て察したのか、紅茶のカップを掲げた。
「「セレクション合格を祈って、乾杯!!」」
 俺たちは勝利を目指すために乾杯した。
「ところで自分が飲める酒の限界量はわかってる?」
 変に調子に乗って飲み過ぎてダウンするとかはやめて欲しい。そうなると俺が介抱する羽目になる。
「大丈夫よ。昔から父とよく飲んでるから。ワインを一瓶イッキ飲みしても思考はしっかりしてたから大丈夫よ」
 ワイン一瓶の一気飲みってすげぇな。絶対に真似しちゃいけない奴だ。というか綾城は現役生だから、その昔から飲んでるって…。
「昔から…?あっ…」
「そうよ。察したらな黙ってなさい。女の過去は掘らない方がいいわ。うふふふふふふ」
 いい女風に言ってもやってることやべぇわ。触れるのはやめておこう。
「まあ限界量がわかってるならいいかな。あはは!」
 そして俺たちは新歓の会場の居酒屋に向かったのだった。
 新歓で重要なことはなにか?それは多岐にわたる。個人的にはまず第一に座る場所だと思ってる。親切なサークルの新歓は新入生と先輩たちが上手く混ざるように配置を誘導したりする。一番いいのは席のくじ引き形式だと思ってる。だが今回はちょっと別だ。綾城と離れるのは避けなければいけない。だがその心配は杞憂だった。今回の新歓は広いお座敷の自由席。ちなみに新歓での席取りのコツは早めに行かないことだと思ってる。席が半分くらい埋まったタイミングでサークルで一番偉い先輩の近くに座るのがコツだ。新歓で堂々と先輩の近くに座る奴は可愛がられるものだ。顔を覚えてもらうことが何よりも大事。そして可愛い女の子の近くは逆にやめておいた方がいい。新歓はぶっちゃけるが出会いの場ではない。陰キャな俺は一周目の世界でちゃんと観察していたからわかる。女子も新歓で口説かれるのをあんまり好まない。女子たちは先輩に構ってもらいたがる傾向がある。そう思ってる。もっともここら辺は今後も研究の必要がありそうだ。いずれはそういう攻略法を練り上げて陰キャたちを救いたいものだ。
「で、何処に座ったらいいのかしらね?」
「まあちょっと待って」
 当然俺はこのサークルの人間関係も少しだが未来知識に入ってる。まず狙うべきは現代表の近く。だがすでにそこらへんは埋まってた。なので狙うのは。
「あのメガネの女性の前がいい。あの人は多分次の代表になるはずだ」
 暗めの茶髪に染めた、眼鏡をかけた地味系女子がいた。未来で会ったことがある。その時はこのサークルの代表を務めていた。
「なにそれ?根拠は?」
 未来の知識です!なんて言えるわけもないので、適当に誤魔化す。
「あの人教育学部の二年生だよ。この間学校ですれ違ったからわかる」
 まあ嘘ですけど。綾城は怪訝そうな顔してたが、頷いてくれた。
「そう。あなたが言うならそうしましょう」
そして俺たちはその二年生の前に座る。先輩が俺たちに目をじろっと向けてくる。ガンつけてる。わけではない。真面目だから自分から声を出せないだけ。この人は真面目系陰キャだ。だからこっちから声をかける。
「始めまして、先輩。俺は建築学科一年の常盤。この子は法学部の綾城です。今日はよろしくお願いします」
「あっ。はい!よろしくお願いします!私は教育学部二年の賀藤です」
 個人的に真面目系相手ならフルネームでなく、苗字だけの自己紹介でもいいと思う。陰キャはウェイウェイ系のすぐに下の名前で呼び合う文化が嫌いだ。この人もそういうのを嫌うタイプ。
「そう言えば俺、賀藤さんとこの間学食ですれ違った気がするんですけど、確か日替わり頼んでませんでした?」
「あっうん!そうそう!水曜日の日替わりのコロッケ美味しいんですよ!というかすれ違ってたんですね!へぇすごい偶然ですね!面白いですね!」
 嘘です。俺は嫁から逃げ回るために学食には一切近寄らなかった。
「へぇそうなんですかぁ。今度食べてみます!楽しみだなぁ。あはは」
 朗らかに打ち解けられた。賀藤先輩の顔は穏やかな笑みで満たされている。その時、太ももに柔らかくてくすぐったい感触を覚えた。綾城の指が俺の太ももに人差し指を押し当てていた。綾城は赤い唇に微笑を湛えていた。そして俺の太ももを指で撫でていく。
う・そ・つ・き。
綾城は俺の太ももにそうなぞった。その指の感触はくすぐったく、とても甘いものだった。ニヤリと悪戯っ子のように笑う綾城の青い瞳はたまらなく色気に満ちていた。
「えー。新入生の皆さん!時間になりました!新歓を始めようと思います!グラスをもってください!皆様入学おめでとう!カンパーイ!!」
『『『『『『カンパーイ!!!』』』』』』
 そして新歓は始まった。

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# 第9話 雰囲気チャラ男(大学デビュー)が地味女子相手にワンチャン狙いでオラつくのはイタい
 乾杯の後、宴会場のあちらこちらで笑い声や話し声が賑やかに響く。ここのサークルは丁寧な対応を新入生にしていた。ボッチになってそうな新入生には先輩から話しかけていく優し気な雰囲気があった。いいサークルだと思った。だがそれでも相性の問題は立ちはだかる。ぶっちゃけると綾城と賀藤先輩はちょっと趣味の方向性が違い過ぎてプライベートではおそらくまったく合わない。だから最初の方は話がすこしぎこちなかった。最初に俺が賀藤先輩に打ち解けていたからこそ二人の会話は続いていた。俺が二人の間を繋いでいたというのは言い過ぎではないと思う。綾城が俺を連れてきたのは正解だったと思う。だけど綾城のサークル活動への熱意は『本物』だった。
「綾城さんはどうしてうちのサークルに興味を?」
 賀藤先輩が綾城にそう尋ねた。酒に酔っていて少し顔は赤いし表情も緩いが瞳は真剣だった。綾城を見極めようとしている。綾城もその真剣さに応えるためなのだろう。凛とした表情になって口を開いた。
「あたしのうちはよく海外旅行に行っていたんです。色々な国に行きました。日本人があまり行かないような国にも行きました。そこで見たものがあるんです」
「何を見たの?」
「真昼間のある{市場}(いちば)を父に手を引かれて歩きました。本当に猥雑なところで、果物の良い匂いに、魚の生臭さ、肉の血の匂い。そんなのがまぜこぜしているようなところ。日本の生活になれてるとあんな匂いはなかなかきついんです。そこで父がある店の前にとまりました。小さな屋台。地元の果物を使ったジュースを売ってたんです。とても美味しそうな匂い。でも…それを売っていたのは大人じゃなかった。当時のあたしと同じ小学生くらい子供。父はジュースを2本頼んで、米ドル札で代金を払ったんです。その国では自国通貨の信用が薄いからドルが流通してたんです。でもドル札で代金を払うとお釣りの計算がめんどくさいんです。その日の交換レートを考えないといけない。あたしにはその値段を暗算できませんでした。でもその子は一瞬で計算してぱぱっとお釣りを返したんです。父は感心してお釣りもチップとしてその子に渡しました。そして日本語であたしにだけこう言ったんです。『今のを見たね?この子は君よりもすごい計算能力を持っているのに、今この時間学校に行けないんだよ』あたしは衝撃を受けました。ジュースの味がわからなくなるくらい。半べそをかいてホテルに帰りました。訳がわかんなくて母に抱き着いたんです。理不尽だって思いました。父は旅行に行くたびにこの世界の闇をあたしに見せたんです。自分たちがいかに幸せなのかって多分伝えたかったんでしょうね」
 俺と賀藤先輩は綾城の話に聞き入っていた。酒を飲むことを忘れて話の続きの事だけを望んでいた。
「この世界は理不尽な、それこそその人のせいじゃないのに不幸に追いやられてしまう人たちがいる。あたしはそれを見てしまった。すれ違ってしまった。そういうものを見て疚しさを覚えて恥じてしまう。…でもなにもできません。あたしは子供でしかないんですから。世界の事なんてどうにもできない。でももう大人の入り口にあたしは立ってるんです。何かをしたい。別に罪悪感とかじゃないんです。自分が持っている幸せを少しでいいからわけられるならば。きっとあの日みてしまった理不尽ももしかしたら報われるのかもしれません。だからまずは身の回りからそうしてみたい。この国は豊かです。少なくとも世界全体から見たらこれほど恵まれた国は他にないってくらい。でもこの国にも様々な理由で、あの日の子供のような教育にアクセスできない子供たちがいる。1人でいいんです。たった1人でもあたしの力でそういう子供が教育にアクセスできるようになって、実りある将来を実現できたならば、あたしはそれで満足です。それがここに来た理由です」
 綾城は何処か寂し気な笑みを浮かべていた。その笑みにきゅっと胸を締め付けられるような感傷を覚えた。彼女の思いは尊いものだと思った。そしてそんな人の隣に今自分がいられることを『幸せ』だと感じた。
「そうなんですか…ああ、言葉にならないわ。でも、うん。いいお話でした。綾城さん、あなたは素敵な人なんですね」
 賀藤先輩も感動しているようだ。瞳をウルウルとさせて綾城を見詰めていた。
 
「ありがとうございます賀藤先輩」
 そして2人は日本における教育問題について熱く語り合い始めた。専門が違うので俺は横から見ているだけ。だけどそれでも嬉しかったあ。綾城はこのサークルできっとうまくやっていける。その助けになれたのだから、俺も今日ここに来れてよかった。白熱する二人からそっと俺は離れた。お邪魔してはいけない。だからべつのシマに移って俺は俺で気の合いそうな人を探してみよう。そう思った。
 新歓において重要なのはシマ、つまりお喋りグループをどんどん移っていく勇気だと思う。一番いいのは各シマに友達が一人でもいれば、そいつを使って自然と混ざれる。でもここには残念ながら友達がいない。ならばどうしようか?ボッチに話しかければいいんだよ!
「すみません!ちょっといいですか?」
「え?ああ、はいなんですか?」
 何処のシマにもあんまり喋ってない奴が一人はいる。シマの中にいる陰キャ。喋れないから頷きに徹している。それしかできない背中は哀れだ。俺はとあるシマに狙いを定めた。男女比が丁度半々くらい。
「いや面白そうな話してるなって思って、僕今一人何で入れてください!あはは」
 コツは笑顔。とにかく笑顔。まず気弱な陰キャに話しかける。そして座れる場所を確保する。するとシマのメンバーたちが俺の方に視線を向けてくる。こいつなに?みたいな感じ。そしてコツ。そのグループ内で一番偉そう、もしくは年長、強そう、ヤンキーっぽい。ようはいかつそうな男に笑顔で握手を求めるのだ。女には絶対に最初に声をかけてはいけない。これがルール。
「あっ!どうも!俺建築学科の常盤奏久っています。カナデとかカナタとかって呼んでください!」
 握手をする時は目をちゃんと合わせること。これは俺が発見したよく知らんやつと話すときのテクニックだ。陰キャ-陽キャたすき掛け方程式とでも名付けようと思う。
「お、おうよろしく」
 よほどイカれた奴以外は握手を拒否ることはない。そして人間は握手した者同士を仲間だと認識する。握手した本人、握手した者を見た周りの者たち。俺とこのグループのリーダーは無意識下で友人同士となった。そしたら後は周りの者たちと順番に目を合わせていけばいい。それがノンバーバルでの刷り込みになるのだ。
「なんか面白い話してたよね!ほら北海道ってマジで水まくと凍るのってやつ!」
「おうそうそう!それそれ!俺高校の時北海道でも奥の方のスキー場行ってリフト昇って頂上でジュース撒いたら即凍ってさ!北海道マジでヤバイって!」
 陽キャなリーダーくんが話を続けてくれた。球に俺の方にも目を向けてくる。おっけー!刷り込みはうまくできた。俺の事をグループのメンバーとして認めてる。
「すごーい!」「まじみてみたーい!」
 女の子たちにはウケてる。多分雪のない地方の出身なんだろう。そして多分こいつの話は吹かしだと思う。雪の中で水撒いても案外一瞬で凍ったりはしない。もちろん試される大地北海道でもガチでやべぇ土地だとバケツの水を空中に撒くと即凍る。なお俺はそういう土地の出身である。
「だよな!まじであれやばいよね!俺北海道からきたんだけどさ!俺の地元マジでそんな感じ!」
 俺はグループのリーダーに向かってそう言う。
「お?お前北海道なの?!やべぇ!リアル北海道人きたし!だろ?!お前らぶっちゃけ信じてなかったっしょ?!」
 陽キャなリーダーくんは皆の事を弄り始める。グループから笑い声が響きだす。
「あれほんと綺麗だよな!!キラキラって!カナタはしょっちゅうやってたの?」
「子供のころ超やってた!でも水が勿体ないって母さんにしかられてやめたわ!あはは!」
「「「あはははは!」」」
 雑談なんてこんなもんである。そして新参者は話に混じれると、次の話題を出す権利が生じたりする。
「みんなどっから来たん?やっぱ東京?」
「俺は福岡!」「ボクは宮城!」「わたしは高知!」「ウチは京都!!」
 そしてこうやって各人から情報を引っ張ってきて次の話に続けていけばいいのだ。そしてこの後は酒を飲みつつガンガン話を回していった。社会人経験があれば大学生なんてチョロいチョロい。こちとら知らんやつしかいない業界パーティーで散々仕事してきたんだからな!未来の知識の有用さが証明されてちょっと楽しかった。
 酒が入るとトイレが近くなる。俺はいったんグループから離れて(その前にちゃんと女子含めて連絡先をゲットしておいた)トイレに行ってきた。戻って来た時、ふっと嫌な光景が目に入った。
「だからさ!俺たちがこの国の教育をリードしてめっちゃレボリューションするわけよ!すごいっしょ!」
「…え…っ…は、はい…」
 なんか大学デビューっぽい慣れてない感ある雰囲気チャラ男の一年が前髪の長くて、眼鏡をかけた同じ一年生女子にうざく絡んでいた。顔はよく見えないが女子の方は今どき珍しいくらいに地味な印象と服装だった。ジーンズにシャツとカーディガン。全部ノーブランドの量産品だ。髪も肩くらいの位置の背中の後ろで縛っているだけ。だけど一つだけ目立つ部分があった。胸がすごく大きい。シャツをぱんぱんに押し上げている。なのに足や手は細く尻のラインを見ても形が良くて太っているような感じじゃない。シャツとカーディガンでわかりずらいけどクビレもきっちりありそう。スタイルは驚くほどいい。
「てか{楪)(ゆずりは)ちゃん、おっきくない?モテるっしょ!」
 え?それ口にする?ヤバいやつだなぁ…。ドストレート過ぎるセクハラだ。だけど楪と呼ばれた女子の方は俯いて。
「…別に…モテ…な…い…です…」
 ぼそぼそとか細い声でそう言っている。嫌とは言っていない。だけど彼女は体育座りのように足を胸元に引き寄せた。無意識に胸を隠そうとしている。
「そんなことないっしょ!現に俺、楪ちゃんのことすきになりそうだし!」
 男は酒を飲みながらそう言っている。だけど俯く女子の口元は嫌そうに歪んでいた。だけどこれ間違いなく良くない流れだ。あの子多分このまま何もできないまま流されるかもしれない。毎年どこの大学でも不本意に断れないまま男に喰われる女はいるのだ。それは女にとってきっと将来の傷になるだろう。だから俺はその二人のところに向かったのだった。

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# 第10話 だから浪人生に敬語使うなって言ったよね?
 雰囲気チャラ男はその手を地味女子の肩に回そうとしていた。地味女子はそれを察したのだろう。身を少し縮こませた。だけど言葉で拒絶はしようとしていなかった。いいや。できないのだ。男子の陰キャはボッチになる。女子の陰キャは誰かの食い物になる。どちらも言葉を持ちえないから。怖いから言葉を出せない。例え自分の事を食い物にしようとする人間相手でも嫌われるのが怖いから嫌とはいない。地味女子は一周目の俺の姿によく似てる。だから俺は雰囲気チャラ男の手が地味女子に触れる前に掴んで止めた。
「…えっ…あれ?」
 地味女子が顔を上げて俺の方を見た。前髪から覗く瞳は意外にもかわいく見えた、そして驚いているようだった。 
「おい?!お前何掴んでんだよ!」
 雰囲気チャラ男が俺に向かってオラついてくる。鬱陶しい。この手の輩には序列というものわからせてやらないといけない。
「あっ?てめぇなに俺に向かってため口聞いてんだ?俺はお前よりも年上だぞ。敬意を払えよ」
 
 ちょっとハッタリをかます。上手く勘違いさせるために。
「えっ!?あっ先輩だったんですか…いや、その…」
 雰囲気チャラ男は急にしゅんとなる。うまくいった。俺の事を上級生だと勘違いしてくれた。この手の奴は目に見える序列に弱い。そしてこいつは幼げな雰囲気があるから現役せいだろう。まだ大学に慣れてなくて、高校時代の常識を引きずってる。年上なら上級生。だけど大学には年上の同級生なんて普通にいるのだ。まだまだ甘い。
「お前、俺らの面子潰す気?うちのサークルじゃセクハラはご法度なんだよ。いくら酔ってても一発アウト。イベサーとかヤリサーじゃねぇのよ。甘やかさねぇよ。ん?」
「え…いや…その嫌がってない感じだったから。つい」
「ついじゃねぇよボケ。俺が止めてなかったらお前は大学から指導喰らってたぞ。下手すりゃ退学かもな?」
「え、いやいや!そんなこと!」
「いやいやじゃねえんだよ。まあ俺がギリで止めてやったからセーフだけどな」
 相手を脅すときのコツは、恩を押し売りすることである。一周目の社会人時代に反社の連中が仕事に関わってきたことがあってその時学んだ。建築業界の闇は深い。
「あ、ありがとうございます」
「そうそう。ちゃんと感謝できるのはいいことだぞ。ほら。その子の前から消えろ。他のシマに行け。言っとくけどいまのやらかしはよそで喋んなよ。俺に恥かかすな。いいな?」
 最後に思い切り睨みつける。雰囲気チャラ男はこくこくと頷いて、地味子から離れていった。お座敷は広い。遠く離れた友達らしきグループのところに入ってこっちから目を離した。上手くビビらせられた。
「あ、あの、あ、ありがとうございます。せ、せんぱい様…」
 先輩様って…この子緊張しすぎかあるいは怖がり過ぎてるようだな。俺は地味女子の隣に座る。まだあの雰囲気チャラ男がこっちの事を伺っているから護衛はしておきたい。
「先輩様は変だって。それにさっきのははったりだよ。俺も君と同じ一年生だよ。浪人のね!くくく」
 地味女子はポカーンとした顔になって、少しして微笑を浮かべた。
「そうだったんですね。ありがとうございます」
「敬語もいいよ。浪人も現役も同じ学年ならため口が普通だよ」
 現役生あるあるだけど浪人生に暫く敬語使っちゃう問題。逆に浪人生は一学年上の同い年にため口きいて顰蹙買いがち問題。日本語難しい。
「…あの、わたし、その、敬語しか使えなくて…訛りが、その強すぎて…ですますじゃないと上手く話せないんです」
「あっそうなんだ。へぇ何処出身なの?ちなみに俺は北海道」
「薩摩です」
「ああ…なるほど…」
 てか薩摩って…古い言い方だなって。だけどあそこの訛りは関東圏の標準語からだと聞き取りづらいしな。わからんでもない。
「まだあいつが見てるし、少しお喋りしよう」
 地味女子がはっとして顔を雰囲気チャラ男の方に向けた。口元を引き結んで、コクリと俺に向かって頷いた。
「君の名前教えてくれ。俺は工学部建築学科の常盤奏久。カナタとかカナデとかって呼んでくれてもいいよ」
「…カナタさんって呼びます。わたしは{紅葉}(こうよう){楪}(ゆずりは)っていいます。理学部の数学科です」
「え?まじ?!すごいね!数学科?!」
 うちの数学科はやばい。何がヤバいって何もかもがヤバい。数学の点数だけなら医学部よりも高い連中が集まっている。頭が良すぎて意味がわかんないレベルの連中が集まっているところだ。うちの大学における天才の巣窟の一つだ。ちなみにもっとも女子率が低いと言われている場所の一つでもある。というか皇都大学自体がほぼ男子校みたいな感じで男女比が圧倒的に男よりなのだ。
「やっぱり変ですよね…わたしなんかが数学なんて…」
「いやそんなことないって!数学科は鬼才天才の集まりだから、むしろすごいって尊敬してる!」
「でも学科に女はわたししかいないんです。同じ学校からうちの大学に来た女子はみんな文学部とか社会学部とかで…わたし地歴が苦手だから文系行けなくて…数学だけしかむしろ取りえが無くて」
 普通理系に行けないから文系に行くものじゃないだろうか?謙遜の仕方が何かちぐはぐに思える。
「俺はすごいと思うよ!うん!数学出来る女の子すごくかっこいいよ!うん!」
 だけど俺の褒め言葉は地味女子には響かなかったようだ。膝を抱きかかえて、額を膝の上に乗せる。
「でも学校の皆も数学出来過ぎて男みたいで可愛くないブスって。女性ホルモンが胸にしかないって…数学しかできないから化粧も下手糞だって…わたしは…」
 なんかすごく勝手にネガティブに凹んでいってる。この子アカンな。こういうネガティブ思考の持ち主はマジでヤリチンから見るとクソチョロく見えるはずだ。あいつが雰囲気チャラ男だからセーフだったけど、慣れてる奴なら今頃ラブホだ。話題変えよう。
「そ、そうなんだ…。紅葉さんはここに来たってことは、教育とかに興味あるんだよね?将来は教師を目指してるとか?」
「全然興味ないです。わたし、出身校の子たちに誘われたんです。飲み会に行こうって。女子校だったから男の子と出会いなくて、みんな大学生だからカレシ作りたいって言ってて、でもわたしそういうのよくわからないし、でも断れなくて…」
 うわぁ…話聞いた感じ、この子女友達もいねぇ。陰キャオブ陰キャ。頭数の1人として連れてこられた感じっぽい。あるいは男子の為の撒き餌扱いだろう。
「今日も上手くお話に混ざれなくて、1人で隅っこにいたらさっきの人に絡まれて、怖くて、でも断ったらもっと怖そうで…大学怖いです。薩摩に帰りたいです…」
 ずーんと沈む紅葉さん。なんかガチで憐れだ。綾城辺りを宛がってやろうかと思った。だけど離れた席にいる綾城は先輩たち相手にすごく熱弁を振るっている。邪魔したら可哀そうだ。自信つけさせてやりたいなぁ。
「紅葉さん。ちょっと前髪上げてみてよ」
「…え?い…はい…」
 嫌って言いかけたけど、結局俺相手にも断れなかった。本当は強制したくないし、意志を尊重したいけど、世の中にはショック療法という言葉もある。
「ちょっと失礼」
 俺はジャケットのポケットから携帯用の髪用ワックスを取りだす、少し手に取って馴染ませて、彼女の前髪をそれで整えてやる。
「さあ、見てごらん」
 俺は彼女の顔の前に手鏡を翳す。前髪の下の瞳が露わになっているのが鏡に映っていた。とても綺麗な顔がそこにはあったのだ。

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第11話 陽キャによるお持ち帰りは断固として認めない
 俺は鏡に映る紅葉さんの瞳を指でなぞる。
「俺は君の事を綺麗で可愛い女の子だと思うよ。ほら。こんなに綺麗な目をしてる」
 これは偽りない言葉だった。彼女はすっぴんなのにすごく美人だった。彼女の話を聞いている時にふっと思ったのだ。たぶん数学ができるからいじめられているのではなく、この子の才能か、あるいは美貌を妬んでいるのではないだろうかと思ったのだ。この子は性格が暗く弱い。ブスだと刷り込みをかけるのは男子のいない女子校なら多分出来なくないだろう。ブスだブスだと毎日暴言を浴びせれば人は自分の顔に自信を持てなくなっても仕方がない。ましてや高校のような閉鎖空間ならそうもなる。
「…うそですよ…綺麗じゃない…」
 彼女にかけられた呪いはきっと深い。寄ってたかって汚い言葉で自信を奪われてしまった。
「綺麗な女は誰だって好きだ。俺も好きだ。君は綺麗だよ。だから綺麗なキミを手に入れたがった。さっきの奴もそう。そして俺がキミに嘘をつくとしたら、綺麗な君を手に入れようとするときだけだよ。さて今の言葉嘘かな?本当かな?」
 クレタ人は嘘つき。とクレタ人が言った時、その言葉は嘘か本当か?という論理学のお話がある。それっぽい屁理屈を作って、俺はこの子に問いかけてみる。数学科のこの子にはうってつけの言葉だと思う。
「…あれ?男の人が欲しい女は綺麗な人。でも手に入れるために嘘をつくってカナタさんは言いました。綺麗なわたしは嘘で、でも手に入れたいってことは本当だからわたしは綺麗で?あれ?あれ?」
 そしてしばらく彼女は鏡を見詰めながら思考の海に浸かっていた。そして微笑しはじめる。
「もうおかしいなぁ。論理がめちゃくちゃですよ。あはは。でもおかしいんです。あなたが嘘つきでもいいって思いました。それを信じてみたいって思いました。カナタさん。わたしは綺麗で可愛い女ですか?」
「うん。君は綺麗でとても可愛い」
「…ありがとうカナタさん。ありがとうございます」
 
 彼女の笑顔はとても美しいものだった。
 その後はぽつぽつと普通のお喋りが出来た。彼女は本当は数学が好きらしい。将来は研究者になりたいと語った。それから意外なのかそうでもないのか、アニメや漫画やラノベが好きらしい。どちらかというと男性向け作品のほうが好きで、それも悩みの一つだったそうだ。そしてさらに創作もやっていた。
「小説サイトに恋愛系をアップしてるんですよ。カナタさん。今日合ったことをネタにしてもいいですか?」
「うん?まあ個人を特定できない範囲ならかまわないよ」
「はい。大丈夫です。名前はタナカさんとかにします」
 彼女は可愛らしくどこか小悪魔みたいに笑ってそう言った。
「それひっくり返しただけじゃね?まあいいか」
「出来たらPVに貢献してくださいね。ふふふ」
 なかなか普通に楽しいお喋りが出来たと思う。だけど結構長く喋っていたので、トイレに行きたくなってしまった。飲み会は尿意との戦いだと個人的には思ってる。
「ごめんちょっとトイレ行ってくるね」
「あっ…戻ってきてくれますよね?」
 紅葉さんはどこか不安げに俺に見詰めていた。
「大丈夫だよ。すぐ戻ってくるよ」
 そしてトイレに行って帰ってくると。彼女はいなくなっていたのだった。彼女もトイレかと思った。だけど途中すれ違ったりしなかったし、女子トイレの前に出来がちな行列にも彼女は並んでいなかった。トイレには行ってない。ひどく嫌な予感がして、宴会場を見回す。雰囲気チャラ男がいなくなっていた。すぐにお座敷から出て靴を履き、店員に声をかける。
「なあチャラそうな男と、胸のデカい眼鏡の女の子が外に出てませんか?!」
「ええ、はい。ついさきほど出ていかれましたよ」
 紅葉は強引に迫られた時に断る力が弱い。だから俺が目を離したすきに、チャラ男の野郎は外に連れ出したのだろう。
「くそ!!あの野郎!!わからせが足りなかったか!!」
 俺はすぐに店を飛び出す。そしてスマホで近くのラブホを検索する。下北駅周辺にはいくつかラブホがあった。このいずれかに紅葉は連れていかれたはずだ。
「くそ、どれだ、どれだ!何処に行く?!考えろ!考えるんだ!」
 あの雰囲気チャラ男は間違いなく大学デビュー系だ。女を口説くのに洗練がない。おそらく、いや、確実に童貞。自分が童貞だったころを思い出す。嫁を初めて抱いたのはラブホだった。当時の嫁は男に告白されれば、キモいやつでもない限りは基本オーケーな受け身な女だった。同時に気分屋的な思考が強くて、いつフラれるのかよくわからなくて怖かった。だから当時の俺はかなり焦っていた。すぐにでも関係を結びたくて嫁の気分が変わらないうちにラブホに行く方法を考えて実行した。
「まず飲んでいる店から近いところを選ぶ。外装はぱっと見ラブホに見えないようなところを選び下心を隠す。そして同時に可能な限り、内装が凝った可愛らしい部屋を選ぶ。…条件に当てはまるのは…!一つだけ!!」
 ここから歩いて五分ほど、劇場近くのラブホが条件に当てはまった。俺はそこへ向かって走る。そして今にもラブホに入りそうな二人の姿を捉えた。俯く紅葉さんの顔は悲し気に歪んでいた。
「てめぇ!今すぐにそこで止まれおらぁ!!」
 2人は俺の存在に気がついた。雰囲気チャラ男は怒り狂って睨む。
「あ?!お前はさっきのくそ野郎か!この嘘つき野郎!上級生のふりして楪ちゃんを俺から奪いやがったな!卑怯もんめ!!」
 どうやらはったりがバレてしまったらしい。まああの会場にいればいずれはバレていたことだ。
「騙されるテメェが悪いんだよ!つーか!何の同意もないのにラブホに連れ込もうとしてんじゃねぇよ!!」
「はあ?!楪ちゃんは嫌って言ってないし!俺はここに行くってちゃんと言ったぞ!な、楪ちゃんそうだろ?」
 チャラ男は楪に同意を求める。楪は顔を引きつらせて動けずにいる。
「お前の戯言なんて誰も聞いてねぇんだよ!紅葉!言え!ちゃんと言え!じゃなきゃお前はいつまでもこのままだぞ!!誰かに流されて押さえつけられて自分を見失うままだぞ!いいのか!?それでいいのか!?」
 紅葉さんは顔を上げた。今にも泣きそうな顔で俺を見て体を震わせる。
「…で、でも…わたし…わたしなんか…」 
 自信がないのはわかってるだけどここで勇気を振り絞らないと前には進めない。
「楪!俺は本当のお前と話して楽しかった!だから聞かせてくれ!どう思ってる!何がしたい!何がしたくない!言え!!聞かせてくれ!!!」
 俺は楪に向かってそう叫ぶ。届いて欲しい。届いてくれ。そう祈って。そして。
「…わ…たし…わたしは!いや!いやです!あなたはいや!いやなの!!!」
 楪はチャラ男の手を解いて俺の腕に掴まってきた。
「いやです!いやです!いやいやいやいや!あなたなんていや!わたしに触らないで!!大嫌い!!」
 楪はチャラ男に向かってそう叫んだ。やっとだやっと声を上げてくれた。
「なっここまで来たくせに!お前は!!」
 チャラ男は楪に手を伸ばす。だけどそうはさせない。女の子が勇気を出したのだ。ならばその勇気を守るのが男の仕事だ!
「ふん!せいや!!」
 俺は男の腕を掴みそのまま捻って関節技を決める。
「いだだだだ!!」
「このまま力入れてへし折ってもいいぞ!」
「放せ!放してくれ!痛い痛い!!」
「誓え!楪には二度と近づくな!!」
「誓う誓う!絶対に近づかない!!」
「他の女にも同じことは絶対にやるな!!次はこんなもんじゃ済まさない!」
「わかった!わかったから!やめるから!もうこんなことやめる!おれには向いてなかった!頼むやめて!いたい!いたいんだ!」
 どうやら本気で言っているようだ。俺は関節技を解いてやった。そしてチャラ男の胸をどついて。
「今すぐに消えろ!!おれたちの前に二度と姿を見せるな!!」
「ひぃ!」
 チャラ男は一目散に走って逃げて行った。何とかなった。俺はふぅと息を吐いた。
「ふぅ。なんとかなったぁ」
「ごめんさない!ありがとうありがとうカナタさん!ありがとう!うぇうぇええええええええええええええええ!!」
 楪は俺の胸に抱き着いてワンワンと泣き出してしまった。まいったなぁ。女のあやし方なんて俺にはわからない。取り合えず彼女の頭を撫でながら、俺は彼女を連れてラブホの前から離れたのだった。

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第12話 頼りになる女友達
 商店街に置いてあったベンチに俺と楪は座り、彼女が泣き止むのを待つ。その間に俺は綾城に電話をかけた。
『なにかしら?というかいまどこにいるの?新歓もうすぐ終わるわよ。あんたあたしをエスコートするって約束したわよね?』
 電話に出た綾城は、どことなく不機嫌そうに聞こえた。結果的には新歓に最後まで付き合いきれなかったのは申し訳なく思う。
「ちょっと一言じゃ説明しずらいんだ。新歓終わったらちょっと商店街の端に来てくれないか?助けて欲しいんだよ」
「助け?あなたがあたしに?」
「うん。綾城、お前しか頼れない。助けてくれ」
 楪はすんすんと泣いている。だけど結果的にこの子を泣かしたのは男の仕業なのだ。出来れば女性に傍にいて欲しかった。
「あらあら!そうなのそうなのね!いいわ。新歓が終わったら行く。ちょっとの間待ってなさい。このあたしを」
 なんか声の調子が一瞬にしてご機嫌になった。迷惑だと思ったんだけどそうでもないのかな?有難い話だ。そして暫くして綾城がやってきた。
「あらあらあら!!呼ばれてきてみればなんとかわいいかわいい女の子が泣いてるじゃないの!これはどういうことかしら!」
 なんか綾城さん好奇心に満ちた瞳で俺と楪を見てる。綾城の手が楪の頬を撫でる。
「綺麗な子ね。ほらほらもう泣き止みなさい。あなたには涙は似合わないわ。笑ってちょうだいな」
 楪はくすぐったそうに眼を瞑り、そしてすぐに泣き止んだ。まだ俺の胸にぎゅっと抱きついているがかなり落ち着いて顔色が良くなった。綾城すげぇ。
「で?どういう状況なのかしら?つまびらかに!」
 俺はかくかくしかじかとちゃんと丁寧に一から説明した。だけどそこは綾城さんだ。この女は好きあらば。
「なるほど。つまりあなたはお持ち帰りに成功したからあたしに自慢したいと。そしてあわよくばあたしも誘って3Pワンチャンを狙ってるということね。ごめんなさい。あたしはじめては素敵なカレピの部屋で2人っきりの世界で熱々にって決めてるの。それに自分よりおっぱいの大きい女の子との3pはちょっと遠慮したいわね」
「はは!ツッコミどころが多すぎんだよ!!」
「突っ込むのは下の…」
「それは言わせねぇからな!!えぐすぎんだろうが!!」
 綾城さんニチャニチャ笑ってる。酒も入ってるだろうし、楽しくて仕方がないんだろうなぁ。
「あのカナタさん。わたしも大切な初めては…2人っきりがいいです!!」
 泣き止んだ楪の第一声がまさかの下ネタだった。綾城菌がうつりやがった。
「この女の下ネタに乗っかるな!」
「でも二回目以降なら!綾城さんみたいな優しい女の子なら3人でも構いません!この大きいだけが取りえの胸にも乳首は二つあります!!どうぞお二人で吸ってください!!!」
「おい綾城!!田舎から出てきた子がお前のせいで都会の闇に染まっちまったじゃないか!!どうしてくれんだ!」
 綾城はドヤ顔をキメている。うぜぇ。だけど泣き止ませて元気にさせたのはこいつの功績だ。
「うふふ。あたしを放っておいた罰よ。でもよかったわ。あんたは困ってる女の子を見捨てるようなクズじゃなかった。あたしの目は間違ってなかったし、今日あんたを連れてきて本当に良かったわ。あたし超ファインプレー!」
「まあ、そうだな。お前がいなきゃ大変なことになってたよ」
「そうよ。だから楪!あんたはあたしに死ぬまで感謝なさい!数学科なら物事の因果関係とロジックはよくわかっているでしょう!この男を今日連れてきたのはあたし!つまりあんたを助けたのはあたしであると言っても過言ではないの!」
 なんだろう?屁理屈っぽいけど嘘じゃないのがなんか腹立つ。だが楪はまるで雷に打たれたような顔をして綾城の手を握る。
「なんて完璧なロジック!!ありがとう綾城さん!!本当にありがとうございます!!」
 そして楪は綾城に抱き着く。綾城はよしよしと楪の頭を撫でた。
「あーおっぱいやわらかいわ。これが巨乳ヒロインを助けてラッキースケベされた時のラノベ主人公の気持ちなのね。いいわ!すごくいい!」
 マジで楽しそうだなこの女。でもおかげで楪はなんか元気になった。こういう励まし方はやっぱり同性の方がいいのだろう。とても助けられてしまった。
 そしてしばらくして2人の体は離れ、綾城もベンチに座る。俺、楪、綾城の順番。なお楪は俺と綾城とそれぞれ手を組んでいる。まだ少し不安と恐怖は残っているような感じだ。さてどうしたもんか。送ってやろうかなと思った。
「楪は何処に住んでるの?家まで送るよ」
「え、そんな!悪いですよ!わたし三鷹にある大学の寮に住んでるんです!あそこ、駅から結構遠いんです。恐れ多いです!」
 三鷹の寮については聞いたことがある。陸の孤島とかって言われてるとかなんとか。だけど寮費は激安らしい。
「いやだわこの男!送り狼にジョブチェンジしようとしてるぅ!でも災難よね。楪のせっかくの人生最初の飲み会がおじゃんでしょ?かわいそう」
 確かにそうだなって思った。あんなのが人生最初の飲み会って哀れすぎる。
「そうですね。でもこうしてお二人と出会えました!それだけで十分です!」
 楪はそう言って微笑んでくれた。だけどやっぱり可哀そうだ。飲み会は楽しいんだ。苦手意識を持ってほしくはない。社会に出た後も飲み会ってけっこう重要だしね。そこで俺は閃いた。
「綾城、楪。二人は門限ある?」
「あたしはないわ。父に連絡を入れればそれでオッケー」
「うちの寮には門限はないですよ」
 条件はオッケーだった。綾城はもう俺の考えていることを察したらしく。なにか期待するような目を向けている。楪は首を傾げている。なんかハムスターみたいで可愛い。
「明日は日曜日!朝まで遊ぼう!!二次会じゃ!!パーッと騒いで嫌なことは忘れるんだ!!」
「あら!いいわね!いくいく!」
 綾城さんノリがいい。そういう女の子だいしゅき!
「二次会…この三人ですよね?」
「そうだよ。いこうよ!」
 俺は楪に手を伸ばす。楪はその手を見て、満面の笑みを浮かべて手を握ってくれた。
「はい!行きます!」
 そして俺は楪の手を引っ張り小走りに商店街を行く。綾城も楽し気についてくる。三人だけの二次会に俺たちは旅立ったのだ。
 やってきたのはビリヤード屋さん。ダーツ付き。
「ここは俺の贔屓の店だ!」
 一周目の世界。陰キャなりにも友達がそれなりにいた俺も遊びに行くことはあった。それがこの店である。
「へぇ。なかなかいい店ね。ソファーにテーブルつきだなんて洒落てるわね」
 この店のいいところはビリヤード台に一つソファーがついてくることだ。待機中もソファーでぐだれて楽しい。
「わぁビリヤード…!?大人すぎますぅ!」
 楪はビリヤード台そのものになんか興奮してる。お目目をキラキラに輝かせて台とボールを見詰めていた。いいなぁこういう初心い反応。俺も楽しくなってくる。
「2人とも何飲む?注文するよ」
「二次会だし、好きなモノ飲んでもいいわよね?あの飲み会の取り合えず生って文化には滅んでいただきたいわね。とりあえず赤ワイン。フルーツ盛り合わせ」
「あ、わかります!好きなモノ飲ませてほしいのに、ビールじゃないといけない感じがなんかいやでした!ピッチャーのビールって気が抜けてて美味しくなかったです!とりあえず芋焼酎ストレートで氷はいりません。あといぶりがっこのクリームチーズのせ」
 綾城はイメージ通りなんだけど、楪の注文がなんかすごく渋い。
「俺はあえて取り合えず生、ではなくて瓶ビールにしておこう。おつまみはナッツだな」
 個人的に外国の500mlペットボトルくらいのサイズの瓶ビールが好きだ。俺はカウンターに注文をしに行く。そしてすぐにドリンクとおつまみが出てきた。そのトレーをソファーに座る二人のところに持っていき。
「えー。おほん。二次会乾杯!」
「「かんぱーい!」」
 たった三人での乾杯だが、人生で一番楽しい乾杯だったはずだ。それは俺だけでなく二人もだったと俺は信じる。

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第13話 三人の二次会はかけがえのない思い出の一つに
 酒がはいってる状態でのビリヤードはカオスになりがちだけど、この二人はすでに綾城菌に汚染されてるので輪をかけてひどかった。
「いい!?楪!変化球を打つときはこうやって台の端に座ってセクシーに足を組んでやるのよ!!ほらみなさい!あそこの送り狼モドキがこっちを見てるわ!見せつけてやりなさい!!」
 なんかやたらとセクシーにボールを突きたがる綾城さん。俺は決して足の方を見ちゃいない。パンツがギリ見えなくて悔しがったりなんてしてない。
「でもでも!こうやってボタンを開けて、こうやって谷間って見るのがいいんじゃないですか!それが王道ですよ!!綾城さん!!」
 俺は哲学を始めた。果たしてキューでボールを突くとき、おっぱいが台に触れていたらそれはセーフなのかアウトなのか。言えることは、大きなおっぱいを包むブラはシンプルな形になりがちで数学的に美しそうな曲線を描いていたことだ。おっぱい。
「それも悪くないわね。ところであんた何カップ?あたしFなんだけど」
「それは…ごにょごにょ」
「ええ?!エッチなHカップ!?」
「うわーん!ばらすのやめてくださいぃ!恥ずかしいですぅ!」
 胸の谷間を見せつけてキューを振るってたのに、カップサイズを知られるのは恥ずかしいのか?それが数学科のあるあるネタ?女子二人は避け特有のハイテンションに包まれていたが仲良くきゃきゃとビリヤードを楽しんでいた。
 俺は瓶ビールをラッパ飲みしていた。それを酒で赤くなった顔の楪はジーっと見ていた。
「どうしたん?」
「いえ。なんかカナタ君が瓶ビールをラッパ飲みしてると、海外映画みたいだなって。カッコいいと思います!」
「ありがとう。似合ってるなら良かったよ」
「ええ!なんかすごくマフィアっぽい感じします!ウォール街で悪さして、ビルの屋上のナイトプールで金髪美女を侍らせてる感じです!!イケてます!!新歓で初めて見た時からそう思ってました!!」
「おお、おう。褒め言葉として受け取っとくよ」
 それは褒めてるんだろうか?あれ?もしかして俺ってあの時、楪的にはあのチャラ男よりも怖いやつに見えてたりしたのかな?
「あんたそういえば、SNSじゃハリウッド顔とか言われてたわね。ウケる!ほらほら見て楪!これ入学式の写真!」
 綾城がスマホに入ってる写真を楪に見せつける。俺と綾城が入学式で撮った写真だ。
「うわ!スーツです!メッチャマフィア!!いいですね!はぁ2人がいたんなら入学式いけばよかったですね」
「え?でなかったの?」
「はい。近くまで行ったんですけど…自分なんかが出たら迷惑かなって…」
 楪は昏い笑顔のまま焼酎を一気に飲んで溜息を吐いた。ていうかまじでネガティブな行動とってんなぁ。陰キャはこうやって思い出を得るチャンスを捨てていくから可哀そうだ。
「そんなことないのにね。でも思い出は今からでも作れるわ。ほら二人ともそこに並びなさい」
 綾城はスマホを俺たちに向けて指示を飛ばしてきた。言われた通り並んで立つ。
「かたいわ!硬いわよ2人とも硬いのはおち…」
「それは言わせないぞ!」
「常盤!あなたは楪の腰に手を回しなさい!俺の女!!って感じで!楪は後ろ頭を常盤の胸に預けて手を彼の首に回しなさい!気分はネットの女神の如く!!」
 ネットの女神って何?だが楪は綾城に言われた通りのポーズを取った。俺の首に触れる彼女の手に少し背筋が震えるような興奮を覚えた。
「いいわよ!そのメス顔!!はーいチーズ!!うぇーいwwwww」
 綾城は連続でシャッターを切りまくった。そして撮った写真を俺たちにみせつけてくる。
「きゃ!なにこれ!わたしマフィアの愛人さんみたい!」
「おい。俺は反社じゃないぞ」
 キャーキャー言ってる楪には悪いけど、反社と一緒にされるのはちょっと困る。
「あきらめなさい。あんたはどうあがいてもハリウッド反社顔で一緒に映る女が愛人やセフレのように見せてしまう。悪い顔をしているのよ」
「俺の顔はそんなに猥褻なのかよ?!」
「楪!その写真を送るから、同じ学科の男共に絡まれたら、その写真を見せつけて、この男のセカンドになったって言うのよ!そうすればウザく絡まれることはなくなるからね!」
 セカンド。古の言葉で愛人を指す言葉らしい。今どきセカンドって言い方する?俺昔の映画の中でしか聞いたこと事ないよ?
「わぁ嬉しいです!セカンドっていい響きですね!ださカッコイイ感じが素敵!やくざ映画みたい!ずっと学科の人たちに付き纏われててウザかったんですよ!使わせてもらいますね!」
「やめてぇ!俺のイメージが!爽やかな好青年のイメージがががが!!」
「ひゃははは!メッチャウケるぅ!あはは!常盤のインテリチンピラ!うふふ!あははは!!」
 俺たちは騒いで笑い合ってふざけあって。そして朝を迎えた。 
「朝陽が眩しいぃ…!」
「日の光が!わたしを焦がしますぅ!浄化されちゃいます!」
「あー酔い覚ましの水がちょうおいしいわ。効くぅ」
 始発の前の駅で俺たちは朝日を浴びていた。俺は二人が電車にちゃんと乗るまで見届けることにしたのだ。そして駅のシャッターが開いた。二次会はここでお終い。とても寂しい。だけど寂しいのはそれだけ楽しかったという証拠なんだ。だからそれでいいのだ。
「じゃあ一丁締めするよ!せーの!」
「「「はい!」」」
 俺たちは一緒のタイミングで手を叩いた。そして小さく拍手をする。
「ありがとうございましたお二人とも。今日は本当に楽しかったです。きっと人生で一番楽しい一日でした」
  
 楪は俺たちに頭を下げる。
「いえいえ。それにこの先もまた一緒に遊んで人生で一番楽しい日を更新し続けましょう」
「綾城さん!ありがとう!大好きです!」
 2人は抱き合う。良いね。こういうの。ちゃんと友情が生まれている。もう大丈夫だ。楪はもう顔をちゃんと上げていけるのだ。
「カナタさんも本当にありがとうございます!」
「いえいえどういたしまして。楽しんでくれたなら良かった」
「はい。あなたのおかげでこの先の大学生活きっと楽しんでいけると思います。本当にありがとうございました!」
 楪は俺の首にぎゅっと抱き着き、そしてすぐにはなれた。
「やっぱりやらかい?興奮した?どうなのかしら?」
「はは!綾城!感動を下ネタで汚すな!」
 でも正直おっぱいが凄い大きくて…柔らかくて…その…ドキドキしました…!おっぱい!嫁はGカップだったからそれよりも大きいとかチート過ぎると思う。半端ないよまじで。
「ふふふ。じゃあわたしたちはもう行きますね」
「じゃあね常盤。また学校で会いましょう!」
 二人は駅の中に入って姿が見えなくなった。俺はそれを見届けてご機嫌な気分で家に帰ったのだった。

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第14話 大学デビューした女子はたいてい可愛い
月曜日の朝、行きの同じ電車の中で楪と再会した。彼女の髪型は少しだけど変わっていた。前髪は綺麗に整えられて、もっさりしていた後ろ髪も綺麗に整えられていた。そして眼鏡もレンズが薄くオシャレなフレームに変わっていた。服装も可愛らしいワンピースと華やかなデザインのカーディガンを合わせていた。全体的に可愛らしく綺麗だ。もっさい感じは一切ない。
「楪、髪切ったの?」
 以前と違って華やかな印象を覚えるキラキラ女子になっていた。
「あ、わかります?実は昨日綾城さんと原宿に行ったんですよ!美容室を紹介してくれて、合いそうな服を古着屋さんで見繕ってくれて。本当綾城さんは優しくて素敵な人です!」
 マジで面倒見がいい。地雷系の見た目に反して、次々とギャップ萌えを重ねていく女。恐ろしい子!
「それはよかったね!うん。確かに本当に華やかになった。うんうん。だけど気をつけてね。…学科の奴ら間違いなく血眼になるからな」
 学科におけるこの子って男子たち全員が「この子は俺だけが美人だって知っている地味子系ヒロインだ!!」って思ってるはずだ。でもそんなラノベみたいな展開はないんですよ。実際土曜日はチャラ男にあわや喰われそうになったわけで。現実はつくづく理不尽である。
「大丈夫です。この綾城さんから貰ったこの写真さえあれば!!」
 俺に向かって例のビリヤード場で撮った写真を見せつけてくる。素面の状態で可能な限り客観的に見ると、いかつい男が女を侍らせているようにしか見えない写真だった。
「セカンドって言うのだけはやめてください!お願いです!お友達っていっておいてください!お願いですから!!」
「えー?どうしましょうかねぇ?悩んじゃいますねぇ?うふふ」
 悪戯っ子のような明るい笑みを浮かべる楪にはもうネガティブな感じはない。それはそれは素敵な笑顔だったのだ。そして駒場皇大前駅に着いて改札を潜り駅の外に出た。駒場キャンパスは駅のほんのすぐ目の前にあるのだが、遭遇したくない奴らナンバー1,2が駅前の宝くじ売り場にいたのに気がついてしまった。
「あーまた外れちゃった!」
 嫁がスクラッチのくじを買って、外れを引いていた。彼女はくじを買うのが趣味だった。まあ俺と付き合ってしばらくしてから、買うのをなぜだかさっぱりとやめてしまったが。
「あはは!{理織世}(りりせ)は本当にくじ運悪いよね。見てよ!僕、二千円当たったよ!」
「えーずるい!もう!{宙翔}(ひろと)はいつもくじを当ててくよね!もしかして私の運を吸ってたりするの?!」
「そんなことないって。だから今日はこのお金であの高い方の学食に行こうよ!御馳走する」
「わーい!あそこ行きたかったんだよね。楽しみぃ…あれ?常盤君?やっほー」
 よこをこっそりと通過してキャンパスへ歩いていた俺は嫁に気づかれてしまった。嫁は朗らかに挨拶してくるが、間男系幼馴染の葉桐は不機嫌そうに眉を歪めるだけだった。俺は取り合えず会釈だけして、そのまま楪と共にキャンパスに歩いていく。
「あっちょっと待ってよ!」
 キャンパスの中に入ってすぐに嫁は俺の横に追いついてきた。だから反射的に足を止めてしまった。ああ、結婚生活という名のATMである俺は嫁の命令に逆らえないのだろうか?染みついた習慣が憎い。なお嫁の後ろに葉桐もセットでついてくるので憎しみは二倍どころか二乗くらい高まった。
「なに?」
 嫁は今日も華やかな格好をしている。明るい色のニットシャツにフレアスカートの女子アナ風清楚ビッチコーデだった。ニットシャツに浮き出る形のいい巨乳は破壊力抜群である。童貞なんかもうイチコロどころか即死である。
「いや、なにじゃなくて!普通に挨拶してよ!なんか素通りされると悲しいじゃない!」
 プンプンと嫁は怒っている。これはまだ致命的には怒っていないときの顔だ。具体的にはゴミ出しを俺が忘れた時の顔。この後がうぜぇんだ。チクチクと詰ってくる。ていうかこの間、俺は全力でこいつを拒絶したのにまた話しかけてきやがった。相変わらず鳥並みの記憶力だな。なんでうちの大学に入れたのか謎過ぎる。
「ねぇねぇ常盤君はシャイなの?でもそのわりには綺麗な女の子といつも一緒なんだよね」
 
 嫁は俺の隣にいた楪のことを興味あり気に見ている。
「すごく可愛い子だね!私は五十嵐理織世っていいます!常盤君と同じ建築学科です!あなたは何処の学科?」
 すごく馴れ馴れしく満面の笑みで楪に自己紹介する嫁。いつも他人の懐にずかずかと踏み込んでいく。楪はちょっとびくっとして俺の後ろに隠れてしまう。俺のジャケットの裾をぎゅっと握ってる。陰の者は陽の者の光を恐れてしまうのだ。だってなんか怖いもの。だけど楪はなんと勇気を出して声を出した。
「理学部数学科の紅葉楪です…」
 凄い進歩だ!自己紹介してる!!その頑張りにぎゅっと抱きしめてやりたい!
「数学科なんだぁ。すごいね!頭いいんだ!私は数学超嫌いだったから尊敬しちゃうな!極限とか意味わかんないよね!あはは!」
 だけどここまでが限界だった。楪はお目目をグルグルとさせている。きっとどう受け答えしていいかわからないのだろう。だからだろう何故か楪はスマホを取りだして。
「私!セカンドです!!」
 例の写真を嫁に見せつけた。嫁は写真を見て、目を丸くして首を傾げている。そして葉桐は驚いているようだった。
「セカンド…?野球?この子がセカンドなら、一緒に映っている常盤君はファースト?ピッチャー?キャッチャー?」
 嫁はセカンドの意味がわかってないようだった。今どきの人は知らなくてもおかしくないと思う。
「セカンドの意味はあとで検索でもしてくれ…。それは土曜日に思い出に取った写真だよ。ビリヤードで遊んでたんだ。あの綾城もいたぞ。楪は新しくできた友達だよ」
 何でおれはこんなにも言い訳がましく説明しているんだろう。俺は嫁にどう思われても気にしないはずなのに。
「ビリヤード!わぁ楽しそうだね!今度やるときは私も誘ってよ!」
「機会があったらね」
 陰キャ文法では機会なんて訪れることはない。それに嫁はビリヤードやると時々イキって変化球やろうとして失敗し、台のカーペットをキューで破くので一緒にプレイしたくない。
「楽しみにしてるからね!うふふ」
「いい加減にしてくれ理織世!言っただろう!彼と関わるべきじゃないって!」
 ずっと黙っていた葉桐がとうとう口を挟んできた。俺の事を少し睨んでいる。
「やっぱり君は抜け目のない人間だ。まさか数学科の紅葉楪さんとパイプを作っていただなんて思いもしなかったよ!」
「はぁ?なに?パイプ?」
 何言ってんだこいつ。俺は首を傾げた。楪も不思議そうに首を傾げている。
「よくもまあ自分は紅葉さんと繋がりを作っておきながら、この間は理織世の将来のチャンスを邪魔したよね!恥を知ったらどうだ?」
「お前の言っていることが相変わらずわからん。さっぱりわからない。フェルマーの最終定理くらいわからん」
 そして間男への文句はいかに余白があっても語り足りないのだ。
「カナタさん!フェルマーの最終定理はもう証明されてますよ!」
「え?そうなの?数学科すげぇ」
 楪のツッコミのおかげで一つ賢くなれた。
「随分と紅葉さんを上手く騙しているようだね。下劣な野望を隠しながらよく人と仲良くできるね?君は本当に良くない人間だな」
 葉桐がめっちゃ軽蔑の目線を俺に向けてくる。軽蔑に値する存在はお前のはずだろうに。
「だからわけわかんねぇんだけど?」
 俺もいい加減イライラしていた。その時だ。嫁が口を開いた。
「ねぇ宙翔。紅葉さんって有名なの?そう言えば入学式の時、紅葉さんの写真を私に見せたよね。見つけたら声を掛けてって」
 入学式の日。こいつはグループを作ってた。あのグループは今でも生きている。どころか一年生の間でどんどん勢力を増しているらしい。『生徒会』なんて皮肉るやつらもいるくらい影響力が出始めてる。
「うん。紅葉さんはある分野じゃ有名人だよ。電子通貨って聞いたことない?」
「なにそれ?定期券の磁気カードにチャージしてるお金のこと?」
 そう言えばこの頃はまだ電子通貨は一般人には有名ではなかったな。今のうちに買っておいたら一財産になるかな?
「違う。P2P型のブロックチェーン技術を応用した新しい通貨システムのことだよ」
「ぴーつーぴー??ゲーム機?」
 嫁は電子通貨が有名になったときも、とくに興味を示してなかった。というか意外なことに金そのものにはあまり執着をしないタイプだった。デートも最初の頃からきっちりと割り勘してくるタイプだった。端数の一円レベルまできっちり割ってくるタイプなので逆にウザかった。そして高価なプレゼントも欲しがらない。だけど歴代元カレたちはみんな俺より高収入。稼げる男が好きっぽい。
「だから違うって。今度ちゃんと説明してあげる!とにかく紅葉さんはすごいんだ。電子通貨を手に入れるにはマイニングが必須だ。だがそれには莫大な量の計算量が必要となる。コンピューターの電気代はバカにならない。その電気の使用量は地球温暖化にも悪影響を及ぼす。紅葉さんはその計算量を3%も圧縮するアルゴリズムを開発して世界に無償公開した天才ハッカーなんだよ!世界に貢献した素晴らしい人材なんだよ!」
 ちょっとどころか超驚いた。楪はとんでもない人材だったのだ。

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015.md

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第15話 マイペースなカノジョ
「へぇ楪さんってパソコン詳しいんだ。そう言えば昔の消費税って3%だってお母さんが言ってた!計算しづらかったんだって!」
 全然葉桐の話を聞いてない嫁。この女に難しい話しても意味ないんだよなぁ。全部スルーするんだもの。女子アナのくせにニュース番とか情報番組とか一緒に見ててつまんないとか言ってチャンネルを変える女だ。自分が解説したニュースなんかも次の日には忘れてる。よく女子アナになれたな。しょせんこの世界は顔なのか?
「楪凄いね。そんなことやってたんだ」
「あの男…チェストしてやりたい…」
 何か楪が葉桐の事を見ながらすごく物騒なことを呟いていた。すごく暗い瞳で俯いている。うわぁネガティブモード入ってる。
「どしたの?楪、なんか元気ないね」
「あのアルゴリズムは嫌いなんです。そもそも用途がくだらないです。P2Pの電子通貨なんて所詮は現実に既にある通貨システムを電子空間上で再現しなおしているだけでしょ。もう通貨なんてどこにでもあるんですからわざわざ作り直すなんて無駄じゃないですか?」
「まあそう言われればそうかも知れないね」
 電子通貨って未来でも結局のところ投資用の資産の一つであって、通貨決済システムとしては幅広く流通しているとはいいがたい状態だった。今後さらに広がれば違うのかもしれないが、今のところはギャンブルの玩具でしかない。結局みんなドルに換えるんだからね。
「それにあれ、わたしが作りたくて作ったわけじゃないんですよ。高校の授業で地球温暖化を少しでも解決するアイディアを考えて実行するっていう総合学習があって。グループ実習だったんですけど、…グループの人たちにアイディア考えてやっておいて押し付けられて…電子通貨のマイニングが電気の無駄使いだって聞いたんで、とりあえず作っただけなんですよね。そしたらちょっとネットで有名になっちゃって学校の先生に褒められて、…他の子たちから嫌われました…頑張ったのに…」
 何だろうこの子のやることなす事全部裏目に出る感じ…哀れすぎて守ってあげたくなるよ。
「紅葉さん!その男と関わっては駄目だ!!」
 葉桐が楪の傍に近寄る。楪はびくっと体を震わせた。
「君のような素晴らしい才能の持ち主は悪い人間に利用されがちだ。その男のようなね!きっと甘言を弄して君を騙したんだろう!僕に頼ってくれ!君をその男のもとから救い出してみせる!」
 俺がなんか悪い人みたいになってんだけど?どうしてこう、この男は自分のことを棚に上げて俺を悪しき様に罵るのだろうか?
「僕のグループに来なよ!君の才能を生かすための設備も僕なら用意してあげられるよ!資材やお金ならいくらでも調達してあげる!大学のベンチャーキャピタルにもつながりはあるんだ!その才能で僕と一緒に世界を変えよう!」
 なんか熱弁を振るっている。葉桐の瞳は何か怪し気にキラキラと光ってる。アットホームな職場の社長さんみたいな瞳だ。
「アハハ…ごめんね宙翔は熱くなるといつも子供みたいにはしゃいじゃうんだ。許して」
 嫁が舌をペロッと出しながら、俺に両手を合わせておふざけ半分な謝罪をしてくる。嫁はもう葉桐の言ってることを聞き流すモードになってるんだな。世間の女子が今の会話聞いたら、この人、夢が大きくて素敵!とかって言いそうなもんなのに。全く関心がないんだな。今のって楪の才能を見込んだベンチャー設立のお誘いだぞ。たしかに未来じゃこの男は医学部卒の癖にベンチャーの社長やってたけど。こんな時期から熱心に活動してたのか。その野心には嫌悪を通り越して、逆に感心の念さえ湧いてくるかもしれん。まあその地位の高さと稼いだお金ゆえに嫁に浮気に走られたと思えば、やっぱり腹しか立たないけど。
「あの…すみません。わたし、そういうの興味ないです」
 楪は葉桐の話を聞いてから、冷たくそう言った。だが葉桐はまだ説得を続ける。
「紅葉さん。興味は後からついてくるものだよ。君の技術は世界を変えられるんだ。そうすれば沢山の人が幸福になるんだよ」
「はぁ…そうですか…幸せですか?」
「そうだよ。僕はこの世界に不足したものを供給できるような人間になりたい。この世に足りないものを補えるようなものを作り世界にサプライしたいんだ。この世界に新しい価値を生み出し、沢山の幸せを作りたい」
 ひどく反吐が出る綺麗ごとを宣っていやがる。というか俺から嫁を奪って愛情を不足させ、幸せを壊したのはなんだったの?言ってることとやってることが全然違うじゃないか。
「はぁ…もういいです。わたしは興味がないんです。他の人たちとやってください」
 楪は葉桐の提案を断った。意地悪な気持ちだけど嬉しいと思った。楪は葉桐の味方ではない。それはとても嬉しい。
「やっぱりその男に何か言われてるのか?それとも先に契約か何かを結ばされた?弁護士を用意してもいいよ」
「…契約なんていりません。わたしとカナタさんの間には契約ではなく優しさがあったんです。…もういいです。もういいですよ。あなたの夢の価値はわたしには関係ないことです。でもあなたに関わるとカナタさんと離れることになる。それだけはわかりました。だからこう言います」
 楪は大きく息を吸って。そして大声で叫んだ。
「いやでごわす!!あてには関係なか!!あてはわいをすかんと!…おほん!これ以上しつこく誘ってくるならあなたをチェストします。思い切りチェストします」
 それは明確な拒絶だった。はっきりと葉桐の目を見ながら、強い眼光で楪は断った。まあよく見ると足は震えてるし、俺の背中をぎゅっと握ってる手も震えてた。
「だが君の才能は…」
 葉桐はそれでも説得を続けようとした。だがすぐにそれを遮って楪は言った。
「あなたはわたしの才能しか見てません。それはわたしの胸しか見ない人よりも気持ち悪いです。もう声をかけないでください!」
 そして楪は俺の背中の後ろにひゅっと隠れてしまった。よく頑張った。ここから先は俺の仕事だ。
「わかったろ?誰もかれもがお前についていくわけじゃない。楪は諦めろ」
 葉桐は何とも言えない顔で俺を睨んでいた。こうやって女に拒絶されるのはきっとこいつの人生では初めてだろう。それは間違いなく屈辱の記憶になるのだ。男の心を深く傷つけられるのは女の行いだけである。
「…わかった。今日はもうやめておこう。理織世。行こう。この人の傍にいたらよくないものをうつされるからね」
 そして踵を返して葉桐は自分の授業があるであろう講義棟に向かって去っていった。
「楪。よく頑張ったね。えらいえらい!」
 俺は楪の頭を撫でた。楪は微笑んでいる。
「えへへ。頑張りました!」
 そして暫くして。
「じゃあわたしの講義棟はあっちなんで!ではまた!」
「またなぁ!」
 楪と俺は手を振り合って別れた。そして俺は一人満足な心と共に講義棟へ軽い足取りで歩いていった…と思ったら、よく知る声が隣から聞こえてきた。
「じゃあ一緒に行こうね!はじめてかも!こうやって同じ学科の人と講義室に向かうのって!いつも宙翔といっしょだったからなぁ。なんか楽しそう!うふふ」
「わっ!?なんでお前がここにいるんだよ!!葉桐と一緒に行くんじゃないのか?!あの話の流れなら葉桐についていくもんだろ!?」
「え?だって私と常盤君は同じ学科で同じ授業でしょ。宙翔は医学科だよ。そもそも宙翔とは授業が違うんだけど」
     た!
 俺はバカなのか?!嫁と俺は同じ学科だったのだ。何だよこの間抜けな流れ。葉桐が向かった先にふと目を向けたら、葉桐が足を止めてこっちをあんぐりと口を開けた間抜けな表情で見てた。お前もか葉桐。嫁のマイペースっぷりに振り回されているのは…。
「じゃあね、宙翔!お昼御馳走するの忘れないでよー!じゃあ行こうか常盤君!早く行っていい席とろうよ!」
 嫁は俺の手を引っ張って歩き出す。本当にマイペース。だけど葉桐が悔しがっている顔をしているので、今日だけはこのペースに巻き込まれてもいいと思ってしまった。

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README.md

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# LN27
# 嫁に浮気されたら、大学時代に戻ってきました!結婚生活経験を生かしてモテモテのキラキラ青春です!なのに若いころの嫁に何故か懐かれてしまいました!
作者:園業公起
WEB https://kakuyomu.jp/works/16816927862810785877
## 人物
### {常盤}(ときわ){奏久}(かなひさ)
建築学科一年
### {綾城}(あやしろ){姫和}(ヒメーナ)
法学部
### 葉桐{宙翔}(ヒロト)
### {五十嵐}(いがらし){理織世}(りりせ)
建築学科一年
### 賀藤
教育学部二年
### {紅葉}(こうよう){楪}(ゆずりは)
数学科
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